2011年11月30日

三丁目の夕日

文明の利器に喜んでばかりいられないよな。

今や外出しなくても、家にいながら、買い物ができるようになった。
日常生活が便利になればなるほど、逆に雇用が削減されるのが世の常。
便利になるのはいいが、引き換えに人件費を圧縮されることは、覚悟をしなきゃいけない。

今なら販売職や営業職、ペーパーレスが進んでいる事務職などは、高いスキルがあろうがなかろうが、コンピューターで代替利くようになるかも知れない。
最先端機器を導入すれば、余剰人員が増すことは当たり前である。
文化的な空間を生業としている、僕らのような職業だって、けして例外ではない。
自分には降りかからないと思っても、刻一刻とせっちん詰めにされていることには、気づかないものだ。
こういう状態の中、雇用を増やせと言っても、自分たちが雇用に反する私生活を求めている訳だ。
そう考えると人は、無意識に総論賛成、意識は各論反対で、矛盾した生活を送っているのである。

僕は、近くで買える物は近くで、近くで楽しめることは近くでが、基本スタンスだ。
それと小さい抵抗ながら、スーパーのセルフレジは、極力使わないようにしている。
セルフレジの稼働率が高くなれば、雇用は拡大せず、レジの占有率だけが拡大する。
つまり、消費者からすれば便利だが、行き過ぎた便利は、雇用の促進にはつながらない。

映画 「ALWAYS (三丁目の夕日)」を、観た人は多いと思う。
三種の神器のひとつ、冷蔵庫がどこの家庭にも、普及していく様子が描かれていた。
それまでは、近所の氷屋が切り出した氷を、各家庭に配達していたが、もう必要はなくなってきた。
その現実に直面した、氷屋の主人の複雑な心境が、映画のワンシーンで印象に残っている。
映画は、これからの日本の活況を明るく描いた反面、心の内面を捉えたあの場面にこそ、本当に監督が伝えたかったことであろう。

都市が繁栄すれば、大型ショッピングセンターの出現により、街の商店街に客が来なくなるという昔からの社会問題は解決されない。
前にも書いたけど、ショッピングセンターが悪いんじゃなくて、暮らす人の程度問題だと思っている。
資本が大きく、もてはやされている安い店にも行くが、少し高いけど孤軍奮闘で頑張っている個人商店にも行くぐらいの、サジ加減はないのかなと思ってしまう。
そういう、小さい投資マインドがないから、結局は値段でしかモノを買わなくなっていると思う。
僕自身の生活方針は、贅沢はできないけど、サジ加減とか、メリハリは利かせるようにはしている。

便利になったからと言って、喜んでばかりいられないのは、どこかにしわ寄せが来るからだ。
その意味で、便利や流行という言葉に踊らせられて、安易に飛びつかないようにしている。
現在、人間型ロボットの実用化が、もうそこまで来ているという…   考えよう、それだけだ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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