2018年06月19日

おやじ像

18日 朝8時に何の気なしにテレビをつけると、大阪で発生した緊急地震速報に切り替わった。

ことわざ 「天災は忘れたころに来る」 天変地異で大地震ほどこわいものはない。
こわいものを表すたとえ 「地震 雷 火事 おやじ」 の地震は不動の順位である。

近年、同線上の 「おやじのこわさ」 が機能しない世の中。
そのこわさ、虐待的ないびつなこわさに変わり、敬するこわさをもつおやじは少なくなった。
父親になるべく半ばで立ちつくしたり、ジレンマに悩める親は認めるが、あまり父性を感じない。
今は女性や子どもと同化して、ジェンダーフリーになりすぎ、おやじの存在をなしていない気がする。
必要とされるは、感情的なこわさより、教育的なきびしさであり、表裏一体にやさしさがあるタイプ。

おやじのイメージはどうだろう。
高倉健 (享年83歳) のような寡黙で謙虚、毅然と根性がすわって、論より証拠を示すイメージ。
近年は 「こういう男になりたい」 理想めいたおやじ像がいないから、自分でも描けないんだろう。
一緒にあそぶにはいいんだけど、父親が考える役割を果たせず、友達化しているような仕切りのなさ。

ボクの中で 「地震 雷 火事 おやじ」 の 「おやじ」 の名称は 「女房」 のこわさに代わる。
男はたとえ女に殴られようが、殴り返してはいけないのが、男のプライド。
夫婦の名誉のために捕捉するが、殴られたことも殴ったこともないし、いさかいもいきどおりもない。
男なら殴り返せるが、女房に限らず、女性と子どもは殴れないから、男にとって絶対こわい存在なんだ。

つまり 「地震 雷 火事 おやじ」 の 「おやじ像」 がないから 「女房に順番を明け渡す」 のである。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする