2017年02月28日

文は人を表す

本屋をながめると、村上春樹の新刊 「騎士団殺し」 上下巻が、山積みにされていた。

過去、何冊か背表紙を押し上げたが、比喩や描写に独特の表現が印象的だった。

紀行文 「もし僕らの言葉がウイスキーであったなら」 (村上春樹) から。
ウイスキーの聖地、スコットランド、アイラ島の南東部にある、ラフロイグ蒸留所をたとえていた。
ラフロイグは、ピートの効いたスモーキーな香りと味わい、潮の風味を感じさせる個性派ウイスキー。
10年モノを、ジョニー・グリフィンが加わった、セロニアス・モンク・カルテット。
15年モノは、ジョン・コルトレーンが加わった、セロニアス・モンク・カルテット。
(ジャズファンにしか、わからない表現だけどね)

ウイスキーは、好みや気分で欲するだけで、年代に個性の違いがあることを強調。
単なる説明だけで、終わらせるのではなく、そのたとえにセンスが光るんだ。

他にも、ベストセラー長編小説 「1Q84」 で、こんな表現をしていた。
「すずめの群れが、不揃いに電線に止まり、時折、音符のように絶えず位置を変化させていた」
(うろ覚えで、正確性に欠けるが、こんな文章だったと記憶している)
こう比喩するのは、彼ならではの華麗でミステリアスな描写だよね。

ボクはメロディアスな文章より、リズミカルにページを読み進めたいので、過剰な表現で展開を滞らせる文章は好まず、それが物語の伏線になるにしても、伝わる表現じゃないと読み飽きてしまう。
ゆえに、長編小説を手にするときは、少し慎重になる。

個人的に、村上春樹の長編小説より、短編小説やエッセイの方が、しっくりくることは前にも書いた。
それは、テイストの違いでしかないが、息抜きに活字に目を通しているだけだから、変なプレッシャーを感じながら、活字を無理に読んでいることはないんだ。

村上春樹のファンを 「ハルキスト」 と呼ぶらしいが、当の本人はあり余る人気に気負らず、表舞台に立ちたがらないので、どこか 「野心」 のない存在に、生彩を与えているようにも思える。

何しろ、作家になる前の職業が 「ジャズ喫茶のオーナー」 だから、わかるような気がする。
喫茶といっても、夜はアルコールを出していたから、バー併用の二毛作営業。
ジャズに詳しいけど、不要な使命感に駆られたり、知識をひけらかしたり、議論を吹っ掛けたりもせず、人の気持ちに重きを置いた人物だったらしい。
ボリュームは、会話の邪魔にならない程度で流し、強ぶる個性を無理に主張するわけでもなく、気軽な空間だったらしいから、難しいことをやんわりと語る、優しいお兄さんのイメージが浮かぶよね。

「文は人を表す」 と言うが、村上春樹に触れると、どこか知的になった気分になれるんだろうな。

ボクは、小説などのフィクションより、ノンフィクションを読むことが多いんだけどさ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする