2017年11月05日

101 歩

現代社会、効率と充実を重視した 「働き方改革」 が推進されている。

骨子は定まっていないが、これまでの社会は格差の洗脳をいいことに、働き過ぎだったと思う。

いや、働き過ぎというより、雇用における主従関係が意識改革と称した 「精神訓話」 に置き換えられ 「論理的な思考」 にとぼしく、上の顔色ばかりを見て、仕事をしていたと思える。

昭和の高度成長期の 「団結主義」 を、いびつな形で押しつけた 「団塊世代」 の責任は大きい。
それを安易に継承した 「われわれ世代」 にも、問題はあろう。

彼らは決まって、大きく息を吸い込み、腹の底から根拠のないことをこうまくしたてた。
「オレのやり方にさえ従っていれば、結果は出るはずである」 と、妙な絆を強調する浪花節。
自己陶酔型のリーダーに嫌気がさし 「もう、ついていけない」 と、ネクタイを外した人も少なくない。

ボク自身、20年あまり、勤務した会社の多くは 「ブラック企業」 に近かった。
断わっておくが、反社会的、倫理感を極端に逸脱したものではなく、多くは会社という 「箱庭」 の中で、社内政治家のような人物に、振り回されたというのが、大半の現状じゃないか。 

意外なことを言うようだが、そういう経験も考えを形成するのに、役立った面がある。
そこで、100歩譲って考えて、男なら少しぐらい、ブラック企業で鍛えられるのもいいんじゃないか。
社会通念上、いらぬ回り道をさせられないが、もし経験したら、そう切り替えないとやりきれないだろう。

理不尽で無茶苦茶な環境だから、大人として何かを学べて、いづれ後輩にもやさしくなれると思えるし、それは決して 「引き算」 だけじゃないと思うわけ。

自分がされていやだったことを、今度は自分がして、権力を笠に着て好き勝手なことをするか。
それとも、自分がされていやだったことは、人にはせず、凛とした判断で自由を手にするかだ。

だからと言って、巻き込まれるも、巻き込まれないのも、その人の人生なんだろうな。

踏み絵のようだが、100歩譲っても、101歩は譲らないという、最後は気概があるかどうかだろうね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする