2019年12月15日

三越閉店

先日 夕方の県内ニュースで、来年3月に閉店する 「新潟三越」 を特集していた。

高度成長期、活況ある新潟の下町 (しもまち)は、個人商店が軒を列ね、地域社会を支え合っていた。
しかし、近くにスーパーができると、次第に個人商店には足が遠退き、それまでの人間関係が薄れた。
品揃いが豊富で安くて便利が理由で、事務的に買い物を済ませ、地域の営みや文化までも途絶えた。
それこそ、今の政治 「一強多弱」 に似た構図で、スーパーだけでなく、百貨店や量販店ができれば、資本力による 「弱肉強食」 となる。

長年、新潟三越は、新潟の中心部に 「上品な活況」 をもたらした。
だが、それがもとで、商売をたたまざる得なかった、個人商店も数知れず。
それが、今では三越をカタログショップにして、客はウインドショッピングしながら、家からネットで注文をしているんだから、もはや地域がうるおわなくなるのはあたりまえ。
この発想、スーパーの見切り品だけを買いに行くのと同じだし、駅前の立ち食いの行列と変わりない。

それでいて 「閉店は寂しい」 とか言い出し、閉店セールになるとひょっこり現れる。
外面は手編みのセーターの温もりがいいというも、内面は機械編みの安価なセーター狙いのようでさ。
だから、新潟三越が閉店しても、これまで 「どれだけの個人商店をつぶしてきたか」 を少し考えれば、時代背景による情緒的な寂しさはあっても、商業的な寂しさは 「嘘っぱち」 に思える。
世の中、そうそう寂しいことはないし、そもそも 「商売の寂しさ」 なんて知らないだろう。

寂しさの裏付けなく 「寂しさに酔う」 のは、一番かっこ悪い姿じゃん。
新潟はこの傾向が強く、新しいモノにはすぐに飛びつくが、どうせ飽きることを繰り返す。
その店へ行く気のない人ほど 「今度、行きます」 と、口当たりのいいセリフを吐くのと同じでさ。
商いをすればわかるが、本当に行く人は黙って行くし、それこそが 「精神的な誇り」 なんだよな。

これが、図星じゃないか。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする