2日夕方、万代で手にした号外の見出しは、白ヌキで「菅首相 辞意表明」だった。
これではっきりしたことは、どんな組織でも一枚岩にはなれないということ。
先週、日本相撲協会の放駒理事長が、組織の一枚岩を強調してたが、どんな形も不変ではない。
今まで、どれだけの組織が一枚岩を強調していながら、どれだけの組織が解散したであろうか。
初心の志、当初の結束力にはウソはないと思うし、その瞬間こそが一番輝いて見える。
だが、一枚岩という言葉を使い出し始めたときには、もう組織のほころびが見え隠れしている。
それは、人には「信じたい」という本能があり、実は自分達に向けている言葉だからである。
私が24歳の頃、同じ会社の常務取締役43歳に、酒席で「ついていきます!」と豪語した。
その言葉は純真無垢で、ウソ偽りのない、それこそ若さ丸出しだった。
そんな常務は、「人の考えは変わるぞ…」とだけつぶやいた。
今思えば、「物わかりよく従順ぶるな…」と警告されていたのだと思う。
2年後… 考え方は微妙に変わってきて、お互い理想を求めて離れた。
民主党は政権を取るまでは、一枚岩で攻め続けたから、国民の吸引力も高かった。
しかし、政権を取ったら、権力争いに走り出してしまい、現在はこの有様である。
だから、組織の一枚岩などないと思っている。
それがあるとしたら、ただひとつ… 外部に共通の敵が現れたときだけだ!
その意味では、1日のサッカー日本代表や五輪なんかは、とてもわかりやすい例であろう。
強いて加えれば、高校野球の甲子園大会も少し似ている。
そんな集団心理を、巧みに政治誘導したのが、反日デモに代表される中国の狡猾さだと思う。
一枚岩とは、共通の敵がいてこそ、運命共同体になれるのだ… それ以外は、いずれ崩壊する。
2011年06月03日
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