2018年08月23日

おくりびと

10年もの間、意図して見過ごしていた日本映画 「おくりびと」 を見れる心境になれた。

2年前、8月23日が 「父の命日」 なので、尊厳と感傷が入り交じったのかもしれない。
介護や医療、葬儀などは、家庭や人間関係に試練や状況をもたらす。
思ってもみなかった近親者の反応、空目を使われたり、次第に安らぎは遠ざかり、精神的に肉体的にもストレスが押し寄せる。

自分の問題でなければ、避けて通りたい。
家庭とは、いつのまにか空気のような存在で接するようになり、時として思考停止に陥ることもある。
しかし、状況は刻一刻と迫り、甘ったれたことは済まされなくなる。

葬儀のとき 「生前にやることはやった」 と思えるか 「人任せだったな」 「見て見ぬふりをしてた」 と悔やむか、人には心境を隠せても、本人は知っている。
わが家は、妻の名伯楽ぶりにより、生前にやるべきことはやったと、述懐できたのは救いだった。

だから、最期は納棺の儀やお経も唱えず、トラブルの引き金となる財産分与も一切なく、近親者だけの小さな家族葬でしめやかに見送った。
さぞかし、大勢の参列者に見送られ、葬儀を盛大に行うのも人間の尊厳だが、看取る側の自己満足を望むべきことではなかった。

それなら、生きているとき、できる範囲でいいので、悔いなく面倒を見ることが、家族らしいというかさ。
つまり、亡くなってからでは遅いのであり、ボクが言いたいのは 「ここ」 なんだ。
幸いにも 「やることはやった」 と溜飲は下げられたが、これから先も、享年82歳だった親父の年齢は意識して生きてゆくだろう。

時の経つのは、早いものである。 http://jazzbar-gig.seesaa.net/article/441424522.html

posted by GIG at 00:00| Comment(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする