2018年07月27日

老兵は死なず

先週末、教師の来店が目立っていたので、学校は夏休みに入ったのだろう。

「先生も人の子」
無機質なコンクリート校舎から離れて、静かに飲んでいる、ボクと同世代の先生も多い。
教務室では閉塞感を覚え、教室では生徒とのギャップに戸惑い、やすらげる空間は家路に向かう車の中という先生もいる。
その往復だけでは、社交性が身につくはずないし、場所を選んで飲むことで、社会性に富んだ教育者になれると思う。

これから、お盆休みになると、同窓会などが多くなる。
生徒もいっぱしの大人になれば、それまで思い浮かばなかった先生の名前を意識するようになり、一言誘いかける心遣いも芽生えてくる。
遠い存在だった先生が、自分の成長とともに、近い存在になるからだ。

しかし、呼ばれるからいい先生、呼ばれなかったから悪い先生の区別はない。
呼ばれる先生は、やさしくて、気さくで、生徒から慕われた証拠だろう。
反対に呼ばれない先生は、きびしくて、近寄りがたく 「あの先生を怒らすとこわいぞ」 と思わせられる、独特の威圧感があった。

思春期の頃、仲間同士で遊んでいるとき 「ねえねえ、君たち何をやってるの、先生も仲間にいれてよ」 とか言って、加わろうとする 「子ども先生」 は、うっとおしかった。
大人は 「すみわけ」 すると思っていたから、子どもに媚びを売るような先生は、カッコ悪いじゃん。

そうすると、あとになって 「あの先公、こわかったけど、今ごろ何をしてるのかなあ」 と思い浮かべて、自分が成長した分、会いたい気持ちがわきおこってくる。
先輩と後輩の関係でも、物わかりのよかった先輩より、近寄りがたかった先輩に、会いたくなるもん。
もちろん、あとになってわかった 「敬意」 であってさ。

また、そういう先生ほど、過去に固着しない性分だから、さながら 「天然記念物」 のように、なかなか姿を現さないんだ (笑)
うがった見方をすれば、教師の仕事を全うしたから、過去を振り返らない 「孤高さ」 であったりする。

「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」   ダグラス・マッカーサーの有名な言葉だ。
名称の老兵を先生に入れかえれば、その意味はわかるであろう。
晩年の先生には、晩年の人生があり、懐かしみにひたるより、もう大切な人のために生きている。
恩師を慕うなら 「何か困ったことがあれば、お手伝いさせてください」 そんな一言が 「恩返し」 だ。

まあ、教え子にひとりぐらい、こういう 「へそ曲がり」 がいてもいいだろう。 
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする