2012年03月28日

益田幹夫(P)

70〜80年代、ジャズシーンの第一線で活躍していた、ピアニスト「益田幹夫」さんをご存知だろうか。
その名を知っていれば、長いジャズ歴を持つ方に違いないであろう。

22歳「日野皓正グループ」、25歳単身渡米し「アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャー」に在籍。
帰国後、「渡辺貞夫グループ」で活躍し、早くからフュージョンに取り組むなど、意欲的な活動を続けていたが、交通事故に遭って活動を一時休止。
86年、アコースティックでカムバックしてから、カルテット2枚、トリオ1枚のリーダー作を発表。
その後、難病を患い、また音楽活動を休止せざる得なくなる。
それでも、90年代後半にかけて、ロン・カーター(B) ルイス・ナッシュ(Dr) グラディ・テイト(Dr) らの大物をレコーディングメンバーに加え、2枚発表したうちの1枚が、「SJ誌ゴールドディスク」を受賞。
しかし、難病が進行して、人知れずにジャズシーンから消えた、実力派のジャズピアニストだった。
(プロフィールが長くなってしまったが、これでもショートカットした方である)

その音色はロマンシズムに溢れ、美しく親しみやすい上、音の深みにとても定評があった。
僕はテクニカルな部分よりも、どちらかと言えば、メロディーセンスに魅了されたほうだ。
そんな益田幹夫さん、通称、「ミッキー」とは、あるミュージシャンを介して、ジャズファンとして数年間は ほどよい距離でお付き合いさせていただいた。
終演後、何度か一緒する機会があり、レコーディング秘話、メンバーのこと、今後の音楽活動について胸襟を開いてもらったのは、嬉しくも懐かしい思い出である。
残念ながら、某有名人の一方的な暴露本で中傷された部分はあるが、それは僕が知るミッキーの姿  ではないので、言いように詰まってしまう。
事情はあったにせよ、同業で活躍していることを考えれば、一方的に意見を書くのはフェアじゃない。
ハッキリ言えることは、とてもナイーブだったけど、庶民的でとてもファンを大切にしていたこと。

ミュージシャンは、ファンから支持される存在である。
ところが名前が売れてくると、スポンサーのオファーに関心が向き、人気にあぐらをかく人もいた。
その点では、ミッキーはいつ会っても気さくで、いつまでも変わらない姿勢に好感がもてた。
ルックスは甘美なムードを漂わせていたので、若い女性ファンも多かったが、ミーハーのはかない望みにつきあうほど、甘い顔を見せない硬派な一面があることは知っている。
曲のクリエイティブ度は高く、どのアルバムも都会的なフィーリングに満ちていた。
決まりきったアドリブをしなかったのも、ガツンとしたプライドがあったんじゃないかな。

もう二度と生演奏を聴けないのが残念である。
店で愛聴盤を流して、リスペクトしているときもあるんだ…  ミッキー、サイコー!  

PS. 僕の愛聴盤
「Mickey Finn」 Mikio Masuda (1981)
「Dear Friends」 Mikio Masuda Quarutet (1985)
「Smokin Night」 Mikio Masuda Quarutet (1987)
「Autumn Leaves」 Mikio Masuda Acoustic Trio (1990)
「Black Daffodils」 Mikio Masuda(P) Ron Carter(B) Lewis Nash(Dr) (1997)
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Jazz & Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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