2017年05月15日

続 ふるさと

5月1日にアップした、タイトル 「ふるさと」 に関して、自分に不思議な気持ちが宿っていた。

あの文を要約すると 「地元愛で凝り固まる、陶酔感がなじめなかった」 と記した。
今も印象は強いもの、骨を埋める覚悟をしてから、気持ちが変化してきたことを末尾で締めた。

そもそも 「新潟に恩返しをしたい」 「新潟愛のためになんちゃら」 など思ったことはない。
地元愛を臆面もなく、枕詞にしすぎる人は 「他の世界を知らない」 ように思えて、純朴さはいいけど、仕事に私情を持ちこみすぎたり、知らぬ人への思慮が足りない気がするときもある。

人情的に割りきれないが、地元意識がけじめのなさに変わり、男芸者の衆に成り下がるような。
郷土に咲かせようとする花は同じでも、土壌 (土地) の仲間意識が強すぎて溶けこみ難い。
傾向的に、上の世代ほど強いが、酸いも甘いも噛み分ける 「親分肌」 ほど、そのバランスはいい。

「こだわりのない新潟人」 だから、わかることもある。
だけど、県外から転勤で移住してきた人達に 「新潟はキライだ」 と言われたら、逆に 「おまえさんは、新潟をどこまで知っているんだ」 と問いたくなるのは、根っ子が 「新潟好き」 なんだろうね。

家庭も同じで、子どもは成長するたびに、親のことがわかるようになる。
親愛を抱くものの、感性が不信を嗅ぎとることもあるが、親の悪口を言ってもいいのは子どもだけ。
大切なのは、親のプライドを他人に好き勝手に言わせたら、子どもとして失格なんだ。

その意味で、新潟人は新潟人だから言えるわけで、県外の人に好き勝手に言わせたらダメだ。

そういうのが 「県民のプライド」 だと思うけどね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする