2020年02月18日

死刑求刑

16年7月 相模原市の障害者施設で、45人を殺傷した被告に裁判員裁判は死刑を求刑した。

検察は 「更生の見込みはない」 と判断した。
凶行は身勝手極まりない動機だが、なぜ被告は施設の職員として勤務したのか、その初心を知りたい。

誤解を恐れずに言えば、むしろ、真面目に近い側の人間が従事する職業である。
しかし、真面目な人の頭は硬直しやすいため、考えにタメがないぶん 「わからない人間はバカだ」 と決めつけたがる傾向が 「タチの悪い思いこみ」 となり、過激に豹変したともいえる。

僕は 「無神論者」 なので、死後の世界に興味はない。
それでも、人間は 「性善説」 で生まれてくると思っている。
だが、性善説は生まれてまもない頃と、死ぬ瞬間と間際だけで、それ以外は悪行まみれじゃないかな。
生きるためには、森林を破壊し、動物を殺めなけれならず、人の足をひっぱったり、だまし討ちをしたり、いさかいや憤りも絶えないのであり、生きる動機の中で 「欲の権化」 が生じてくるわけでさ。
もちろん、だれでも善でありたいが、生きるためには悪も生じるので、苦痛がともなう。
そう考えれば、生きるのは葛藤であり、死期と同時に性悪説から 「性善説に返る」 のかもしれない。

被告は 「意思の疎通ができない障害者は、社会のお荷物でしかない」 動機から、犯行に及んだ。
コンピューターの世界では、文字や数字を打ち間違っても理解されず、ただ再入力だけを求められる。
つまり、イエス・ノー 0・1 白・黒の世界があるだけで 「理解を持ち合わせていない」 のが怖さだ。
そんな被告は、目の前に咲く花を見ても、足で踏みつけて去る 「人間的な心がない」 と思える。

他人の気持ちに興味を持てない社会なのかも。 
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする