2018年02月28日

名誉市民

平昌五輪の選手団が帰国し、連日多くのインタビュー取材を目にする。

「メダルを獲った、これからの人生を大切にして生きたい」
女子スピードスケート 金メダリスト 「小平奈緒」 のコメントが印象に残った。

まばゆい光を浴びると、アイドルばりの意識となり、後の人生に影響するという。
ほとんど本分に戻るが、プロアマ問わず、名声に崩れるアスリートもいるようだ。

スポーツも社会の縮図で、技能としてのメダリストではあるが、人物評価のメダリストではない。
選手には税金が投じられて、企業が受け皿のうちならいいが、名誉にうつつを抜かすと普通の暮らしが屈辱となり、社会的な判断もままならず、消える選手もいる。

日本人は、ひとつの空気にまとまりやすい。
今の脚光に群がるが、次の脚光が来ると、それまでの脚光に見向きもしなくなる閉塞性がある。 

彼女は選手の団長として 「これからは名誉市民とし、尊敬されて生きるようになる」 ことを、やんわりと他の選手に教えてあげた、強くて優しいお姉さんのように思えた。
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2018年02月27日

青の感動

サラリーマン時代、年末年始も仕事だったので、まとめてこの時季は 「サイパン」 へ出かけていた。

当時は唯一の楽しみで、ぜいたくと呼べるツアーではなく、ホテルの部屋を拠点にして、常夏の現地に身を置いて、時間の流れに乗っているだけ。

過去を思い出したのは、自室の窓からグレーな空を見ているときだった。
四季の中、新潟の冬空はグレーの厚い雲におおわれて、見ていてもつまらない日が続く。
こう毎日だと、マイナス思考になりそうだから困る。

そんなときに、イメージをすることがある。
空港から飛び立った飛行機が、厚い雲を抜けるとまぶしいほど 「澄みきった青空」 が一面に広がる。
その 「青の感動」 たるや、何もかも忘れさせてくれるものとなる。

だから、冬の厚い雲を見ているとき、さらに上空の 「スカイブルー」 を思い出し、気分が落ち込んでも、好きな色をイメージするべきだろう。

それなのに、人は好まぬ色を見て、気分を合わせようとするから不思議だ。
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2018年02月26日

冬の病室

25日 弱い光の昼下がりに妻と外出。

路肩の雪が溶けだすと、濡れたままの手袋やマフラーなど、雪の日のおとしものを見つけるようになる。

見舞い先の病室の窓から見えた、海と空の境界線に夕日が沈む、寒々しいコントラストが美しかった。
寒さは続くが、空模様と手元の時刻を合わせておかないと、日の入りの長さに行動が間延びしそうだ。

精神的に支えあう、人間関係も多くなった。
入院中は不安を抱えてしまうため、だれかと一緒にいたくなるのは、おたがいの親和欲求。

ボクは生まれてこの方、入院するほどの病気やケガもなく、健康に過ごせているから、こう思ってしまう。
「オレが入院したら、見舞いに来てくれる人はいるのかな」 と。

孤独は覚悟の上、かけつけてくれる顔が思い浮かぶなら、ここまでの人間関係は良好であろう。
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2018年02月25日

10th Anniversary

「続けてこれたから、見えた光景がある」

2008年 2月22日 「ジャズバーギグ」 を開店し、10年が経過した。

毎年、何十軒もの飲食店が、生まれては消えるを繰り返す。
繁華街から、離れたこの場所で、何の後ろ盾もない状況から、ここまでやってこれたのは奇跡に近い。
一貫してきたのは 「人は人、オレは俺」 でいいじゃないかという、気持ちの切り換えだった気がする。

人生50年も過ぎれば、儲かっているやつもいれば、破産しそうなやつもいる。
離婚したやつもいれば、今まで得たモノだけで、もう充分だというやつもいる。
これからの人生、他人と比べることをするべきではないと思う。

たまに、こんな話を耳にする。
50代に入ると、人それぞれに変化の差が大きくなるためか、クラス会の出席率が低くなるという。
その背景には、自分をだれか他人と比べるからだとか。

自身は 「脱サラ組」 だけど、会社勤めには、会社勤めなりの良さがあったし、個人事業主には、個人事業主なりの良さもあり、どちらがいいかなんて比べようがないし、もちろん苦しさもある。
長年、東京と新潟でネクタイを結び、クルマのエンジンをかけて 「おはよう」 でデスクに着き、売上の進捗と日報を確認して、はじまる日から一変。

43歳から、私服で自転車に乗り、開店の準備を短時間でこなし、定刻に看板の灯りをつけて、深夜まで扉の鐘が鳴るのを待つ日々。
これも 「2つの世界」 を見たからわかることで、50歳を過ぎてこの解釈を見誤ると生涯 「人と比べて生きる」 間違った苦しみから、逃れられなくなる。
人目や体裁を気にし、身の丈以上のことをやろうとしたら、とても10年はもちこたえなかった。
結局は 「人は人、オレは俺」 の根本的な考えに行きつくわけだ。

10年を形式的な挨拶文でつづることもできるが、それだと力んで自分の言葉にはならない。
ささえてくれたお客さんには、自然と湧き出てくる感情をもとに、個性を理解し合える思いの丈を文章と言葉に置き換えさせてもらい、添える花言葉は 「ありがとうございます」 の感謝の気持ち。

Special Thanks
Y&M  WATABE
Y&M  HIRATA
M  KOBAYASHI
K  OONO
M  ITO (居酒屋 やぶさか)

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2018年02月21日

読解と傾聴

20日 書店の棚を眺めていると 「語彙力」 (ごいりょく) と題する本をよく見かけた。

その場で、斜め読みすると、言葉の正しい使い方、よくある重複表現、誤りやすい表現や慣用句まで、語学力と文章力を学べる内容だった。

ボクは文章の勉強をしたことはないから、執筆を生業にしている専門家から指導を受ければ、容赦なく添削や校正、リライトされるであろう。

だが、語彙力は、正しく意味が伝わっていれば、そんなに語彙語彙と言うことのほどでもない。
それより、優先すべきは 「読解力」 と 「傾聴力」 だろう。

なぜなら、聞く力 (インプット) があるから、語る力 (アウトプット) があり、読む力があれば、書く力が身につくと思う。

それができないうちに、聞きかじりの語彙を多用したら 「ちょっと、何を言っているのかわからない?」 サンドイッチマンのギャグではないが、自分の感性ではない言葉が、ひとり歩きをしてしまう。

最近は老眼が進行し、前ほど本を読まなくなったが、ボクのような学歴や経歴の乏しい男からすれば、気軽でやさしい本を読んだり、気楽に人の話を聞くことで、得られるものの方が貴重だったりする。

つまり、語彙力より 「読む → 書く」 「聞く → 語る」 読解力と傾聴力の方が大事なのでは。
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2018年02月20日

現実と葛藤

女子スピードスケート 「小平奈緒」 は多くの辛酸を舐めた分、30歳で才能が覚醒し、31歳で念願の金メダルを獲得した。

競技にもよるが、多くのメダリストは、早ければ10代、圧倒的に20代でメダルを手にする。
30代に入ると、それまで肉体が学習した経験値もふまえて、ハンドリングは上手くなるが、身体能力は辛うじて維持しつつも、ゆるやかに下り坂となる。

下の世代には 「あなたの時代は終わった」 上の世代からは 「若返りをめざす」 を理由に居心地の悪さを感じ、少しずつ見えてくる引退に抵抗するかのように、社会人なら、ここからが苦悩となってくる。
この心理の移り変わり、40〜50代で経験した人も知るし、まさに今、その真っ只中の人もいる。

20〜30代のときは、事あるごとに 「君たちの時代になる」 とささやかれ、年齢が進むにつれて、それまでの貢献や実績とは別に、改革や刷新と称した 「首のすげ替え」 を目論まれてくる。
前言は、次の世代に同じ言葉で繰り返され、胸の奥に夢があっても、次第に孤独を感じるようになる。

年齢の高い選手を応援したくなるのは、下からの追い上げに、負けじと生きようとする姿に共感するし、何と言っても、自分自身へのエールもあるのだろう。
結果だけなら、ゲームでしかないし、プロセスを感じて学びとれるのが、スポーツの醍醐味なんだ。

会社は、スポーツのようにハッキリとわかりやすい世界ではない。

だからこそ、自信につながる拠り所を求めて、人はスポーツを見るのだと思う。
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2018年02月19日

父性の目

男の父性が、動いたぐらいだから、女の母性なら、それ以上に動くのかもな。

休日の用事を終えて、閉店40分前のコーヒーショップの窓際で、ぼんやりと通行人の姿を見ていた。

すると、顔に幼さが残り、左手のビジネスバックとマフラーの巻き方が初々しい、スーツ姿の若い男子が少し疲れ気味に、右手で袋から半分ほど出したパンを、食べながら歩いている姿を目にした。

これまでなら、見ず知らずの青二才の男子を見ても、なんとも思わなかったが、ボクの年齢からすれば、それぐらいの息子がいてもおかしくないはず。

思わず 「彼は、キチンとメシを食ってるのかな」 とか 「家に着くまで、待ち切れなかったのか」 など、部活帰りの空腹に耐えられない感じと、仕事で叱られて、少ししょぼくれているような感じにも見えた。

最近、物言わぬ 「男親の眼差し」 になるときがある。

もしかしたら、昔の自分を見ているようで、あの頃の気持ちが投影されるのかもね。

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2018年02月18日

プリンス

日本にも 「王子さま」 がいたんだね。

17日 午後、男子フィギュアスケート 「羽生結弦」 のフリースタイルを自宅で見ていた。

前日のショートプログラムの1位通過を 「完璧演技」 だと新聞は見出しをつけていたが、今日のフリー演技では、持ち時間4分半の中で、2度バランスを崩しながらも、減点対象にはならず、芸術点の高さで他者を圧倒し、2度目の金メダルを獲得した。

完璧に越したことはないが、完璧ではない姿にも、人は感動する。

今大会、銀メダルに輝いた 「宇野昌磨」 も、フリー演技序盤で転倒こそしたが、そのあとの持ち直しにファンは熱い声援を贈った。

4年前の 「ソチ五輪」 で、メダルは逃したが 「浅田真央」 も、その 「あきらめない演技」 に世界が感動したことは、記憶に残っている。

ボクを含めてだが、多くは熱狂的なフィギュアスケートのファンではなかろうが、とりわけて羽生結弦の存在は鮮烈で 「王子さま」 と呼ばれるほど、色白で端正な顔立ち、均整のとれたスマートな肉体美が備わっているが、それだけではない。

「王子さま」 のゆえんは、強さとやさしさ、品格が土台となる、香り立つ男らしさなのである。

羽生結弦を見ていると、昭和の男は全滅だよ (笑)
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2018年02月17日

距離 45cm

16日 万代シティ発 12時35分のバスに、妻と乗車した。

夫婦だから、違和感なく、二人掛けのシートに座るが、ボクの体が大きいため、席がやや窮屈になる。

人間も動物のはしくれだから 「パーソナルスペース」 という、縄張りがある。
その距離 「45センチ」 以内に近づけたら、二人は密接距離だという。

この場合、体温や匂いも感じやすく、他人には入ってきてほしくない、プライベート距離。
もし、隣の席に、体臭のきついおやじに座られたら、ストレスを感じるかもしれない。

2年ほど前、バスの二人掛けシートに、ひとりで座っていたら、車内が混みあってきた。
他にも、ひとり分の空いている席があるのに、どういうわけか、OL風の20代の女性に軽く会釈をされ、隣の席に体をおとしてきた。

若い女性なので、体が触れ合わないように、足を内またにして、肩も内側に狭めて配慮はした。
それでも、太ももと腕は触れて離れるを繰り返し、どこか気持ちも急接近しそうな、45センチの心理で、勘違いのドキドキがおきそうでさ。

ああ、こんな、おじさんの隣に座ってくれた、選ばれたよろこびとでもいうのかな。
男性ホルモンも加齢とともに低下し、更年期を意識する年齢に舞い降りた、一瞬の奇跡である。
まあ、保身はさせてもらうが、公共の混雑を意図した接触はないからね。

密接距離  「45センチ」   恋人距離、夫婦距離、家族距離ともいう。
バス停に並ぶ、カップルの距離間隔を見れば、どういう関係かはそれとなくわかるものだし、バーでは、ほほを寄せ合う顔の位置で、それなりの親密度はわかるもの。

ボクの、45センチ以内に入れる微妙な関係はだれかなあ‥   男はカンベンだし。 
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2018年02月15日

羽生結弦

連日、冬季五輪の熱戦が伝わってくる。

人並みに、メダル獲得の期待と興味もあるが、選手の人間性にも焦点をあてて、その強さも知りたい。
その一人が、明日注目されている、フィギュアスケートの絶対王者の呼び声が高い 「羽生結弦」 だ。

彼は一頃 「王子さま」 の軽薄なネーミングでもてはやされたが、礼節を重んじ、世界を相手に教養も身につけ、フィギュア界をリードできる好青年にまで成長した。

それも 「東日本大震災」 という出来事に一心で向き合い 「ソチ五輪」 で金メダルを獲得したあとも、快進撃を見せた。
あるときは、練習中に中国の選手と衝突して、頭部を負傷したまま、棄権せずに出場した。
賛否はあったが 「滑りきる」 という強い気持ちは、最後まで持ち続けた。

そして、3か月前に、今度は右足首を負傷したにもかかわらず、それを乗り越えて、冬季五輪に照準を合わせ、先日の記者会見でのコメントに 「気持ちの強さ」 を感じた。
「この上ない練習をしたので、不安はない」 と全快宣言し、負傷を言い訳にできる退路を自ら断った。
すごい、コメントだよ。

一流選手は、やり続けることを信条として、メダルを獲得しても過信はしない。
理由は、子どもの頃から、自分の得意なことしかしていない、前向きな 「コンプレックス」 があるから、他の世界も尊重する、素直な感受性が育まれたと思う。

インタビューの答え方ひとつ、笑みを浮かべながら、穏やかに話し、一般人の生活とかけ離れたような態度をとらず、自分の考え方を示しながら、社会に溶け込んでいる。
これこそ、アスリートとしてのレベルの高さ、内面の充実と強靭さを兼ね備えた 「文武両道型」 である。

一頃は、スポーツが優秀であれば、神輿の上に乗せられて、人間教育をされない選手も多かった。
技能を養うための練習だけで、強さがすべての価値判断となり、そこに 「美しさ」 がなかった。
時代によって、求められるヒーロー像も変わったが 「強さ」 イコール 「人柄」 で応援したい。

彼、明日、金メダルを獲るよ。

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2018年02月14日

快楽主義

「そろそろ、会おうよ」  どちらからともなく、自然に歩み寄れるのが、気心知れた仲間である。

休日、友人カップルと二組で飲んだ。
会話は止まらず、気がつけば周りの席はすっかりと空いていたが、そのぶん飲み食いしたので、不粋な客ではなかったはず。

50代になると、視界の先に人生の終盤となる、入口が見えてくる。
老後の不安を感じたり、健康に不安を覚えたり、まだ起きてもないことなのに、得体の知れない不安に支配されることがあるともいう。

不安の理由は、先が見えない不安にあるようだが、これまで先が見えた人はいるのかな。
そんなに不安なら 「水晶玉」 を買って、毎日見ていればいいじゃんと思うし、不安と困っていることは、本質的に違うわけだから、それは分けて考えたいところ。

老後が不安な人の話を聞くと、健康のための健康を目的にしており、その先の快楽を求めていない。
生きる上で、健康であることは大前提だけど、健康を目的にすると 「人生はセコくなる」 と思う。
脳幹が感じる刺激とか、血液が全身をかけめぐる躍動など、全ては快感を得るための健康であろう。

ボクなら、美味しくお酒を飲んで、楽しく語り合えるためなど、自分へのご褒美が健康の目的となる。
目的がなければ見つけるし、それとも探すし、日常の健康は快楽を満喫できるためのことで、方程式を誤ると、何のための健康で、何を楽しみにしているのかさえわからなくなる。

そっちのほうが、よっぽど不安になるし、本来の不安なんて、土壇場に立たされたときにしかおきない。
それに、老後という言葉を直訳すれば、死を意味すること。
だから、何で 「老後不安」 なのかもわからん。

今、つきあいのある人に共通していることは 「今を楽しまないと後悔する」 そんなタイプが多い。
だからと言って、破滅型ではないし、考えるところは考えながら、出会いが作る運命に任せている。
酒の肴で、こんな話を交わす年齢になったが、人生なんて 「ケ・セラ・セラ」 なるようにしかならん。

