2018年11月14日

見る後悔

今はSNSを介して、いろんな人とつながりをもてる。

ボタン操作で、気になる人の近況を知ることができるようになった反面、人との接触も極めて選択的になってきたから、異質な人を排除することもできる。
一度、交流の味を覚えるとやめられなくなり、四六時中SNSなくして生きられなくなる。

40代のお客さんと、こんな会話を交わした。
SNSの交流もつかのまで、次第にストレスを浴びるようになったという。
気持ちの移ろいに興味をもったので、好きなように語ってもらい、あとで意見を添えるようにした。

紋切型にいえば、知人の近況を見るたびに、嫉妬心や劣等感にさいなまれ、見て後悔するという。
仲間内の集合写真がアップされていたりすると、自分だけ誘われなかった、孤立感にふさぎこむ。
そこに意図しない人物、馬の合わない人物が写りこんでいたりすると、つきあいが憂鬱になる。
やや高価な調度品、旅行先のスナップ、外食の画像など、自分とは異なる生活をしていることを知ると 「雑味」 が残るとか。

「見なきゃいいじゃん」 と思うが、見なきゃ見ないで、仲間に取り残されそうで不安にいとまがない。
思い余り 「じゃあ、負けじといかに安い食事をしているか、表現者になればいい。例えば半額シールが貼られたお弁当などをとりあげ、こんなに安く手にしましたとアップしたら」 の逆転発想。
冗談半分、抵抗力がないと、人のことが気になる。
それを見るから、悩んだりするのであって、それでも見たいというなら、自分の神経を太くするしかない。

ボクは交流サイトに興味がないから、あれこれ承認を受けてまで、見るも書くもしない。
スマホを持ち歩かないのも、心身を身軽にしておきたいし、大事な人とつながっていればいい。
自身、SNSをするために生きてるわけじゃなく、日常で用事があれば実感でコト足りるし、身近な画像をアップしたり、つながりをアピールしすぎると、意図せぬ 「対人感情」 を受けるようになる。

その範疇を越えてくると、気持ちのいいものではない。
SNSは、ボタンの掛け違いのようなズレが生じやすく、修復できない気持ちが長らく続くもの。
それこそ 「つながり中毒」 みたいなもので、それほど、人のことが気になるんだろうね。

SNSは、人や街、社会までも変えるが、それはいい方にも、悪い方にも変わる。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする