2018年02月14日

快楽主義

「そろそろ、会おうよ」  どちらからともなく、自然に歩み寄れるのが、気心知れた仲間である。

休日、友人カップルと二組で飲んだ。
会話は止まらず、気がつけば周りの席はすっかりと空いていたが、そのぶん飲み食いしたので、不粋な客ではなかったはず。

50代になると、視界の先に人生の終盤となる、入口が見えてくる。
老後の不安を感じたり、健康に不安を覚えたり、まだ起きてもないことなのに、得体の知れない不安に支配されることがあるともいう。

不安の理由は、先が見えない不安にあるようだが、これまで先が見えた人はいるのかな。
そんなに不安なら 「水晶玉」 を買って、毎日見ていればいいじゃんと思うし、不安と困っていることは、本質的に違うわけだから、それは分けて考えたいところ。

老後が不安な人の話を聞くと、健康のための健康を目的にしており、その先の快楽を求めていない。
生きる上で、健康であることは大前提だけど、健康を目的にすると 「人生はセコくなる」 と思う。
脳幹が感じる刺激とか、血液が全身をかけめぐる躍動など、全ては快感を得るための健康であろう。

ボクなら、美味しくお酒を飲んで、楽しく語り合えるためなど、自分へのご褒美が健康の目的となる。
目的がなければ見つけるし、それとも探すし、日常の健康は快楽を満喫できるためのことで、方程式を誤ると、何のための健康で、何を楽しみにしているのかさえわからなくなる。

そっちのほうが、よっぽど不安になるし、本来の不安なんて、土壇場に立たされたときにしかおきない。
それに、老後という言葉を直訳すれば、死を意味すること。
だから、何で 「老後不安」 なのかもわからん。

今、つきあいのある人に共通していることは 「今を楽しまないと後悔する」 そんなタイプが多い。
だからと言って、破滅型ではないし、考えるところは考えながら、出会いが作る運命に任せている。
酒の肴で、こんな話を交わす年齢になったが、人生なんて 「ケ・セラ・セラ」 なるようにしかならん。

冒頭の言葉 「そろそろ、会おうよ」 健康な人間が欲しているのは 「快楽主義」 である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする