2011年12月14日

中華料理屋

新潟駅前を正面に、左右の繁華街で中華料理チェーン店が、食のニーズを大きく二分している。
何でも、行列ができるほど盛況らしく、多くの人の胃を満たしていると聞く。

僕は中華料理に限らず、美味かろうが安かろうが、並んでまで食べたいと思うほど欲求はない。
並ぶぐらいなら、周辺の空いている飲食店を探して入るタイプだ。
「空いてるから、不味い店」と考えるのは、誰もが起す錯覚である。
飲食店は味や技術より、まずは衛生管理だと思うので、その敷居を見誤らなければどこでも入れる。
それから、「ゆっくり食べたい」ことが根底にある。

中華料理屋なら、まずはビールに餃子、鳥肉のカシューナッツ炒めから入る。
口直しをしたければ、チンジャオロース、酢豚、八宝菜なんかもいい。
小腹が空けば、焼き飯に焼きそば、〆に杏仁豆腐だってある。
何も並ばなくても、ホテルの高級中華でなくても、街の小さな中華料理屋で胃を満たせる。
行列の中にあっては、ゆっくりと食べることが満たされず、ランチのように早食いするものではないし、 ましてや食い漁るものでもない。
とは言え、「食の知ったかぶり」なんて、年齢的に愚かしい真似になるからね。
年齢とともに、味覚の枠はシンプルになってくるものだ。

90年代、第2次居酒屋ブームで、時の繁盛店に入ると、「混み合ったら、お席は二時間でお譲り下さい」とか、店員にサジェストをされた。
「ガキじゃあるまいし、空気を読めずに、長居するつもりはないよ」と、内心で反すうした。
活力ある繁盛店の雰囲気は好きだが、客あしらいが事務的になりやすく、浮き身で飲食しているようで、何とも落ち着かないものだ。

地味に打ち解けるので、まじまじと情報誌で新店を探したり、ネットでカチャカチャと探ることも少ない。
情報には乗り遅れるが、自分がひいきとする飲食店ぐらいは、自分で探す主義だ。
寧ろ、五感を頼りに、派手な飲食店よりも、素朴な飲食店に惹かれてしまうのは性格だ。
自分もこうして、商売を営んでいるから、情なる性分ゆえの店探しになるのであろうか。

僕はこうして、五年ほど前に閉店で失った、「街の小さな中華料理屋」を、探すこと六年目に入った。
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