2011年06月11日

伊達直人に告ぐ

今年早々、明るいニュースとして、伊達直人運動が大きく取り上げられた。
その後、大震災の影響で耳に届かなくなったが、善意とは器量どころである。
興味があるのは、伊達直人を名乗る当人たちはこのまま、名を告げずに続けられるかだ。
内心では、名乗り出たい自意識も葛藤しているんじゃないのかな。

今から5年ほど前、あるベテラン女優が福祉関連の特集記事に自身の体験を寄せていた。
そのコラムが印象に残っているので、紹介してみたい。

ある日、某女優は某福祉施設の子供たちに、山ほどのプレゼントを持参で慰問した。
無邪気な子供たちからは、喜ばれて慕われる。
本人も人の子である以上、気を良くして当然である。
だが、施設の女性園長は、感謝の気持ちをくみ取った上でこう続けた。
「自然に無理をせず、続けていけることだけでいいのですよ…」
「ここにいる子供たちは、いずれ誰も(今日限りで)、来なくなることを分かっています…」
その言葉に某女優はハッとしたと言う…  全てを見透かされていたのだ!

某女優の善意は純粋だと思う。
だが、調整的な純粋さは時として、人の心に影を落とすときがある。
「また、来るね…」だとか、「今度、行きます…」などと、その場つくろいの言葉で調整されて、もう何年もほったらかしにされることを分かっているのだ。
女性園長は経験から、人の移り気な考えや行動を理解しているからこそ、真実を短く伝えたのであろう。
私自身、そういう人の「偽善性」が、鼻につくときがあるのも事実だ。

「伊達直人運動」は、続けていくことに社会意義があり、本物か似非かは、来春にはハッキリする。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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