少年期に痛みや辛さを経験すれば、少しは他人を理解できるようになると思う。
日中の強い日差しが西に傾いた頃、日陰になる裏道を選んで自転車を走らせていた。
すると途中、静かな遊歩道に差しかかると、三人組の少年が一人を取り囲むようにしていた。
くだらんガキの喧嘩かと思い、1度は通り過ぎたものの、その様子が少し気になり引き返した。
どうやら、連中は一人に下半身の露出を強要しているようだ。 (思春期によくある男のいじめだ)
割り入ることはせず、側のベンチに自転車を止めて腰をかけて、黙ってその様子をにらみつけた。
連中はこちらの視線に気づき、しばらくすると何事もなかったように、その場から放れていった。
シラケたと思うので、今日のところは場所を変えてまで、その子をいじめることはないだろう。
よほどタチの悪いガキではない限り、この程度の威嚇で充分である。
社会が、「いじめをなくそう」とスロ−ガンを掲げるのはいい。
だが、人間の本質を知っていれば、社会からいじめがなくなることなどありえない。
まして、大人になれば子供のいじめとは比較にならないほど、巧妙で手が込んだことをしてくる。
そういう、現実も知識として教えておくべきであろう。
ダメなのは、「いじめを何とかしろ」と言うだけで、自分では何もしようとしない奴ら。
何も言わないのはもっと最悪だが、本気でそう思うのであれば、小さくても参加するだろう。
子供はそんな大人のきれいごとを見抜いているのだ。
2010年07月23日
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いじめをやめさせるためにも、学校や職場でもどんどん話題にしてほしいものですね
大切なことだと思います