先日、芥川賞と直木賞の発表があった。
「月の満ち欠け」 で、直木賞を受賞した 「佐藤正午」 (61歳) の小説 「人参倶楽部」 は、3年前に読んだことがある。
短編小説を得意とする筆者の本編は、深夜営業のバーを舞台にした人間ドラマを描く。
物語は、夜な夜な事情のある客たちが、他愛もない会話を交えながら、自身の影なる人生を語りだす。
そんな、内容だったと記憶している。
無雑作な本棚に書籍がないので、きっと大量処分に混じったのだろうが、タイトルと作者、エピソードを覚えていることは、共感のできる 「いい小説」 であったに違いない。
自分の勘に、何の根拠もないが、小説家やジャズ奏者で 「あっ、この人、来るだろうな」 そんな直感が当たるときがある。
それは、よいこの見本市のように 「お上手」 「お行儀」 だけでなく、未来を感じさせる、本人の個性 (センス) がないと、印象は伝わらない。
漫然と美文を書きたければ、情報誌やカタログ本のように、規定の文字数で完結させるほうが楽だ。
だけど、文字の羅列、本音ではないことは記憶に残らないし、大切なのはセオリーに 「プラス」 本音の発想なんだと思う。
作品に早咲きも遅咲きもないが、地道に活動した人の功績が認められるのは、人生の渋味を感じる。