銭湯へ行く時間は、昼と夕方ごろの境目が多くなった。
目覚めのシャワーを浴びるのが日課なので、朝(昼)風呂代わりで気持ちも晴れる。
だが、日曜は結構混んでいることもあり、あまりのんびりと寛げないこともある。
そんな、入浴客の大半は初老だ。
湯船に浸かりながら、浴室全体を見渡して感じたことがある。
特に、70歳以上の高齢客は年季が入った、老木のようにも見えなくはない。
髪が葉なら、腕は枝、皮膚は幹の皮、足は根のようだ。
そんな金玉は、松ぼっくりのようにも見える。
そうか… 老いることは老木になること、それも松の木になるのである。
しかも、みんな寡黙で、動きもゆっくりだ。
それでいながら、目は輝いており、足を一歩一歩、着実に踏み出している。
何も語らぬ、初老の背中に、これまでの日本の歴史的背景を感じてしまう。
銭湯は寡黙な晩年の男たちに、無言の喜びを与えてくれる聖地なのである。
断っておくが… わしゃ、じじ専のホモではないぞ! (−_−メ)
2011年12月05日
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