こんな話を聞いたことがある。
「おふくろが作る味噌汁の味が薄くなったとき、少し親孝行を考えるようになった」 と。
意味はわかると思うが、味つけは年齢をごまかせない。
お酒の量もごまかせない。
バーは、お酒を提供する場だが、酒を提供しないのも仕事。
飲ませろと憎まれ口を叩かれようが、ダメなモノはダメで、お引き取り願うときもある。
毎晩、酒をたしなむ人を見ていれば、これ以上は飲ませられないと判断するのも気遣い。
そりゃ、店としては、飲んでもらった方が、実入りは助かるし、いいお客さんでもある。
しかし、体を壊されたら、元も子もないし、何よりも長いつきあいができなくなる。
酒を提供するということは、一貫して 「人を見る」 ことにもつながる。
お客さんの状態を見ながら、薄い水割りでやわらげたり、手心を加えるときもある。
それは、心身の健康をあずかる 「保健室」 たるや、社会的な役割もあるからだ。
開店12年目にもなれば、ほどよい親近感で、あしげに通ってくれるお客さんも増した。
おたがいに年齢を重ねて、酒量は減る一方だが、長年の信頼関係を構築した証でもある。
人となりを理解し、その人柄を伝えたり、生き方を代弁すべき感性もマスター冥利。
スナックなら、具合の悪いお客さんに対する対応で、ママの器量がわかる。
「具合が悪いのにありがとう」 と単純に喜ぶのは、その場限りのノー天気であり、いいママであれば 「もう早めにお帰りなさい」 と諭して、長い目で相手を思えるのが 「商売上の心得」 だよね。
バーのマスターであれば、イタズラに酒で客を潰すのはカンタンなこと。
だが、それをしないことが、バーテンダーの 「テンダー」 (優しさ) であってさ。
「キース・ジャレット・トリオ」 奏でる 「ソー・テンダー」 は、ボクが長年 「こよなく愛している」 名曲。