2017年05月06日

本棚整理

5日 日頃、なまけている、自室の掃除をした。

全体の掃除の大本は、妻が手際よくやるので、ボクの役割は狭い範囲になるが、追いまわしが多い。

ついでに、本の整理もした。
本棚に乱雑に放り込んである全ての本を、いったん部屋の真ん中へ無造作に集めて、本の形状ごとに仕分けして、残す本と捨てる本を選択する。

乱読タイプなので、ジャンルは幅広く、精神安定剤の代わりに、その日の気分で紐解く本は異なる。
読む割には、難しい本は読めず、あらためて整理した本棚を眺めると、背表紙は一貫していない。
まあ、特別なジャンルに固まらず 「自分の興味に正直になっている」 だけのこと。

人から 「趣味は読書と音楽鑑賞(ジャズ)ですか」 と聞かれるが、昔から空気のように触れてるから、趣味の意識はなくて、そうするとボクは無趣味でつまらない、ただのおっさんかも知れない。
うーん、趣味というより 「何に興味を示すか」 そんな好奇心のほうが、大切だと思うけどね。

せっかく、本棚を整理したので、この状態を維持しなければ。

こうして、よく晴れた日に掃除ができるのは、元気だからこその小さな幸せなんだと思える。
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2017年05月05日

あいつだ

GW 真っ只中の4日も、過ごしやすい日中だった。

万代シティの交差点で、地元アイドルらしき、イベントが行われていた。
特設会場の人ごみを抜け、バックステージを通り、何の気なしにスタンディングの観客に目を向けると、多くの男性ファンが声援と歌の合いの手を入れながら、熱狂している姿があった。

よくある光景を目に 「このパワーを方向転換させたら、風力発電も可能じゃないか」 と感心してたら、一瞬自分の目を疑い、思わず観客のひとりを二度見した。
「えっ‥ あいつ、高校時代の一学年下の %#$! だよな」 と目を凝らした。

「間違いない、あいつだ」 と思うも、会話をするほどの関係でもないので、アイドルに声援を送る勇姿に懐かしさを感じながらも、素通りをしたが、まあ 「スペシャルな男」 であることに変わりない。
それまでも、街で何度かすれ違ったり、意外な場所で目撃したこともあるから、懐かしいと言いながらも、時代ごとに 「姿かたち」 が変化していく様子を見続けていた、彼は御年51歳。

12年ほど前に一度だけ 「オスッ!」 と声をかけたら、まるで汚物を見るような顔をされて、逃げられたことがあるから、それからは、見かけてもほっといてるんだけどさ。
だけど、自分の名誉のために言っておくが、通学電車の中で、助けたことがあるのを忘れたのかな。
「貸しはあっても、借りはねえ」 と言いたいけどね (笑)

まあ、アイドルに声援を送る姿を見て、今も元気な証であることに気分は落ちつくものの 「おまえ、今、何やってるの」 と肩を叩いたら、どうせまた、変な顔をして逃げるんだろうな。
今度見かけたら、後ろから 「オリャー」 と叫んで 「キンタマ」 を鷲掴みにしてやろうかな (笑)
こういうのって、いつまでも少年のようなもので 「変わらぬ愛嬌」 なんだけどなあ。

えっ? 「人のキンタマ握っておいて、何を言いやがる」 って ‥  だから、オレは嫌われる。
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2017年05月04日

Light & Color

3日 どこかへ 「さすらいの旅」 に出かけたくなるほどの、気候に恵まれていた。

シャワーを浴びて、アイスコーヒーを口にしながら、ぼんやりと空をながめる。
洗い立てのシャツに袖をとおし、肩にトレーナーをはおり、スニーカーをはいて、自転車を走らせる。

5月の 「光と色彩」 に満ちた、万代シティを上機嫌に歩く。
舗道には、色とりどりのチューリップが咲き、若いカップルが、肩を寄せ合い歩く横断歩道。
若い女性たちは、原色のコーディネートも増え、街はひときわ 「ライト&カラー」 に映える。

そのシチュエーションを、CM風にたとえるなら 「マイピュアレディ」
街のいたるところに、初夏を感じさせるような女性が、現れそうな予感がする。

年甲斐もなく、このおっさん、何を書いているんだろうね‥ まったく!
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2017年05月03日

予定なき

立春から88日が経過した、5月2日は 「八十八夜」 で、気候が最も安定する頃だとか。

ちょっと、さびしいかなあ‥
GWを実感するのは、たまに深夜に立ち寄るコンビニの恒例 「おにぎり百円セール」 だったりする。

GWの深夜、思いの外に、街は静かだ。 
地元を出払っている人、日中に余暇を充実させる人、昼と夜のコントラストはハッキリしている。

万代の生花店で、ダリアを基調とした花束を、懇親な夫婦の記念日に贈る手配を済ませた。
その後、カフェの窓辺に座り、舗道のチューリップや通行人、車道の車の流れをぼんやりと眺めていた。

7日まで 「5連休」 の人は多いだろう。
下り方面の渋滞は、今日3日がピークだろうし、街中で県外ナンバーも多く見かけるようになった。

さて 「予定なき男」 にとって、日中はコーヒーの香りとともに、リラックスした時間が流れるだけ。
急な思いつきで、行動が変わることもあるが、相変わらずの毎日が、頑としてそこに控えている。

それでも、毎年のGWは恒例 「キース・ジャレット・東京公演」 を聴きに出かけていたが、今年で御年73歳になるキースは、ここ2〜3年は音沙汰なく、ボクが求める 「一番近い音」 が聴けないでいる。

今の楽しみは最終日、妻と食事へ行くことぐらいで、あとは変哲もない連休を消化するのみ。
個人的に連休明けから、私生活が忙しくなり、睡眠時間を削る日もあるが、詳細は濁しておく。

極めて、シンプルなゴールデンウイークである。
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2017年05月02日

買い替え

自宅のビデオデッキのハードディスクが故障したため、新潟駅前の大型家電量販店で新品を購入した。

ボクは大してテレビは見ないが、妻が映画やドラマが大好きで、録画頻度は毎日フル稼働に近い。
それにしても、家電品は高性能となり、使いこなせるまでひと苦労だが、ボクのようなアナログ人間には生きて行くのに困らなきゃいいレベルでおちつく。

必要最低限、三種の神器と称された、テレビ(パソコン) 冷蔵庫 洗濯機に加え、冷暖房機ぐらいだし、あまりモノへの執着はないんだ。
それに、断捨離傾向にあるので 「便利に使われる」 こともなくなった。

昔でいう 「シロモノ家電」 は、女性の方が詳しく、男はオーディオなど、趣味の延長線上にある製品に目を向けるが、飽きが早いのも男の特徴だ。

女性はメカや配線には弱いけど、製品を丁寧に使うから、減価償却が終わっても、モノ持ちが長い。
わが家もモノ持ちは長いが、家族構成に見合った性能で、大それた家電を必要とすることはあるまい。

まあ、還暦になったら、マッサージチェアーが欲しいかな。
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2017年05月01日

ふるさと

新潟市出身の文学作家 「坂口安吾」 は無類派として、その名を残している。

作品に触れたことはないが 「ふるさとは語ることなし」 の名言だけは知っている。
故郷、新潟への皮肉や反発、愛情や望郷、どちらの意味にもとれるが、慕情的に思える。

ボクは家庭の都合で、東京と新潟を何往復かして、東京からの転校生として、母親の実家がある新潟の下町 (しもまち) で育った。

時は高度成長期の頃、住まいは環状7号線と甲州街道、井之頭通りにほど近い世田谷で、まだ規制が緩かった光化学スモッグと、車の排気ガスが立ちこめる街。
だが一変、新潟に移り住むことになり、友達と別れなきゃいけない、素朴な寂しさを初めて味わった。

夕方5時に鳴る、新潟造船所のサイレンを時報代わりに、鉄さびと潮の香りが入り混じったような町。
西の防波堤に腰かけて、信濃川の河口から、海に向けてゆっくりと過ぎ去る佐渡汽船のカーフェリーを眺めながら、子ども心に 「このまま、新潟で暮らすのかな」 とぼんやりと考えていた。

というのも 「この町は東京とは違う」 とガラの悪さに対する防衛本能が働き、結果として柔道を13年も続けたんだから、いかにシンプルな動機だったかわかるもの。
子ども心にありがちな 「かっこいい」 でなく 「やらなきゃやられる」 そんな思いの方が強かった。

故郷なのに 「よそ者扱い」 されたことへの反発。
下町は知らない人間を無視する風潮があり、そのくせ生活の範囲で人間関係を知る者同士で築いて、それ以外は寄せつけない、ある種の 「村意識」 が残っていた印象がある。

だから、仲がいいのか、悪いのかわからない環境で、買い物に行く店も決まる。
程度問題、客であるうちは、良くしてもらえるが、客でなくなると知らん顔される。
たまに、古町の大和デパートへ家族で出かけるも、そうでない限り、地元を使う濃密さがあった。

それが、下町の義理堅さ、素朴な雰囲気なんだ。
具体的に言えば、八百屋と魚屋はここ、床屋はここという具合に、小さいころから行く店は決まっており、下手に素通りできない 「ご近所の目」 みたいなものがある。
閉塞性は感じるが、地域の束縛感が安全を担っていたのは、確かな雰囲気だった。

10代は新潟で過ごし、そのはざまで会う 「東京の友達」 と比べると、同い年なのにまるで違う。
見た目、TOKIO 「山口達也」 のようなルックスで、流行や情報、あらゆる価値観を柔軟に受け入れ、洗練されたイメージで、その会話に入れないほど、豆知識や性知識も豊富だった。

そこで 「いずれ、東京に戻っておいでよ」 とか言われると、思春期の気持ちが揺れ動き、その意識は次第に膨らみ、東京志向は強くなっていく。
新潟は、縁故社会とはよく言われ、仲間意識も強いのもいいが、縁のない人間とはかかわりあわない、排他的な印象はぬぐえなかったし、新潟市郊外へ行くほど、その傾向は強かった。

まあ、今思えば 「都会への渇望」 もあったと思う。
若さゆえ、裸一貫で上京したことが、少しの人生修行になったし、あのまま、新潟に住み続けていたら、同じ町で同じ顔ぶれとだけつきあい、変わり映えのない考え方にとどまったかもしれない。
きっと事情なければ、新潟へ帰ってこなかっただろうが、それこそ坂口安吾 「故郷は語ることなし」 の心境だったと思える。

読んでないが 「置かれた場所で咲きなさい」 というタイトルの著書を目にしたことがある。
咲かせられないとしても 「この街にいたことが、人のためになっていた」 ことを実感できればいい。
「故郷に恩返しをしたい」 など、心に微塵もないが、仁義は欠いたらいけないとは思っている。

そんな今となっては、地元で骨を埋める覚悟はできているので、新潟を愛せるようになってきた。
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