高校時代の友人から、電話を受ける。
かくかくしかじか、同窓会の計画があるので、だれそれの連絡先を知らないかとのこと。
規模は別に、幹事の名前を聞いて、意外性を感じることも多くなった。
昭和58年3月1日の卒業式を最後に、8クラス280名ほどの同級生が 「あとは自分で考えようぜ」 とそれぞれに影響を受けて、それぞれの夢を抱えて、それぞれの道へ散って行った。
それ以来、会っていない同級生も多くて、当時は友人であっても、環境が変わるたびに友人も代わり、連絡をしあわなければ、自然と疎遠になるもの。
それでも会えば、どんなに理論武装をしても 「裸の青春」 を知っているから 「おめ、元気らか」 で、気持ちはなごみ、ほっとする瞬間に出会えるもの。
住所、家庭、職業、それぞれに環境が変わっても、会えば 「時が埋まる」 のが、時々の友人であって、それぞれの人生に何があったか、語り合うだけでも、下手な小説を読むよりおもしろい。
友人には 「俺にできることがあれば、気持ちよく協力する」 と伝え、世間から 「不良養成高校」 と、後ろ指をさされながら、巣立ったわが母校。
見るべきは、その後の生き方、思い出したのは、あいつの顔。
http://jazzbar-gig.seesaa.net/article/453813620.html ( 不良養成高校 )