2016年12月31日

無題雑記 66

今日は大晦日。
肩から上腕にかけて、年末の疲れが貼りついている、そんな午後2時の起床だった。

本町市場まで、買い物の足を延ばし、台所休みの買い出しを終えた。
わが家は喪中なので、正月は地味にのんびりと過ごしていたい。

録りためた番組もあれば、しおりをはさめたまま、投げっぱなしの本も数冊。
どうやら、寝正月はおろか、惰性な正月で終わりそうだ。

今の時刻は、午後8時。
これから、見るでも見ないでもない、テレビをつけながら、ゆっくりと年越しである‥  まぁ、いいか。

来年もよろしくお願いします。
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2016年12月30日

秘する愛

東京から取り寄せた戸籍謄本を見て、思わず吹き出してしまった。

8月に父親が他界したが、まだ若干の手続きが残っている。

本籍は渋谷。
長男である、ボクの出生日と両親の婚姻届けの日付からわかったことは、できちゃった結婚だったこと。
幼い頃 「おまえは、橋の下で拾ってきた子だ」 など、本当かウソかわからないことばかり放言していた父親だから、それだけ笑いもひとしおだ。

ボクぐらいの年齢にもなれば、避けては通れないことが、親の介護と看取りである。
そのとき 「出生の秘密」 を知らされることがあるという。
知人の中には、余命を宣告された父親から、母親が違うことを知らされたり、本当の父親がだれなのかわからない、またはいきなり兄弟が現れたとか、今さらなんてこともあるらしい。

今生の別れまで隠し通すか、それとも真実を明かすかは、親の心としてはからえばいいと思う。
もう、聞き分けのない年齢じゃないから、何をどう聞かされても、そんなにうろたえることはないだろうし、マジックのタネを明かされた気分であろう。
大切なのは、家族だからこそ、秘密が一つ二つあるわけで、口が堅いのが 「家長の努め」 である。

それでも、無縁にしなかったんだから、そういう親は立派だと思うんだ。

その意味で 「秘する愛」 なら、いいだろう。
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2016年12月28日

我思う故に我あり

昼下がりに目を覚まし、シャワーを浴びて、コーヒーを飲みながら、新聞を広げる。

こんなあたりまえの日課がボクの幸せだし、そんなことが日常の気力をささえていたりする。

22日 糸魚川市の中心部で発生した大火災により、住民はそのあたりまえをいきなり失ったんだから、避難が長期化する被災者の心中を察すると心苦しい。

「日常は奇跡だよね」 と表現した女性客がいた。
人は積極的に欲望を満たすべき反面 「もう、これぐらいでいいんじゃないか」 と思う自分もいる。

一般的に50年も生きれば、家庭を持ち、移動に困らないマイカー、小さいながらマイホームもある。
住宅ローンはあるけど、今まで得たモノで、ほどほど満たされている。
休日は趣味にいそしみ、仕事帰りに雑談のできる酒場でもあれば、公私に存在意義もあろう。
それに、自分の身の丈に置き換えれば、そろそろ、この程度で良しとしなきゃと思うころ。

それでも、満たされない気持ちがあるのは、人と比べるからだろう。
自分より裕福な人を対象に見るから、常に満たされないと思うのであり、年の瀬に火災で焼き出された人たちの心中を思えば、そんな比較は 「バカバカしい」 ことに気づいてもいいはずなんだ。
だから 「他人の生き方は他人」 「自分の生き方は自分」 それでいいんだと思うよ。

個人事業主は、それほど一緒に仕事をする仲間はいないから、孤独といえば孤独だ。
だけど、それを選んだのは自分だから、人をねたんだり、うらやんだりはできない。
全ては自分にかかってくるわけだから、その対象は 「他人どうこう」 じゃないからね。
つまるところ、あたりまえに店を開けることが、小さな生き甲斐になるんだ。

今年2016年 自分を総括する意味で、その先にあるものなんてわからないが、他人の目など気にせず自分は自分であればいいと思う。

そうすることで、日常が奇跡と奇跡でつながり、良縁だけが残ると信じている。
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2016年12月27日