冒頭の言葉 「そろそろ、会おうよ」 健康な人間が欲しているのは 「快楽主義」 である。
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2018年02月13日

大人乙女

街は、バレンタイン商戦に一丸となっている。

世の中の多くの仕組みは、カップルを中心に企画されている。
だが年々、恋愛ムードは薄まり、最近は女性同士でチョコレートを持ち寄り、気ままなパーティー気分を過ごすとかで、男性を主役にせずとも、世間が決めたルールに添うこともなかろう。

男の視点でいえば、バレンタインディーは 「遊びの日」 なの。
そうだなあ、エイプリルフールのような 「大人のユーモア」 だよ。

「私はしない主義」 を力説する女性もいるが、距離の近い人だけに 「チロルチョコだけど、食べてね」 ぐらいの、その場こっきりの 「今」 をプレゼントできるのが、余裕ある思いやりだったりする。

だけど、会社だと、女性同士の目線の方が面倒くさくて 「あの人、自分だけ男の人にすり寄っている」 とか言われるのがイヤだから、建前と本音を使い分けている、複雑な女心も知っておかないとね。

最近は、チョコレートも高級指向に誘導されているため、配る人数や懐事情もあるだろうが、ちょっとした気持ちがうれしいもので 「おままごと」 だと思えば、男は単純だから 「胸キュン」 になる (笑)

若さは永遠ではなく、どんなに素敵な女性でも 「おばさん」 になるときは、必ず来る。
いや、おばさんも女性だけど、外見からではわかりにくい、こういう 「乙女な心」 があれば、おじさんは色艶のある内面にときめくだろう。

それは、卒業式の当日、制服の 「第2ボタン」 をねだられているようで、女性があたえてくれる純情と輝きが健在だと、いくつになっても可愛いなと思ってしまう。

こういう女性は、大人としての自信もあるようで、ボクは 「大人乙女」 と命名している。
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2018年02月10日

ボンカレー

週末は営業時間が長いので、仕事前に小腹を満たそうと、何十年かぶりに 「ボンカレー」 を食べた。

どこの家庭でも一品はあろう、おふくろの味は違い、食べ盛りの少年期は夜中に腹が減って目覚めて、台所でボンカレーなどのレトルトをあさり、同時にコーラで腹を膨らませていた。

ひとり暮らしの頃、冷蔵庫は飲み物だけで、台所で料理を作ることはおろか、お湯を沸かすこともなく、生活感のないモデルルームのような部屋で、外食一辺倒が長かった。
そのライフスタイル、結婚により変わり、いや、変わったから、結婚したとも言えよう。

ソウルフードではないが、夜中に腹を空かせて台所をあさったときに食べた、ボンカレーは懐かしさと、大人に成長して食べるであろうおいしいものに、期待を膨らませた 「レトルトの原点」 となる。

昔は今ほど、食が豊富で便利でなかったので、お腹が空いていたから 「おいしい」 と感じられた。
空腹こそが 「最高のグルメ」 だった。

そういう意味で、とどまるところを知らない 「食いすぎ文化」 は、素食を忘れさせてしまうと思う。
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2018年02月09日

アルマーニ ? 

8日 自宅でサンドイッチとコーヒーを口にしながら、夕方のニュースを見ていた。

銀座の公立小学校で、一着トータル8万円のアルマーニの制服を着用させる否かで、物議を醸してる。

校長は 「ビジュアル・アイデンティティーを高め、グローバルなんちゃら、ホイホイ」 そんなことを言っているようだが 「馬子にも衣装」 も大概にしないとな。
そのうち、給食も 「ミシュラン」 みたいなことを言い出すぞ。

高学歴や富裕層に、共通している欠陥はここで、安易に子どもに買い与えすぎること。
ガキが寿司屋で特上を食べながら、生意気な講釈を垂れていたり、新社会人が新幹線のグリーン車でふんぞりかえっていたりするのは、こういう発想からおよんだ性格の子どもであろう。

その前に、親が鈍感になると思う。
例えば、高校生の娘が高級ブランドを持っていたら、普通は 「怪しいバイトをしてるんじゃないか」 とか 「年上の男が、娘に高価なプレゼントをして、好意をもたせたのか」 ぐらいは考えるはず。

だいたい 「自分の娘が、どれぐらいのお金を所持しているか」 ぐらいはわかるだろう。
少し不安に感じ 「それ、どうした」 と聞くと 「友達から借りた」 と答えると思う。
おいおい、そんな高価な宝物を、いくら友達であろうが、平気で貸すわけなかろうに。

そういうところからして、不自由なく育ったエリートは見抜けず、都合よく 「信じている」 で見過ごす。
昔、少しヤンチャをした親のほうが、このあたりの勘は鋭いから、かんたんにウソを見破るからね。
それに、小娘がシャネルを着ても、顔はかわいいが内面が幼いから、浮いて見えるだけ。

大人になって、自分でブランド品を得た喜びがないと、幼くして高級品に目がくらむようになってしまう。

年齢と分相応なものを身につけさせるのが教育だし、ガキに、何が 「アルマーニ」 だ。
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2018年02月08日

雪天の友

新潟市中央区の最低気温が氷点下となる 「冬日」 が、7日を入れて19日連続だという。

この最低気温の推移は、1986年以来、32年ぶりの長さだとか。
ここ10年ほど、1年間の寒暖差が激しく、冬は異常に寒く、夏は異常に暑く、秋と春が極端に短くなり、そのうち、冬と夏の 「2シーズン」 になるんじゃないか。

厳冬と大雪が続くと、日常生活に大きな影響を及ぼすばかりか、通常の商売にも打撃がこうむる。
しんしんと降る粉雪を見上げ、雪が解けきらない凍った道を慎重に歩き、体感温度に身をよじりながら、店へ向かう途中で 「こんな日にお客さんは来るのかな」 と思ってしまう。

「雨天の友」 という言葉がある。
「晴れた日は人が集まるが、雨の日に来てくれた人こそ、本当の友人かも知れない」 そんな意味だ。
言いなぞれば 「いいときはだれでも近寄ってくるが、逆境のときに寄り添ってくれるのが真の友」

商売も同じで、雨の日、風の日、雪の日の来店に情がなびくのは、理屈ではない。
こういう日に足を運んでくれた、行動の重さが宝物になり、感性がつながっていくような温かさ。
入院や不幸のとき 「こんなことでもなければ、知らなかった心の温かさ」 を感じた人もいるだろう。

毎年、この時季は、雨天の友ならぬ 「雪天の客」 に、まだ早い 「春の到来」 を感じる。
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2018年02月07日

ミシュラン

飲食店を星の数で格付けし、世界的なステータスを誇る、ミシュランガイド。

最近では 「自然で寛げる環境で、自由に食事を提供したい」 として、それまでの評価や掲載を拒み 「三ツ星」 を返上する一流店も出てきたという。

背景に覆面調査員に扮したお客さんの重圧、緊張感で空気が張り詰めたり、飲食店のあるべき空間が権威の虜になっていたりすることに疑問を呈し、三ツ星の名声より 「おふくろの味」 にも似た、食卓の雰囲気を求める方向に、シフトチェンジして来たんじゃないかな。

不思議に思うのは、その店が自ら 「ミシュラン候補」 に名乗りを上げる、エントリー制ならわかるけど、勝手にピックアップされ、格付けされていたのなら、こういう意思表示の仕方も当然の成り行きだろう。

一頃、大手運営サイトのクチコミガイドに代表されるように 「一億総料理評論家」 の時代が過熱した。
頼んでもいないのに、勝手に点数をつけられ、匿名の下手な文章で論評される。
箸の持ち方が怪しいのに、日本料理を饒舌に語り、テーブルマナーが見苦しいのに、自分の舌は 「ゴットタン」 だと、妙な使命感に燃える始末。

最近はさすがにそれに気づき、下火になったが 「歯に衣着せぬ物言い」 も責任を持てるならいいさ。
だが、そうでなければ 「黙して語らず」 が筋というものではないだろうか。
まるで 「センズリ」 を覚えたガキが、日夜 「エロネタ」 を探すため、街を徘徊しているように思える。

一緒に楽しく食事をしているのに 「クソマズ」 だ 「ゲロマズ」 と言っていれば、みんながイヤな気分になるし、うまい、まずいは個人の嗜好で、口に合わなければ、次は来なければいいんだし、ボクはあまり料理を作らないから、星の数なんて気にもしない。
星の数で食べなきゃ損だとも思わないし、第一に 「クレーマー気質」 のような食べ方は不健康だろ。

不衛生なモノを出されたり、通報レベルの不味さならわかるが、今の時代そうそうあるもんじゃない。
それなら、お店に敬意を持ち、おいしそうに食べることが、外食、食卓問わずに、幸せな時間だと思うし、書くことを前提とした食事は、気分的においしいであろうか。

仮に 「グルメリポーター」 として、趣味で書くのであれば、書き方というものもある。
本当のグルメだったら、その前に経験と勘が働き、最初からそういうお店には行かないよ。
会社で接待を経験したことのある人なら、こういう機微はわかるんじゃないかな。

日常の素朴な食事に敬意を払えないのが 「ミュシュランガイド」 の味をわかるなんてありえない。
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2018年02月06日

無題雑記 118

また、大型寒波が予想されている。

5日 午前中の携帯電話に朗報が入っていた。
婚約中の男性客から 「今朝、某市役所に婚姻届けを出してきました」 と。
「肉声に勝る伝達力なし」 と、時間を見計らって祝辞を伝えた。

品薄の国産ウイスキー 「山崎」 が、イオンに数量限定で棚だしされていた。
当店の在庫が、残すところワンフィンガーだったので、迷わずに一本手にした。

95年 山崎の有名なキャッチコピー 「なにも足さない、なにも引かない」
「いい原酒を割るのはもったいない」 触れ込みながら、近年はソーダ割りを推奨しているほどだから、いつのまにか節を曲げて現金なものだ。

妻が台所の 「包丁の切れが悪くて困る」 と嘆いていた。
自宅の包丁とぎ器ではなく、店の砥石で研いてあげたら、新品のような切れ味となり感謝された。
料理は満足に作れないが、周辺のことなら少しは役立つようで、調子に乗って三本も仕上げた。

現在、理由があり、地元新聞と全国新聞の二紙を併読している。
月一単位の月曜日は、発行協定でもあるのか、休刊日が統一されている。
斜め読みながら、新聞を手にしないと、何となく日が抜けたような気がする。

静かな真夜中の雪道に 自分の足跡だけをつけて歩く、子どものような快感。
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2018年02月05日

マル秘映像

週末の土曜日、高校時代の友人が二人で来店してくれた。

当然の流れで、何回も話したであろう、昔話も多くなる。
武勇伝や失敗談、失恋話や性に目覚めた話など、ネタはいくらでもあるから、話は尽きることない。
それに酒に酔っていれば、同級生を免罪符に好きなことをしゃべれるからね。

今となれば、思い出話に真偽は問われないし、それについて自分の思い出を付け加える程度だから、だれも傷つかなく、あやふやな記憶の寄せ集めで、おたがいを推測しているだけのこと。
その受け止めかたも、慣れたもんだから、いちいち気兼ねせずに堂々と楽しめる。

それが内向的なタイプだったり、封印したい過去があるのなら、顔を合わせたいとは思わないだろうし、何しろ35年前の記憶だから、途中で再会したことがなければ、おたがいのイメージはそのままだろう。
当時を割り切り 「何歳のつきあいだったか」 で話の行方もだいぶ変わっていく。

ボク自身、中学と高校では、人によって印象が違うようで、反感と共感を繰り返しながらも、その時代の感情でストレートに生きたわけだから、年齢にウソはなく、トータルとしての今がある。
友情は付け合せの中で 「あいつらしいな」 と思われたら、おたがいの個性は伝わっているんだ。

出会った年齢と環境の印象は仕方ないが、自分をあらためて振り返る上で、どこを切っても表情のない 「金太郎飴」 だったら、これほどつまらない人生もない。
部分を見て、そのあとも見てくれた友人だからこそ、語られたい 「マル秘映像」 なんだろうね。

PS  開店当初から見守ってくれて、節目の心遣いありがとう。
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2018年02月04日

福は内

節分に落花生を割ったら、童話 「泣いた赤鬼」 に出てくる、青鬼の優しさが心に浮かんだ。

国民的な行事も多くなり、地域の街おこしまで含めれば、イベントに参加しきれないほどだろう。
若者やカップル、ファミリーイベントも多いせいか、ボクは見物人として眺めているような気分だ。

近年、50代でも、アイドルに夢中になったり、ゲームやSNSにハマる姿を見かけるようになった。
趣向は否定されるものではなく、それをきっかけに若い世代と交流ができて、活力にでもなっていれば、根を詰めるほどのネガティブなことは考えないし、生きがいになっていれば安全だ。
コレクションに思いを入れるのも、気分をまぎらわせるし、おちつきの対象になると思う。

かくして、ボクも30代の1年間だけ、フィギュアのコレクションに夢中になった。
そのための専用家具まで用意した、熱の入れようだったが、今ではまじまじとながめるようなこともなく、ムダに自室をせまくしただけで、マイブームは過ぎ去った。
そのときの興味には、徹底的に引き込まれてしまい、もういいかなと思ったらサラッと流す具合にして、日々のストレスをまぎらわしていた。

今は 「何かにハマる」 ことはないが、長年のジャズも自分の直感を信じたアルバムしか購入しないし、本は長年の習慣でノンフィクションを中心に、この先も価値観に添って手垢をつけていくだろうが、本の収集癖はないので、興味を正直に追いかけて、息抜きにできる気楽さが大事だと思っている。

それを次元の高いものだと思ったことはないし、音楽であれ、本であれど、アイドルグループだろうが、ネット配信ゲームであろうが、抵抗なく受け容れられるのが、自分に合ったストレス解消法であろう。

そういう時間を持てるようになると、リラックスした自分の本質がわかったり、自分は何に影響をされて、何をやりたいのかと、退屈な日々を送ることはなくなるんじゃないかな。

それこそ 「福は内」 の福は、選択するものでなく、自分の内面から自然と湧き出てくるものかもね。
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2018年02月03日

10年を前にして

こんな 「サイエンス」 な話を聞いたことがある。

人間の細胞は、約60兆あるが、7年周期で全て入れ替わるので、体内は別人に変化しているという。
細胞の変化がもたらす、容姿による精神への影響も少なからずあるだろう。

古い映画のタイトルを例にあげれば、マリリン・モンロー 「七年目の浮気」 は、7年周期の細胞が入れ替わったから、7年前の男女ではないので、理屈の上では浮気の言い訳になるのかな (笑)

まあ、伏線はこれぐらいにして、ここから本題へ入る。
店は、その7年を優に越えて、今月の22日で 「開店10周年」 になろうとしている。

開店から、常連客の来店頻度たるもの、時代とともにフェイドアウトする。
言い換えれば、その時代の 「ランニングパートナー」 のようなもので、一定の時期は蜜月だったが、 ランニングコースの分岐点で、おたがいの交通標識を見つけて、それぞれ二方向へ別れる感覚。
すると数キロ先の給水場で偶然再会し、また伴走をするようなときもある。

お客さんとの関係は、往年のヒット曲、金井克子 「他人の関係」 のように 「会う時にはいつでも、他人の二人。夕べは夕べ、そして今夜は今夜」 そんな気ままな関係でいい。
それが 「安全な距離」 で、同じ善意でも、急に親しくなった関係ほど、有償の善意だったりする。
それも現実だから、仲を結びつけるものは、結局のところ 「無償の善意」 なんだよね。

お客さんから 「キリがいいから、10周年記念パーティーでもしないの」 と切り出された。
温かい言葉に感謝をしながら、ボクらの出した答えは 「特別なことはやめておこう」 
仮にするとしても、露骨に自分への損得を考えるようではダメだし、そこにメリットがあろうがなかろうが、対人関係は平等にしておかないと、後々おかしくなってくるものだ。

なぜなら 「あの人には声をかけたけど、私に誘いはなかった」 と根源的な嫉妬感情がおきる。
だから、人物画像などを公開しないのは、複雑な思いを抱かせたくない配慮からなんだ。
それに 「あの人、最近は見えないな」 と思っていたら、家計簿が変わっていたリ、仕事や家庭、介護や教育費などで余裕がない、もう飽きたという理由まで含めても 「人には事情がある」 わけだ。

過去に敬意を持ちながら、大事なのは 「今」 である。
文章にするとむずかしく思えるが、云わんとしているのは、とてもシンプルなこと。

細胞は新陳代謝しており、人の心と置かれた場所は、時代とともに変わると思えば、誰も傷つかない。
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