8日 部屋の窓から、五月の空をながめながら、東京滞在時に会った、懐かしい顔を思い出していた。
東京在住時、個々の親しさは別にしても、今も気持ちよく会えるのは、心の底からうれしい。
出身地は違えど、皆独りで上京し、偶然知り合ったに過ぎぬが、なにがしの仲間意識は生まれていた。
会社は目的達成集団で、指示系統が上下左右に飛び交う関係で形成されてるから、甘噛みできるのも最初だけで、そのうち反目しあうのは、肝に銘じておかねばならない想定内。
そのあたりの機微がわからぬと、すぐに裏切った、やつは水くさい、あいつは変わったなどと言われる。
日本人的なんだけど、同時に生産性を引っ張ることもあるから、似つかわしくない出来事も発生する。
こうして離れても、胸襟をひらいて会えるのは、時の割り切りの中で、おたがいを認め合っていたから、どこか友情にも似た 「会いたさ見たさ」 につながっているのだと思う。
「別れた後にわかること」 は多いが、年齢を重ねていけば、もう前口上抜きで会える。
それに口にこそ出さぬが、年齢とともに何かを悟ったり、あきらめたり、何か違う価値観を見つけたり、人間としておちつきを取り戻していくのではないだろうか。
僭越ながら、ボクの東京滞在がきっかけとなり、こうして集まる理由になるのなら、冥利に尽きる。
古い描写だが、公園の砂場で会った関係にしかわからない、砂場に戻れる懐も持ち合わせていきたい。