Memory

クリスマスツリーをかたづけたら、店内が少し寒々とした様子に映った。

昔から、この日を境に、質屋 (リサイクルショップ) などの買い取り専門店が忙しくなると聞く。
理由は説明するまでもないだろう。

資本主義において、多くのモノを手にした (できる) 現代では、プレゼントに不感症になっている。
プレゼントで気持ちを満たせても、不感症も進行するから、モノだけでは、人の気持ちは支配できない。

それに、高価なプレゼントが愛情の深さと思うのは錯覚で、むしろ相手に精神的な負担をあたえるから、その重さに破局をもたらすこともあるだろう。
このあたり、モノより記憶で、そんなに形は重要ではない気もする。

それなら、コンビニカフェのプラスチックカップを飲みながら、夜の寒い街角を一緒に腕を組んで歩くのも素敵だと思うし、寝る寝ないではなくて、体の一部に触れ合えることが、おたがい心地よかったりする。

まあ、肌と肌が触れ合う関係になって、初めてわかることもあるだろうが、精神的な距離が大切だから、モノより二人だけにしかわからない 「特別な記憶」 ということになろう。
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2016年12月25日

先手告白

世の中の多くのイベントは、カップルが中心である。

先日、同い年のお客さんが、40歳の未婚女性を連れて来店。
その際 「真面目に結婚を考えているので、だれかいい人いないかな」 とたずねられた。
ショートカットでスレンダー、色白な美人系にありがちな、ツーンとすましたところもなく、おちつきを払い、独身でいることがめずらしいタイプだ。

実は、美女美男ほど、恋人がいないことが多い。
なぜなら 「拒否されるだろう」 「相手がいるに決まっている」 と決め込まれてしまうからだ。
なまじっか、容姿がいいと相手を遠ざけてしまうし、恋愛は無意識に自分の容姿と比べてしまうから、 素直に告白をできないこともあるだろう。

恋愛に大切なことは、相手にスキをあたえることかと思える。
たとえば 「部屋の家具を移動したいから、力を貸してほしい」 「迷っているから、買い物につきあって」 とか、今日クリスマスなら 「一緒に過ごす相手がいない」 ぐらいの、パーソナルスペースを広げると、相手は飛びこみやすいというかさ。

ボクらの世代は、単純明快だから、そんなことでも言われたら、スキップしながら行くと思うよ。
それが、40歳前後であれば、変にモジモジするか、マッチョに背伸びしそうだし、30歳前後にもなると、自己防衛をしすぎて、その低温さに女性が張りあいをもてなくなるような気もする。

近年、女性が強くなった理由には、男がグズグズして、何を言いたいかわからないから、その硬直した真面目さを失わせるための、肉食化現象であると思える。
いつの時代でも、告白は男性からで、女性はスペースを作っておくことじゃないかな。

冒頭の未婚女性には、早く 「告白したモン勝ち」 だと思うね。
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2016年12月24日

無題雑記 65

最近、心地よい疲れに見舞われているせいか、食後にベッドへ入るとすぐに眠れる。

そのため、いつもより目覚めも早まり、弱い光が射す冬の昼下がり、自転車を走らすことも多くなった。

早くも 「よいお年を」 と挨拶を交わす、子連れのママ友らの姿を見かけた。
家庭の都合で、どのタイミングで挨拶するか、まちまちであろう。

万代では、家族連れの買い物客が多く、若いカップルを中心に賑わいを見せていた。
三越や伊勢丹の手提げ袋を持つ通行人も目立ち、今夜はじまるクリスマスイヴのざわめきを感じた。

妻とコーヒーショップで待ち合わせ、近くのホテルまでクリスマスケーキを取りに行った。
ロビーは、カップルを歓迎するイルミネーションで飾られ、予約席で静かな賑わいとなるのであろう。

さて、ボクはこれから、開店準備‥  今夜、何もときめきを感じていない。
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2016年12月22日

聖なる夜

店のクリスマスツリーも、今日22日を入れて、あと3日。

設置するときは、年末をしっとりと実感するが、撤去したら、一抹の感傷が残るものだ。

さて、クリスマスの過ごし方は、家族で団らんをする人、恋人と過ごす人、友人とパーティーをするなど、人それぞれであろう。
別に、独りでいることは、肩身の狭いことではないが、世の中の多くのイベントはカップルが中心である。

そんな折、女性は独りでいることを、避けたがる傾向がある。
男女の姿が映える夜は、形だけでも男性とパーティーへ出かけたり、一緒にクリスマスディナーをしたり周囲の目を気にするような、純粋な動機を否定するつもりはない。

だけど、中にはクリスマスが終われば 「用ないから、バイバーイ」 と、言い出しかねない女もいそう。
若いときは、ブランド品を身につけて、そそくさと遊びに出かけることが、世間の目だと思っていても、 若さは永遠ではないから、人として考えておかないといけない。

男の視点で言えば、クリスマスにソワソワせず、自然体に過ごせる女性は、何かに流されることもなく、それまでの自信を身につけているようで、魅力的に見えるけどね。

ヒネた視点かも知れないが、こういう女性なら 「もしも、ボクに何かがおきたとき」 最後まで面倒を見てくれるんじゃないかなと思えるんだ。 (もちろん、そんな気はこれっぽっちもないけど‥)

クリスマスは、多くのことを、男に教えてくれる。
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2016年12月21日

Jazz Talk Vol.79

今年のジャズを語りたいけど、振り返るだけのネタがないし、何しろ絶対数が不足している。

それでも、私的なことでよければ少々‥

11月 新潟で見た 「上原ひろみ・トリオ・プロジェクト」 は、近年まれに見る音楽性の高いステージで、数日間は音の余韻に支配されていた。

(2016年 11月28日 ブログ参照)
http://jazzbar-gig.seesaa.net/article/444412586.html

10月 新宿で見た 「纐纈歩美・トリオ」 は、間近で見る、ジャズの臨場感を再認識した。
必見はドラマーの 「井上功一」 にあったけど、今年は女性プレイヤーが光った。
一過去、映画 「スイングガールズ」 の影響で、ジャズが広き門となり、今も活躍している子もいる。
さきがけとなる、アルトサックスの彼女が、アンコールに応えてくれた 「星影のステラ」 は、もう手垢がつきすぎた曲だが 「スローテンポのしなやかな音色」 に感動、教科書は 「チャーリー・パーカー」 であることはすぐにわかった。
あの夜に聴いた、彼女の 「正直な旋律」 は、新宿の夜景とともに記憶されている。

(2016年 10月15日ブログ参照)
http://jazzbar-gig.seesaa.net/article/442799015.html

近年、もう一度見たいステージは 「渡辺貞夫」 さんなの。
だが、10月 「コットンクラブ」 12月 「渋谷オーチャードホール」 は完売。
12月は、1980年の 「武道館リサイタル」 (ハウズ・エヴリシング) を再現するセットリストだから、 懐かしさに心が揺れ動いて、そりゃ、行きたかったさ。
でも、正月元日 「 WOWWOW 」 で放映されるので、こちらを楽しみたい。
まあ 「懐かしさ」 反面 「新しさ」 にも飢えてるから、耳は止めどなく要求してくる。

(2016年 3月5日 ブログ参照)
http://jazzbar-gig.seesaa.net/article/434568836.html

欲を言えば、そうだなあ‥  年3回は 「素敵なステージ」 に触れたいなあ。
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2016年12月20日

Jazz Talk Vol.78

リサイクルショップをながめていると、ギターやベース、電子ピアノにドラム、ひときわ輝きを放っているサックスやトランペットまでも、ところ狭しに並んでいる。

上達して、買い替えた人はごくわずかで、ほとんどの人は、もうあきた、できない、の挫折組だろう。
楽器は才能もあるけど、本来はむずかしいもので、我流で上達できるほど甘くない。
それが、ミュージックチャージで聴かせるとなれば、それなりの技量、ほどよい理論もなくてはならない。

最初はCDとか聴いて、自分でもこんな風に演奏をできたらいいなと思い、手に入れた楽器であっても、趣味なら別だが、人に聴かせるためには、地道な練習が必要となる。
プロを目指すような人は、空き時間を全て練習に費やすほど、ストイックだからね。

自称は個人の自由だが、わかる人が聴けばわかるから、人に聴かせるなら、一定のスキルがともなう。
その線引きは大切で、ステージに立つのは御の字だけど、カッコよさの先付けは、練習にあるんだ。
どういう理由あれ、これだけの中古が出回っているんだから、先付けのカッコよさに走ったんだろうな。

ジャズなら、2/4 のノリだから、少し感覚的にむずかしいのかもね。
それに、ひとりで黙々と練習してるだけじゃ、肝心のノリがつかめないから、やっぱりいろんな個性と  触れ合ったほうが、やっぱり上達は早いよね。

しかし、いくらで買って、いくらで引き取られたものが、いくらで陳列されているんだろうか。
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2016年12月19日

無題雑記 64

21日は 「冬至」 である。

冬至は一年で、最も日照時間が短いとされ、この日を境に日が長くなることから、運気が上昇するとか。
習わしには、風呂にゆずを浮かべ、さわやかな香りを楽しむ 「ゆず湯」 が有名だが、年々折に触れて季節感を味わうことも少なくなってきた。

今年も 「あと何日」 と、指折り数える日が続く。
実感として、クリスマスが過ぎた、最後の5日間は、おごそかな気分になれる。
最後の週、店では妻とMちゃんを交互に加えて、お客さんと一年の締めくくりにしたい。

そんな心境を経てから、大晦日より、年に一度の4連休。
今や二人、帰る場所も義理がけする人もいないので、静かな正月を心待ちにしている。
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2016年12月18日

恋愛適齢期

予約をしたクリスマスケーキは、チョコレートのホールケーキらしい。

ケーキにこだわりはないので、スーパーの売れ残りでもいいが、甘いものは女性の免罪符であるから、注文は好きにさせている。

高度成長期の頃、女性の結婚適齢期は 「クリスマスケーキ」 にたとえられていたと聞く。
24歳〜25歳が結婚ピークで、あとは売れ残りとする、男尊女卑な風潮もあったが、今は適齢期なんて古い概念などなく、自らの立場で女性が男性を選べる時代になった。

バブル経済期、パターン化された生き方に抵抗感を示した世代ながら、景気は好循環していたので、 未来を自由に描けると夢を見て、早く結婚した女性は多かった。
そんな早くに結婚した女性たちも、今はほどほど子育ても終わり、更年期障害と上手につきあいながら、第二の人生にときめきを求めるようになる。

これまで通り、型のある生き方もいいが、少し型をはずした生き方も素敵だと思う。
だってさ、ここまで一生懸命に生きてきたんだから、自分を寛大にすることは大切だろう。
こういうと、すぐに不倫とかの話にされるが、ボクの言っていることは 「友達以上、恋人未満」 それが男女のいいコミュニケーションであり、寝た寝ないの単純なコトじゃないからね。

ボクの両親は、熟年離婚した。
当時、複雑な気持ちはあったが、今では 「母は女として生きる選択」 をしたことを理解できる。
それを 「おばんだから」 で、女の性や恥じらいを捨てるより、もう一度、女になろうとする女のほうが、男からすると魅力的に見えるし、結婚の枠に捕らわれない 「第二の恋愛適齢期」 に来ていると思う。

それに、女性の焦点は 「今」 に定まっているから 「今をどうしようか」 考えるのが強みだからね。
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2016年12月17日

レム睡眠

眠りが浅くなってきた頃、ぼんやりとした夢が心地よくて、ベッドでよいんにひたっていることがある。

何の夢かわからないけど、潜在的な欲求を表している気分。
目が覚めてしまえば、すっかり忘れているが、何かの拍子で場面を思い出すこともしばし。

作家の山田詠美が、南の島のホテルで寝ていると、男性の霊が現れて抱かれたことがあると、何かの本に書かれていたが、東南アジアでは、霊と性交する人は多いんだとか (笑)

金縛りは経験あるが、夢で霊と関係をもつのは、にわかに信じがたく、浅い眠りのときは、脳波は動いてるから、過去の体験が原作となり、編集されない映像が、夢に現れるんだろうね。

浅い眠りが作り出す、他愛のない夢だけど、自分の深層が垣間見えるようだ。
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2016年12月15日

LGBT

14日 開店準備をしながら、夕方の県内ニュースをながめていた。

最近、よく耳にする 「 L G B T 」 
頭文字、レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー の略称となる。
今 「性的少数者」 として、偏見や差別があることをわかってほしいと、理解を呼びかけている。

ボクは仕事がら、いろんな人と対面する。
店に求められていることは、社会的な地位や肩書、職業や環境などで、人を色眼鏡で見ないことだから性的少数者であっても、平等に快く受け容れる。

東京在住時、身の回りに性的少数者がいた。
彼というか、彼女は差別されることを覚悟して、堂々と生きていた姿が印象的だった。
それは恋愛と似て、フィーリングの問題だから 「愛されなかったら、仕方ない」 と割り切っていた。

カミングアウトできない人もいるから、その価値観を押しつけることを言うつもりもないが、個人的には、みんなに愛される、いや、全てを理解されなくてもいいんじゃないかと思う。
割り切って、一定の理解をしてくれる人とだけ、大切につきあえばいいんじゃないか。

私生活も同様 「同級生だから」 「隣近所だから」 「古い知人だから」 仲よくするのはあたりまえでなく自然体でつきあえる人とだけ、仲よくしてればいいと思う。
挨拶ぐらいは常識としても、心にもないつきあいで、ストレスになるなら、やめたほうがいい。

それに下手に隠すより 「どう思われようが結構」 と、あっけらかんとしていた方が、生きやすい。
ボクは 「 L G B T 」 ではないが、心がけていることは、白でも黒でもないことでも受け容れられる、柔軟さは大切にしているつもりだ。

性的少数者は、敏感に人を見抜く。
たまに、有名人に知り合いがいると自慢する人ほど、性的少数者とおもしろ半分につきあいたがるが、この時点で用心されるからね。

理解する気がなければ、興味本位ではいけない。
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2016年12月14日

MILES AHEAD

近々 「マイルス・ディビスの空白の5年間を追った」 ドキュメンタリー映画が公開される。

残念ながら、新潟では公開されないので、何かの形で、後の楽しみにしておこう。

初めて、マイルスを聴いたのは、高校2年のころ。
アルバムは 「フォア・アンド・モア」 (1964)
そのときは、マイルスより、ドラムの 「トニー・ウイリアムス」 に惹かれたので、ニュアンスは異なる。

5年間の空白期間後、81年に復活したが、そこに、60年代、70年代のマイルスはいなかった。
一時の痛烈で戦闘的な演奏は鳴りをひそめ、打つ手が変わったアルバムが 「ウィ・ウォント・マイルス」 (1981) 新宿西口広場で行われた、あの有名な復活ライヴである。

われわれ世代、同時期に 「2つのマイルス」 を聴き比べることになったが、ハッキリさせておきたい。
アコーステックなマイルスも、エレクトリックなマイルスも 「帝王」 であることに変わらない。
そして、求めたものは常に自由であり、未完であることが、帝王と呼ばれたゆえんだったと思える。

復活から、10年後‥  1991年 65歳の若さで亡くなるまで、二度ほど来日したはず。
ボクは、どちらも見に行けなかったけど、今になれば、歴史に立ち会えなかったことが、逆にマイルスが神格化されて、永遠に同じところに止まらない 「ワン・アンド・オンリー」 になっているわけだ。

優等生は アルバム 「カインド・オブ・ブルー」 から 「ブルー・イン・グリーン」 を聴け。
不良 (ワル) なら アルバム 「フォア・アンド・モア」 から 「ウォーキン」 を聴け。

マイルスなら、きっとこう言うはずだ‥  「あとは、自分で判断しろ」 ってね !
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2016年12月13日

僕の一日

前日 (11日) 午前2時に寝たせいか、朝は9時前に自然と目が覚めた。

12日 新聞の休刊日なので、時事ニュースはネットで済ませ、立ち上げついでに、ブログもアップしたがまだ11時前で、開店まで8時間もある。

外出するには早すぎるし、だからと言って、別段これといってやることもないから、惰眠をむさぼるか、 DVDでも見るか、程度問題になるが、3〜4時間は自由が利く。
結局、温かいベットに戻り、ミステリー小説を読みながら、もう一度、睡魔を静かに待つことにした。
午後3時ころには、シャワーを浴びて、買い物ついでにコーヒーを飲んで、開店までの気力をチャージ。

店の看板を灯せば、よほど暇か疲労困憊していなければ、閉店までは対面の立ち仕事となる。
そう考えれば、日中は体をきちんと休めておくのも仕事になるので、ムダな時間ではないんだ。
ましてや、年齢とともに体力は消耗するから、閉店後にどこかへ遊びに行くこともない。
せいぜい、開店準備前の数時間だけ、体に負担のない余暇を過ごすぐらいしかできないのが現状。

まさか、遊び疲れた顔をして、店には立てないから、遊びは睡眠と疲労に影響しないものになる。
人によって、パチンコやパチスロ、スポーツクラブを利用しているようだが、ボクはオンオフの切り替えは日曜しかできない体質なので、後に仕事が控えていると楽しめない。

楽しむとしても、生活圏で書店めぐり、文庫本を片手にコーヒーを飲みに行くか、2か月に一度ペースで昼下がりの映画鑑賞ぐらいなもんで、昼に酒を飲むこともしない。
平日なら、なおさら、基本、楽しめないのなら、しない。

人からは 「自由が利いていいね」 と単純に思われそうだが、私生活は 「ストイック」 にならないと、夜の仕事はできないからね。

自分でいうのも変だが、こういう業界の男ほど、周りの思い込みと異なり 「真面目」 に生きているよ。
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2016年12月12日

アバウト

日曜は散歩と気分転換をかねて、古町周辺まで買い物へ出かけることが多い。

みぞれまじりの夕方、古町のコーヒーショップで、ぼんやりと週末の疲れを抜いていた。
寛げる日と時間は決まるので、店員の顔ぶれもおなじみとなり、それぞれの接客ぶりも知ることになる。

男女が一緒に仕事をしてると、空気感で片方の想いが色めき立ち、こちらにも伝わってくることがある。
客にはクールだけど、パートナーには満面の笑みを浮かべ、どこかドキドキしているようにも見える。
それに勘ではあるが、これまで聞き覚えのある声よりも、彼と話すときだけ、声のトーンが高いんだ。
そんな仕事ぶりを目にすると 「きっと、あの娘、彼のコトが好きなんだな」 と思った。

若い二人であれば、そのうち一緒に帰るようになり、夜のスーパーで売れ残りの惣菜を買い、ルームウェアを着るようになるが、いつか街中で二人でいるところを同僚に見られ、同じ職場に居ずらくなって、仕事を辞めるタイミングを上司に相談するクチだな (笑)
若いほど 「ロミオとジュリエット」 みたいに、いばらを乗り切った達成感を持つもんだ。

まあ、若いときは、あれこれと演出せず、ストレートに 「好きだ」 と告白した方が、うまくいくと思うけど、人生も後半にさしかかると、逆に 「好きだ」 で、はじまる恋愛はなくなり、はずみの関係というか‥  何となく 「アバウト」 から、つきあうようになるからね。

おじさんはコーヒーを飲みながら、隠しきれない秘めた想いを悟り、僅かな経験と勘だけで、恋愛物語を勝手にふくらませているのである。
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2016年12月11日

無神論者

愛にもいろんな意味があるんだな。

ある日、中途半端な時間に目が覚めて、何の気なしにローカル番組をながめていた。
そのコーナーで、新潟のお寺の住職が 「仏教の教え」 について説法しており、普段はあまり聞けない講和に耳を傾けた。

