2019年05月31日

特売任務

30日 妻は女3人で、駅前ランチへ出かけた。

そのあと、軽く昼呑みするだろうから、イオンのお客様感謝ディーは、ボクのミッションとなる。
メモ書きには 「えごま油」 「オリーブオイル」 など、通常はあまり安くならない商品が連なる。
そこに 「酒類」 「日用雑貨」 が加わり、今ではどこになにがあるかわかるし、難があるなら、手荷物がかさむことぐらいか。

自分では料理を作らないが、青果に精肉、鮮魚に惣菜などを見ているだけでも、テンションが上がる。
終わってから、コーヒーでも飲める時間をとりたいが、氷菓や生ものを袋詰めすると、足は早々と台所へ向いてしまう。

適宜、目的に合わせて、自転車の方向は変わるが、もともとアフターアワーのない夜の仕事。
日中、夕方は 「買い物ついでの何か」 で、気力をチャージし、気持ちをリセットするのがくつろぎ。

毎日の生活習慣で、スーパーという場所は、人に与える影響は大きく、リラックスできる空間である。
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2019年05月30日

童心返り

日本のバブル全盛期 「マハラジャ」 「ジュリアナ東京」 のようなディスコで、多くの若者は熱狂した。

当時の仕事上 「お立ち台」 と呼ばれたステージでは、多くの女の子が派手な衣装を身にまとい 「ユーロビート」 で踊る姿を見ながら 「ケッ」 という具合に、小馬鹿にした目を向けていた。
今振り返れば、体育会系の 「どんぶり飯育ち」 だったから、こういう 「ハマっている女」 を目の前にすると、どう接していいかわからない 「青春貧乏」 に、ボク自身が 「ハマった」 ともいえる。

26日 「八神純子コンサート」 へ行ったとき、一列目でエンジョイする妻と女友達、視界に入る女性は 「童心返り」 しているようで、素直に 「かわいいな」 と思ったんだ。
昭和の男は 「バンカラ気質」 が残っており、女性のように素直にはしゃげない、シャイな一面がある。
それは、楽しくないのではなくて 「慣れてない」 のであり、立食パーティーでも、出入口のドアあたりで 「壁の花」 になっているのは、そのためだ。

男が誰かまわず、初対面の女性に親しげに話しかけたり、愛想よくチヤホヤすることはできなかった。
その心 「古風な照れ屋」 で、真面目であり、不真面目でもあるから、全く出会いがないわけでないが、恋愛チャンスを狭める態度であったことには違いなかった。
今はどうかと言われたら、一緒にご飯でも食べる気楽さなので、それぞれを分けて考えることもないし、人つきあいなんて、男も女も同じだと思っている。

それまで、ピンボケしたメガネを、30代のうちにかけかえたことで、見えてきた世界も変わってきた。
経験を自分なりの言葉で説明できるようになったのは、40代になってからで、50代に突入してからは 「女は灰になるまで女」 なんだなと、幸せを求めている 「童心返り」 が、かわいく見えてしまう。
そう思うことは、ボクも 「童心返り」 しているのであろうか。

この年齢になると、男と女の根本的な性質について、気づかされることもある。
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2019年05月29日

良薬笑顔

お店に 「紫陽花」 を飾る前に 「向日葵」 を先に飾ったのは、初めてである。

5月だというのに、真夏日が続いたせいか、疲れを持ち越したような火曜日。
スーパーの片隅で、バケツに差しこまれた、一輪を手にした。
種子をまとった、黄色い花は人の笑顔に似ており、元気の欲しいとき、活力源に飾りたくなる。

笑顔の素敵な大人なら、何人か思い浮かぶ。
共通していることは、子どもに好かれている大人が多い。
なぜなら、子どもは表情が豊かで、よく笑う大人にしかなつかないからだ。

とかく、人は言葉だけでコミュニケーションしたがるが、笑顔に勝る良薬はない。
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2019年05月28日

無題雑記 176

26日 公演終了後、焼肉を食べて、仕上げに軽くバーで過ごす。

人とゆっくり話す時間を作り、息をつける場所を生活に組み入れることで、満ち足りた気分になれる。
自分はどういうことで、よろこびを感じられるのか。
その形がわかってくると、充足感は意外と身近になる。

