2017年11月15日

新潟 Zoo

「新潟に動物園を作る会」 の署名が20万人を達成し、県や市に協力を要請したとの報道があった。

財政や管理など現実的な面は別として、3年ほど前に署名したからには賛成ではあるが、新潟の未来と子どもたちの情操教育のために、観念的な要請だけが先走ると根拠が乏しいものになる。
観光客の誘致とも言うが、運営側となる 「新潟の県民性」 に触れておきたい。

「保守的」 だ。
新しいモノには飛びつくが、飽きて離れるのも早いし、せまいエリアで、目先をコロコロと変える。
ゆえに、新潟県民が 「マリンピア日本海」 へ行く頻度はどのくらいか、リサーチすべきだろう。

過去に閉園した 「ワンワン動物園」 などの施設同様、命をあずかる倫理観を思えば、審議は慎重にならざるえないし、動物園のない県は、新潟と岐阜だけの発想なら、本末転倒である。
難しいことを書く気はないが、動物のセラピー効果は実証されてるし、実際に動物園は心が洗われる。

東京在住時、上野動物園を散歩するのも、独身時代の楽しみだった。
閉園2時間ほど前に行くと、家族連れが引き出し、それと入れ替わるように入園すると、静まりつつある園内に動物の鳴き声が響き、風と共に野生が薫る中、ゆっくりと見て歩く時間が癒された。

前半は肉食動物にテンションをあげられ、後半は草食動物でクールダウンさせられる。
途中、鳥や猿のゲージの前にあるベンチに腰掛けて、ポケットから取り出した、スキットボトルに詰めたバーボンで口を湿らせ、ぼんやりとながめていたりした。

多くは日曜日の夕方で、明日からはじまる一週間を前にして、気分を整理することができた。
人工的なディズニーランドとは感性は異なり、動物園には、命に対する 「畏敬の念」 のようなものが、心を穏やかにさせてくれる。

そこで話を戻せば、規模は別にして、動物園を作るのは情操やロマンを感じるのだが、こだわるべきは 「熱しやすく、冷めやすい、新潟の県民性」 を視野に入れておかないと、命のあつかいはむずかしい。

ものごと、表面上の愛情だけでは判断できないし、作れば、かんたんにやめるわけにはいかないから 「命と向き合えるのかな」 と思ってしまうんだ。

このあと、やることもないから、もう少し書こうか‥

小学生のころ、捨て犬や捨て猫を拾ってきては、街角でダンボールを敷いて、飼い主を募っていた。
そんな子犬をあげるとき、いつも 「この人は、ちゃんと守ってくれるかな」 と思った。

そうは言うものの、ボクは愛犬の尊い命を不注意で失ってしまい、今もそのときのトラウマがあるのか、あまり動物には触れないし、そのメスの愛犬に残存的な気持ちがある。

そのときと同じ気持ちにならないと、単なる署名だけで終わるだろうし、県民の理解と応援がなければ、維持はできるはずもなく、命をあずかる覚悟がなければ、動物園なんてやめるべきだろう。

つまり、署名は 「条件つきの賛成」 である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする