国際ピアノコンク−ルで優勝した、盲目のピアニストこと、辻井伸行君が時の人になっている。
それにより、コンク−ル前から予定されていた公演の問合せが急に殺到し、演奏では目頭をハンカチでぬぐう観客も多かったと聞く。
その点に限れば、クラシカルなリスナ−を拡大したことは、輝かしい貢献であろう。
だが、世間から、「障害を乗り越えた」とされる論調に対し、父親はあえて、「盲目の頭文字が付く以上は本物ではない」と厳しい愛情を注いだ。
<言われて見れば、スティ−ビ−・ワンダ−、ダイアン・シュ−ア、レイ・チャ−ルズらは、意識された呼び方はあまりされていない>
好調な時ほど、世間がもてはやすのを見抜いているので、若干20歳の息子を錯覚させてはならないと思っているのかもしれない。
それこそ、母親の愛情とは違う、父親としての役割なのだろうか?
それは解らない。
しかし、世間は盲目という言葉に同情めいて、闇雲な感動癖がある人も多い。
それはそれでいいが、盲目に感動を覚えたのであれば、点字ブロックの上に自転車や物を置かないなど、関連ある部分にまで見方を及ばせなければいけないと感じる。
盲目は音楽だけに限らないのだから。
彼が弾いた、リストのラカンパネラは素敵だった。
2009年06月16日
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