2009年10月15日

新潟大和デパ−ト撤退に想う

今朝の朝刊によると、新潟市古町の大和デパ−トが再生の見通しが立たず、来年中に撤退する方針を固めたとのことである。
その噂は予てから囁かれていたが、いざ正式に発表されると、それまでの思い出が頭を過ぎる。

特に60年代までの世代は感慨深いと思うし、新潟の下町小僧だった私にとって、大和デパ−トは正に街のランドマ−クである。
当時、休日に家族で“街に出かける”ことは、どこか特別な響きがあった。
前日の夜から用意した服を枕元に置いて、朝早くから親を急かしては、バス停まで「あぶないでしょ!」と怒られながらも駆け足で向かう。
バスに乗れば靴を脱ぎ、立膝で後ろを向いて車窓からの街並を眺めながら、おもちゃ売場への期待を勝手に膨らませていた。
デパ−トでは、最初に親の退屈な買物さえ辛抱すれば、おもちゃ売場を経由し、上階のレストランでオムライスを頬張れる至福のコ−スが待っている。
だが、欲しいおもちゃをせがんでも、「いい子にしてたら買ってあげるね」が多くの親の利かせ言葉であり、しょんぼりこそするが、その後のオムライスで元気を取り戻す。
私達の世代、家族や親戚との思い出がたくさん詰まっている場所が大和デパ−トなのだ。

そして今日からこぞってこう言われるだろう…「残念だ、寂しい、これからどうなる」と。
では、こう言う人のどれくらいの人がたまにでもいいよ…大和デパ−トを使っていたのだろうか?
まだ、買物する候補の一部に入れていたのであれば分かるが、ほとんどの人は車で郊外型のパワ−センタ−だけにしか、足を運ばなくなったことは事実だろう。
魅力がないと言われればそれまでだが、常に新しい店へ店へとニ−ズが安易に傾く現象に、どこか軽い流行のように感じてしまうのは私だけであろうか?

利用頻度こそ減ったが、今でも古町に出かけた折には、大和デパ−トでハンカチなどの小物や一部の食料品、周辺喫茶などを利用している。
古い気質と思われるが、人間関係と一緒で惚れてもいないのに、惚れたふりをするのはどこかいやらしい感じだし、惚れたのなら頻度は減ろうとそこで買物するのが惚れた客の流儀とでも言おうか、思い出を語る上での筋だと思っている。
閉店セ−ルの時だけ足を向けるのは、行動そのものが安物ずくめに思えてしまう。
昨晩はカウンタ−越しで、同世代のSTさん、KHさんらとしみじみと語り合った。

そんな理由で来年9月まで私は…いや、「俺は大和デパ−トでも買物するよ」
posted by GIG at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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