2019年12月07日

無縁社会

ある日 買い物から戻ると、妻がこう言った。

どこそこで 「ひとり暮らしの高齢者が、家の中で遺体で見つかった」 と、いわゆる 「孤独死」 である。
発見まで数週間経過し、部屋には買いだめした食料品の山があり 「男やもめ」 の孤独な生活ぶりに、僕も 「同じ道を歩きかねないな」 と思わされる。
はたして、家族や友人、近隣との交流、顔の通じる店は在ったのであろうか。

孤独死の背景を思いおこすには、こんな理由がある。
7年前、店の常連客が警察立ち合いの下、自宅で死後数週間の状態で発見された。
ひとり暮らしの初老で、人つきあいに偏りがあった上、地域社会にも背を向けていた。

その一年半ほど前、休日の出来事。
当の本人から 「脳出血をおこしたらしく、倒れて身動きができない」 との電話連絡を受けた。
救急隊より一足早くかけつけたが、自宅の玄関が施錠されているため、中に入るのを手間どったもの、無事に応急処置をしてもらい、救急搬送に付き添ったことがある。

あのときもこうだった。
家の中は足の踏み場もないほど乱雑で、近隣の人間関係も薄れた雰囲気があった。
集中治療の後、数日間の入院を余儀なくされたのに、家族への連絡を拒んだため、僕がつなぎ役として医師の説明を受けて、一時の身元保証人となり、その夜は事なきを得た。
入院してからは、知人のバーテンダーが買い出しや洗濯など、身の回りの世話を行い、本人行きつけの店のオーナーと連携しながら、つながりを失った 「孤独な生活の影」 を感じた。

これが 「無縁社会」 の現実。
僕も人生の折り返し地点を過ぎているので、もはや他人事ではない。
それこそ、最近話題の 「人生会議」 ではないが、話し合っておく必要も、遠からず見えてくる。

そのとき、どうするか。
孤独に強くなれば、それに越したことないが、僕は 「自分の弱さ」 を知っている。
一過去、妻の大病で実感したし、ひとりで生きていくことに、耐えうる自信もない。
老いて自分は弱いことを自覚し、もし独りになったら、人に 「頼る勇気」 も必要となる。

晩年をつかさどる意味で 「人は思っているほど、人に冷たくはない」 性善説も大事なのでは。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする