遠い過去ではない。
ある日の夜のこと。
某バーに足を向けたら、ビルの袖看板だけを残して、完全閉店していた。
酒飲みなら、こんな経験はあるだろう。
閉店の予告を受けたのではなく、特別に親しくもなく、たまたま思い出した久々のお店。
どういう終わり方をしたかも知らない。
立ち行かなくなったのか、健康上のことか、気力を失ったのか、本人の口でないと信憑性はない。
商売仁義として 「まずは、元気でいてほしい」 と思うのが、人情であってさ。
それまでの来店回数はどうあれ、長年通っていた常連客はいたはずだ。
仮に閉店の噂を聞きつけても、ちょっと行っただけで 「寂しい」 なんて 「どの口が言わせるんだ」 になるからね。
経営は栄枯盛衰。
同情はされたくないだろうし、お店は机上じゃないので、やったものにしかわからない。
自分では何もできないのに、アラ探しに興じて、結果だけを見て、評論家気どりで放言する輩達。
経営は諸行無常。
本当に自分でやったならば、結果どうあれ、その行動に悔いはない。
あとは、自分で考えればいいわけだし。
それで、もう一回、場所と業態を変えて、再出発するから来てといわれても 「今度」 と 「おばけ」 は、出たためしはないように 「今度、行くよ」 も、社交辞令であって、真に受けないのが世の習い。
耳障りのいい言葉ほど 「冷たい思わせぶり」 になるから、ボクの 「行くよ」 は、本当に行くんだ。