2019年07月14日

民意投票

このところ、参院選の 「新潟選挙区の私見」 を書き散らかしている。

選挙のとらえ方は、人それぞれだから、何とも言えないが、本音は 「たかが選挙」 「されど選挙」 と、分けて考えており、正当性の中に気楽さもある。
そもそも 「与党か野党か」 「敵か味方か」 そんな視点だけで見ていない。
もし、その見方が必要だとしたら 「土壇場に立たされたとき」 だけ。
すがっていいモノ、すがってはいけないモノの見分け方は、本当にあとがないとき。
それに、土壇場に立つことなんて、そうしょっちゅうないし、もっと気楽に考えてもいい。

店には、新潟の民放4局の来店も少なくはない。
特に、夕方6時15分頃のローカルニュースは、地元4局の威信をかけた熾烈な視聴率争いの時間帯。
そのとき、お客さんの顔ぶれが関係する民放局に、チャンネルを合わせておくのが 「情なる向き」 で、世の中の多くは、そんな気持ちに動かされているんじゃないかな。

だれもが経験したことのある、小学校の学級委員長の選挙と同じでさ。
「クラスの発展」 とか 「クラス一丸」 など、建前はあったが、あまり深くは考えていなかった。
それより 「仲のいい友達だから」 「掃除当番を代わってくれた」 「風邪で休んだときに、給食のパンを届けてくれた」 そんなことのほうが大事で、身近な 「親切に票を投じた」 記憶がある。

つまり、選挙の建前より、自分と身近な存在に票を投じるわけで、どんなにいいことを言ったとしても、会ったこともない、しゃべったこともない、実在を知らない人に投票するのは、どこか味気ない。
だから、ああやって、多くの有権者と会い、握手を交わして、より身近になることで票を獲得する。
その上、日本人は判官ひいきだから、知り合いになった気分で、日増しに応援する有権者が増える。

僕は、新潟選挙区の候補者と会ったこともないから、特に感情移入をされることがない。
知っていれば、この際 「たかが選挙」 で、票を投じるだろうが、知らないからこそ 「されど選挙」 で、物事を理詰めでとらえるが、選挙は感情も揺さぶられる、紙一重の心理戦。
人の機微も知らないと、当選しても 「人を上手く使えない障壁」 にぶち当たるからね。

気軽に考えれば、演技と割り切って 「好感度のいい候補者に投票する」 のも、民意ある一票である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする