2012年03月27日

ゆとり世代

20代の若者が、「ゆとり世代」とラベル付けされた現状をどう感じているのかな。

「新人類世代」と呼ばれた、現在の40代 (1961〜1970)。
僕の10〜20代、大した見本にならないが、バブル景気の前兆期もあり、忙しない世代だったと思う。

柔道を8年近く続けていた、中学3年の春。
動機は、日頃の憂さ晴らしのためにしか過ぎなかった。
そうなると、もっと強い刺激を求めて、拳闘に興味を持ち始める。
父親に、「今度、キックボクシングのジムに、通わせてほしいんだけど」と願い出たが、動機を見破ってた親の判断は正しかった。
代わりに、ドラムのスティックをもらった。

その二年後、高校の吹奏楽部、アマチュアバンドのトラ(代役)として、ステージイベントで叩いていた。
あの頃は、金も時間もないけれど、体力と気力は充実していた日々だった。
1日の主要は、朝7時起床で始まり、学校の授業が終わるのが3時頃。
それから、5時半頃まで柔道部で汗を流して、家に着くのが7時半頃。
今度は9時まで、町道場の稽古に参加し、風呂と晩飯はその後となる。
10時半頃から、音楽を聴いたり、音が漏れないようにガッチリとパッドを張ったドラムのトレーニング  セットの前で、メトロノームのネジを何回も巻いて遊んでいた。
毎日、深夜1時過ぎの就眠はザラで、学校の休み時間で仮眠を取り、授業以外は勉強をしなかった。
とにかく、やりたいことだらけだったので、時間が一番欲しかった。
それに時間がないときほど、覚えるのも早かった気もした。

若くして、「時間があったら 〜したい」と漠然的に言うけど、逆にあれはダメだ。
時間があったらあったで、カラオケ屋なんかで何時間もダラダラと過ごすようになるから。
若い時ほど、時間に制約をつけた生活をしないと、せっかくの集中力が身につかなくなる。

定年退職された方々が、口を揃えて言っていたことだ。
「退職したら、あれもこれもやりたい」と目を輝かせるが、実際は退屈しのぎになるという。
今さら、人と競争する気力はないし、退職金を投じて趣味の店を始めたとしても、ガツガツと採算なんて考えなくもなる。
体力はもとより、若い気力だけは取り戻せないとも聞く。
時間に余裕ができたときには、あれこれと集中して覚えられないのが、現実なんだとも思える。
その意味で言えば、男の晩年は「心のゆとり」こそ、ロマンになるような気もするんだ。

若者に話を戻すが、義務教育+高校三年間+大学四年間の受験や競争論理を否定してどうすんの?
耳障りがいいだけの「ゆとり教育」の影響で、身に付けられるべき年齢を失いがちになるでしょ。
僕はそれでも、「ゆとり世代」を色眼鏡で見ないのは、「新人類世代」とラベル付けされたからだ。
それに、ゆとり教育の体裁を作っただけで、放りっぱなしにしてきた社会も悪い。
だからと言って、それを引き合いに出して、甘ったれた主張をする若者にはもっと腹が立つ。
僕が「ゆとり教育」に合意できない理由は、そういう偽善的な主張を嗅ぎ取ったからである。
「何もすることがない」という若者は多い。
だが、団塊世代と同じ座標軸で青春を過ごしているようでは、あまりにももったいない気がする。

若者にプライドがあるとすれば、それは「時間の使い方」だと思える。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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