金銭的な充足感よりも、人とかかわれるよろこび。
長い時間をかけて、おたがい脱皮を繰り返し、ようやく自然になれた関係。
個性の違いを認め合えれば、大概のことは笑って過ごせる。

これだけは言えるが、人間の中で生きていれば、退屈な人生を送ることはない。
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2019年05月27日

Junko Yagami (Vo)  3

26日 今年も3人、3年連続、3回目の 「八神純子コンサート」 へ出かけた。

場所は新潟市音楽文化会館、開演16時、座席は一列目の一番左端。
アタリかハズレかわからない席に 「オレは、ゴキブリじゃねえ」 と、独り言を吐く。

ポップスのライブに出かけるのは、八神純子だけ。
過去3回とも 「日曜公演」 の日程が、鑑賞を可能にしている。

彼女の魅力は、過去のカリスマ性に頼らない、自立した女性の華やかさにある。
歌声とフレージングは、還暦過ぎの御年に違和感がなく、水準以上の歌唱を聴かせてくれる常備薬。
往年のヒット曲で、会場が盛り上がるのもいいが、彼女のステージには大人の香りがあり、それぞれの楽曲にムードや生きざまを感じさせ、長い時間をかけて仕上がった 「カッコイイ女性」 を感じる。

前半は上下白のスーツ、後半は青のワンピース姿で華麗に登場。
アレンジを変化させ、聴き手をあきさせない工夫で、会場を優しく包みこみ、ラストは全員総立ちとなり、手拍子、合いの手、声援と、ヒートアップしていく。

連れの二人も思いっきり 「ハマって」 おり、ボクも精一杯楽しんでるが、妻に 「ホラ、ノッテ、ノッテ」 と肘でプレッシャーをかけられる始末。
男はどこか照れ臭さがあるもの、こういうときの女は切り換えの早さに加えて 「せっかく来たんだから、もっと楽しもう」 と、すぐに沸騰点に到達するパワーは敵わない。
こうして、2時間にもおよぶステージは、少し感傷的な余韻を残し、18時に終演。

体は小さいのに、ステージ上で大きく見えるのが、八神純子の風格 (オーラ) である。

http://jazzbar-gig.seesaa.net/article/460299658.html ( Junko Yagami (Vo)  2 )
http://jazzbar-gig.seesaa.net/article/451218183.html ( Junko Yagami (Vo) )

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2019年05月25日

栄養満点

初夏が真夏になった、5月下旬。
夏本番になったら、どうなるのかな。

暑くなると食べたくなるのが 「冷しゃぶサラダ」
レタスにキャベツ、キュウリにオニオンスライス、水菜に大葉、アルアルファで山型に盛る。
その上に、豚バラとロースをのせて、お好みはゴマドレッシング。
別皿に、ボイル仕立てのシャウエッセンを添え、レモンビールがあれば最高。

調理は刻みと茹でぐらいだから、男の手習いでもできそうだし、これでも進歩した方だ。
これを料理と呼べるかわからんが 「男飯のサラダ版」 ながら、栄養は満点であろう。
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2019年05月24日

敬称省略

地域において、ボクの呼び名は微妙に変わる。

万代地区では 「マスター」 挨拶は 「こんにちは」 
古町地区では、名字に 「ちゃんづけ」 挨拶は 「イェー」
名字のちゃんづけは、親しみの愛称と受け止め、年上からそう呼ばれた。
今では、そう呼んでいた人と、街で会うこともなく 「大人の世界」 がなくなったようで寂しいが。

親しい関係だと、年齢に応じて 「くん ちゃん さん」 で使い分けされ、同い年の女性から 「くんづけ」 されると、少年の心に引き戻されそうな、懐かしさを感じることがある。
同い年の男は 「呼び捨て」 でいいのに、どこか呼びづらそうで、少年期の 「略語めいた愛称」 では、大人に成長してまで 「あだ名」 で呼び合うのも、いつまでも友達気分のようで、抵抗があるようだ。

ボクは、仰々しい使い分けは面倒だから 「おやじ」 呼ばわりするときもあるが、親しさとはそんなもの。
時代と年齢で 「さん」 が 「ちゃん」 「愛称」 になろうが、会えば 「あの頃のまま」 だ。
年上でも、気を遣って 「さんづけ」 する人もいるが、そこは 「長幼の序」 というもの。
「呼び捨てで、結構です」 と、敬称を解いてもらうときもある。

今は 「マスター」 になっちゃったけど、これも、時の趨勢 (すうせい) 
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2019年05月23日

閉店酒場

遠い過去ではない。

ある日の夜のこと。
某バーに足を向けたら、ビルの袖看板だけを残して、完全閉店していた。

酒飲みなら、こんな経験はあるだろう。
閉店の予告を受けたのではなく、特別に親しくもなく、たまたま思い出した久々のお店。

どういう終わり方をしたかも知らない。
立ち行かなくなったのか、健康上のことか、気力を失ったのか、本人の口でないと信憑性はない。
商売仁義として 「まずは、元気でいてほしい」 と思うのが、人情であってさ。

それまでの来店回数はどうあれ、長年通っていた常連客はいたはずだ。
仮に閉店の噂を聞きつけても、ちょっと行っただけで 「寂しい」 なんて 「どの口が言わせるんだ」 になるからね。

経営は栄枯盛衰。
同情はされたくないだろうし、お店は机上じゃないので、やったものにしかわからない。
自分では何もできないのに、アラ探しに興じて、結果だけを見て、評論家気どりで放言する輩達。

経営は諸行無常。
本当に自分でやったならば、結果どうあれ、その行動に悔いはない。
あとは、自分で考えればいいわけだし。

それで、もう一回、場所と業態を変えて、再出発するから来てといわれても 「今度」 と 「おばけ」 は、出たためしはないように 「今度、行くよ」 も、社交辞令であって、真に受けないのが世の習い。

耳障りのいい言葉ほど 「冷たい思わせぶり」 になるから、ボクの 「行くよ」 は、本当に行くんだ。
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2019年05月22日

Terumasa Hino (Tp)

ジャズトランペッター 「日野皓正」 (78歳) が 「春の叙勲」 受章者に選ばれた。
長年、日本のジャズシーンを 「渡辺貞夫」 と、二枚看板で牽引し 「人を育てた」 功績は大きい。

高2の頃、新潟県民会館で見たとき 「気さくな不良」 の雰囲気を漂わせ、マイルスを意識してるような出で立ちで 「わからんやつはいい」 反抗的な態度があり、演奏がいきり立っていた。
初めて聴く方にすれば、憤りの感情がイカす解釈となり、演奏者がプライドに凝り固まると、いつまでも青春期の渇いた音の枠から抜け出せず、硬い音色でとどまることもある。

時代背景に、厳しい練習があるから、過程として 「通るべき勘違い」 も、未来につながる。
そこに動物的な勘が宿り、妙な工夫や小細工せず、感じたまま演奏する個性 (本能) が身につく。
どんな音をぶつけてくるかわからないのに、いちいち考えていられないし 「ジャズは感じる音楽」 だ。

今は当時より、平均的に上手く、思慮深いが、表現の場なのに、あまり個性を感じない。
デジタル化になると、葛藤が少ない分 「演奏に個性が宿らない」 というのかな。
チケットを買ったのに 「オレは、だれを聴きに来ているんだ」 と思ったことあるもん。

ブログに名を列ねたミュージシャンには、自分の音 (個性) がある。
デジタル化で、得るものはあるが、失いがちなものもある。
日野さんは後輩に、アナログ的な方向指示器を出して、その頑固な個性 (本能) が認められた。

それを感じさせるエピソードを知るが、興味のある人にだけ、カウンターでお話するよ。

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2019年05月21日

無題雑記 175

20日 蒸し暑さに目が覚めて、冷蔵庫の炭酸水を口にする。

その暑さに、リビングの窓を開けて、そのままソファーへ横になり、二度寝入るパターンがある。
ソファーのひんやり感、クッションのふんわり感、背もたれやテーブルに足をかけるとリラックスする。

健康上、慣れた寝具もいいが、微風を感じて横になると、木陰のハンモックに揺られた気分でおちつく。
これも妻が入室するまでの寛ぎで 「風邪ひくよ」 と、寝室に戻されるボクはパンツをはいた室内犬だ。

身体を休めておくには、最適な気分も要する。
夜は立ち仕事なので、日中は少し体力を温存し、常にリラックスした状態を意識している。

草木のそよぎが強く、湿り気のある空気であるから、雨の前兆を感じながら、夕方の買い物へ。
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2019年05月19日

無題雑記 174

大型連休後の反動で、先週は静かな日が続いたものの、今週は笑い声が響く夜となった。

連休中の旅先はどこであれ、見聞や思い出を耳にしたり 「疲れたけど、行ってよかった」 と結ばれる。

普通は退職でもしない限り、10連休なんてとれないから 「豊かな回り道」 程度に思っておけばいい。

秋冬の好きなボクは、これから蒸し暑くなるシーズンになると、少し気が滅入りそうだ。

日の出が早く、日の入りも遅く 「酒場のともしび」 で生きる者として、夜はクールに過ごしたい。
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2019年05月18日

無題雑記 173

17日 午後1時30分。

バスの中から見た、本町の電光温度計が 「27℃」 を示していた。
それまで着ていた、麻のジャケットを脱いで、膝の上においた。

午前中、妻の定期検診に病院へ付き添っていた。
夫婦50代にもなれば、病気の一つや二つは経験するものだが、オレは至って不死身だ。
それこそ、ささえあいを通して、ひとつ屋根の下である。

会計を待っている間、隣の高齢夫婦の会話が可笑しかった。
亭主が女房に 「何時だ」 と聞くと 「今?」 と答える。
すると 「明日は何時かと聞く者がどこにいる。今の時間に決まっているだろう」 と怒り口調になると 「ああ、今ね、12時・・・」 と、素っ気なく伝える。

女房の 「今」 なる意味が、冗談なのか、ボケなのかわからず、笑いを堪えた。
妻にこの夫婦のやりとりを耳元で伝えると、久し振りに院内で顔を見合わせて笑えた。
この笑いこそが、これまでの軌跡になる。

午後2時過ぎに帰宅し、仮眠をとるため、窓を半開にした部屋で横たわる。
夕方5時近くになると近くの中学校の体育館から、例年の万代太鼓の音が5月の空に鳴り響いてきた。
ジャズの場合、いい楽団に共通していることは 「音が大きい」 こと。
ダイナミックな躍動感、圧倒的なドライブ感でもいいが、全員の一体感が音の大きさに表れるんだ。

それだけ、技術に自信がある証拠だし、物怖じしない姿勢こそ、雷鳴の如くその音をとどろかせる。
今年も 「万代太鼓」 が、夏本番で色彩と響きをもたらすであろう。

太鼓と笛の残響をあとに、今日2回目のシャワーを浴びて、出かけの支度をはじめた。
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2019年05月17日

大衆情緒

16日 店に飾ってある、カーネーションのつぼみが、全てキレイに咲いていた。

今年は梅の花にはじまり、桜の花にバラなどの順に、季節の切り花を飾っている。
気分が滅入ったとき、四季の花を答えに代えて、日常の大切さを教えてくれる。
そして、真夜中に咲く切り花は、女性の妖艶めいた趣を感じさせる。

花は枯れる。
ほったらかしにしておけば、すぐに枯れる。
毎日、水を換え、葉や茎にハサミを入れ、霧吹きで水をあたえ、少しでも長持ちするよう手を加える。
男の不器用な指先だが、夜の切り花を通して、ストレスを軽くすることはできる。

胡蝶蘭のような高嶺の花ではなく、だれもが手元における 「大衆情緒」 を咲かせる花が好きだ。
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2019年05月16日

無題雑記 172

風薫る5月は、体の新陳代謝が活発になるのか、日照時間の変化によるのか、どうも眠くなりがちだ。

ANAクラウンホテルの花壇には、赤紫色と乳白色の 「つつじ」 が雑じりあい、初夏を引き寄せる。

ラブラ万代の正面に植樹されている、名も知らぬ三本の木を見上げると、いつのまにか葉が覆い茂る。

それが、ほどよく日射しをさえぎる場所となり、花屋の店先には、次の主役 「紫陽花」 が並んだ。

これから、梅雨に向けて、一雨ごとに、河原の芝も濃くなっていくだろう。
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2019年05月14日

無題雑記 171

13日 変わり映えのしない、一週間がはじまった。

店で東京土産の 「東京パンダ」 も配り終わり、今や大型連休の形跡は微塵もない。
大型連休の後は、沈静ムードが大きい。

人の動きが量産されれば、観光地でない限り、大した恩恵は見込めない。
地道な商いの立場からすれば、過度な連休は迷惑以外の何物でもない。
その様子、蚊帳の外で営業し、どこか岩にしがみついて、波がおさまるのを待つ心境だった。

「見知らぬバー」 の宿命みたいなものか。
その分、日別で単独客が入れ代わり、個性的な話を交わして、おたがいの孤独を埋めた先週。

人は心変わりするが、変わらぬ心で止まり木に腰かける、細く長いお客さんに感謝している。
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2019年05月13日

Time Remembered

ジャズを好きな者として、このドキュメンタリー映画は見逃せない。

新潟の映画関係者から 「ビル・エヴァンスの生涯」 を記録した映画 「タイム・リメンバード」 が、来月 「シネ・ウインド」 で、上映されることを知らされた。

ジャズピアニストの中で、とりわけ人気の高いエヴァンスを今さら語らぬが、享年51歳、生涯作品から一枚選ぶとしたら 「 Waltz For Debby 」 だな。
もしくはスタジオ録音、最後の傑作とも呼ばれる 「 You Must Believe In Spring 」 かな。
他のアルバム、他のピアノトリオと、そうカンタンに同列におけないほどの、最高傑作だと思っている。

何度聴いても、抒情的なメロディーと味わい深さが、人の心に訴求する。
2枚中、どちらかを聴き終えると細く長く 「40年ジャズを聴き続けてよかった」 と思う瞬間に出会える。
エヴァンスの求道者ではないが、こんなに人の心をつかむアルバムも少なくない。

後に、世界最高峰と感じた 「キース・ジャレット」 に移行したのだが、美しいものは最後まで人の心に収納されて、人生にストーリー性を帯びたとき、取り出したくなるアルバムこそ、心の名盤なんだろうね。
「 Waltz For Debby 」 の 「 My Foolish Heart 」 は、史上最も美しい、オープニングナンバーだと思うし、当店が開店した頃には、こればかりエンドレスに流していたので、心がしみいるんだよね。

世界中を魅了した旋律を奏でた、彼の人柄やヒストリーに興味を抱かないわけがない。

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2019年05月12日

環境作り

12日 開けた窓から、新潟港に停泊する船の汽笛を耳にすると、普通に過ごせる日曜に安心した。

適当な時刻に目覚め、のんびりと支度をして、気まぐれな時間に出かける。
やわらかい風が吹く、萬代橋を往復し、手荷物を持ち替えながら、信濃川に映る夜景を眺めて歩く。

予定のない夜は気軽だし、途方に暮れる場所に行くこともない。
「休みが日曜だけだと、どこも行けないだろ」 と言われるが、大人のストレス解消法の一つに、地図のいらない近場で過ごすのも必要で、生活圏に親しみを感じなければ、遠出のよさは半減するもの。

定年退職者が実感することらしいが、会社の人脈は次第に消えてしまうという。
そのとき、地元に根を下ろしておかないと、近所のコミュニティーからは 「どちらさま」 あつかいされ、寂しい思いをしたときには、それまで会社人間だったことを、地域の中で痛感したのだとか。

会社を退職して環境が変わると、とたんに老け込む人がいるけど、そうならないための 「環境作り」 は必要だし、慣れた道を歩き、テイストの合う店を探し、近場を楽しめる日常性も大事だ。

その上で 「俺は俺、人は人」 という 「さわやかなこだわり」 を持てばいいと思っている。
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2019年05月11日

疑惑の目

一泊二日の東京ネタも、今日で一応のピリオドを打つ。

6日 昼下がりの新宿で、同い年の2人、2歳上の1人、計4人の男と旧交を過ごしていた。
会う度 「枯れっぷり」 を観察するが、他の3人は白髪混じりながら、髪にボリュームがある。
ボクは白髪こそないが、髪のボリュームは減ってしまった。

頭髪に目が向くのは、中高年の習性。
心と体のデリケートな変化を感じ、年寄りじみてくる顔にも、折り合いをつけるようになる。
そんなとき、同い年は絶好の比較対象となり、秘めた熱視線が飛び交う。

「この髪は地毛かな」 「ヒアルロン酸を注射したのか」 など 「疑惑の目」 を持ってしまう。
もしかして 「秘かな単独行動」 に出ているのではないかと、さりげなく確かめたくもなる。
それを知り、姑息な優越感に浸るメンタルティーはないが、同い年という免罪符が成しえる技。

そんな加齢現象に気を回すより 「健全な加齢には、健全な熟年が宿る」 のを期待したいものだ。
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2019年05月10日

晩年の心

毎年、東京へ行くのには、理由がある。

5日 午前、池袋のホテルに荷物を預けて、午後1時には、伯母が住む朝霞の団地に到着。
先月87歳を迎えたひとり暮らしの伯母は、妻と来訪することを心待ちにしていたと、腕によりをかけて、手料理を用意して待っていてくれた。

薄くなった味つけ、ご飯の柔らかさに、時の流れを感じたが、数日前から買物と下準備をしたという。
体裁が気力を作るのか、気力が体裁を作るのか、遠路の愛情を感じ、会話は現在から過去へと逆行、上野動物園で迷子になったことなど、幼年のおちつきのなさを明るみにされた。

昔話にも、少し疲れてきた頃。
6畳一間、畳敷きの円卓におかれた、3つのティーカップもすっかり底が見えてきた。
夕暮れの薄い影が部屋を覆いつくし、旧型の電灯スイッチに手を伸ばして、線を2回引っ張った。

ベランダから見える、団地の古い時計台の時刻も見えずらくなってきた。
会話に間が空くと、伯母が一言 「あと1〜2年しか生きれないけど、まーちゃんたちは元気で・・・」 と、さよならめいた言葉に 「また、来るからさ」 と、その先の言葉をさえぎっていた。

団地の入口まで、タクシーをつけてもらった。
「下まで見送るよ」 というので、その愛情を素直に受ける。
杖で体を支え、気丈に手を振る伯母の姿を、照れくさそうな子どものように、後部座席から見つめる。

夫婦は寂しさを共有できる。
伯母は温もりの残る部屋で、あとかたずけをしながら、ひとりで何を思うのであろうか。
「とうとう、この日が来たか」 と思い残すことがないよう 「晩年の心」 と大事に向き合っている。

大型連休とか騒いでも、この年齢になると、遊びだけでどこかへ行くことはなくなる。
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2019年05月09日

旧交冥利

8日 部屋の窓から、五月の空をながめながら、東京滞在時に会った、懐かしい顔を思い出していた。

東京在住時、個々の親しさは別にしても、今も気持ちよく会えるのは、心の底からうれしい。
出身地は違えど、皆独りで上京し、偶然知り合ったに過ぎぬが、なにがしの仲間意識は生まれていた。

会社は目的達成集団で、指示系統が上下左右に飛び交う関係で形成されてるから、甘噛みできるのも最初だけで、そのうち反目しあうのは、肝に銘じておかねばならない想定内。
そのあたりの機微がわからぬと、すぐに裏切った、やつは水くさい、あいつは変わったなどと言われる。
日本人的なんだけど、同時に生産性を引っ張ることもあるから、似つかわしくない出来事も発生する。

こうして離れても、胸襟をひらいて会えるのは、時の割り切りの中で、おたがいを認め合っていたから、どこか友情にも似た 「会いたさ見たさ」 につながっているのだと思う。
「別れた後にわかること」 は多いが、年齢を重ねていけば、もう前口上抜きで会える。

それに口にこそ出さぬが、年齢とともに何かを悟ったり、あきらめたり、何か違う価値観を見つけたり、人間としておちつきを取り戻していくのではないだろうか。
僭越ながら、ボクの東京滞在がきっかけとなり、こうして集まる理由になるのなら、冥利に尽きる。

古い描写だが、公園の砂場で会った関係にしかわからない、砂場に戻れる懐も持ち合わせていきたい。
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