クリスマスも近い今日、キリスト教の愛の思想は、人はたがいに愛し合うことを教えにしている。
しかし、仏教における愛の思想には 「渇愛」 (かつあい) と 「慈愛」 (じあい) の二つあり、総じて 「愛には否定的」 (一定の肯定しかできない) らしい。

渇愛は人間ならだれもが欲する、お金や権力、異性や快楽などへの執着心を表すという。
それに心を奪われると、相手に求めることが多くなり、それが思い通りにならないと、いつしか憎しみに変わりやすいというのである。

「私はこうしてあげたから、相手もこうするべきだ」 という風な、愛の自己顕示欲。
社会問題でも、ゆがんだ愛の形が、ストーカーや虐待、DV被害などを引き起こしているのも現実。
渇愛はいつしか依存心へと変わり、人の平常心を狂わせていくんだろうな。

もうひとつの考え方が、慈愛。
仏教の教えとは、この慈愛らしく、その意味は愛とは与えるだけであり、それに対する見返りを求めたり期待などせず、尊重が愛であることを説いてるんだから、複雑に入り混じる気持ちが氷解した。

例えば、自分の子どもにここまで教育投資をしたのだから、子は親にこうせねばならないと考えるのは、お門違いであってさ、やっぱり、親は親の人生、子は子の人生なんだろうな。

ずいぶん前、島田紳助が執筆したコラムだったかに、子どもの教育論について 「ぼくは子どもを愛しているから、期待はしないけど、信頼はしている」 と記されていた。
親が子に期待をかけすぎると、子はプレッシャーとなり、正直な人生を歩めなくなるというんだ。
慈愛の話を聞いて、そのときのコラムを思い出した。

これこそ、慈愛の教えであり、身近な人間関係でも、愛情の回収なんて考えてつきあっている以上は、 うるおいを感じることはないだろうし、極めれば 「無償の愛」 しか残らないんじゃないかな。
人にしたことは、相手がどうとるかであり、自分で語っちゃいけないし、与えたことは忘れてしまうのが、仏心なんだろうね。

つまり、それぞれの 「いい部分」 を知ると、人生を考える上で、少しは役に立つ。
キリスト教に入信したら、仏教がわからなくなるし、仏教にはまったら、キリスト教を否定するだろう。
政治でも、与党に野党、右傾に左傾、学歴にも、文系に理系と対立軸はあるが、よくよく考えて見ると、おたがいを勉強してないんだから、わかりあえるわけないじゃん (笑)

ボクは、ノー天気な 「無神論者」 と言われようが、これからもそれで生きていく。
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2016年12月10日

母性本能

その昔、酒場の会話で知ったことだが、男には 「三人のママ」 がいると言われる。

一人は 「母親」 二人目が 「妻」 三人目が 「夜のママ」 という。
いわゆる、社交業のママさん、ホステスさんと呼ばれる、接客のエキスパートであるが、人によっては、三人目は異なるであろうが (笑)

どうして、男は安くもない酒代を払ってまで、夜のママの店へ行くのだろうか。
諸説あるが、疑似恋愛をしたい、モテたい、チヤホヤされたい、その願望は自由だ。
中には、愚痴を聞いてほしい、励まされたい、褒められたいなど、甘えの駆け込み寺にしていたり。
それこそ、高校の保健室の先生に、仮病を使って甘えに行く感覚で、本当は怒られたかったりしてさ。

岩崎宏美の 「マドンナたちのララバイ」 の歌詞に、その心情が描かれている。
「この街は戦場だから 男は皆 傷を負った戦士」 と言うではないか。
だけど 「おまえ、これ、かすり傷じゃん」 「仮病だろ」 みたいな、謎の戦士もいるわけだ。
また 「謎の戦士」 が多いから、社交業はおもしろいんであってさ (笑)

女性の偉大さは、母性本能で男を包みこめること。
その男の甘えは、魅力かどうかは別として、男が女に甘えることは生理学上、正しい行為だと思う。
しかし、多くの男たちの悩みを受けた、女性たちの気持ちはどうなのよ。
本来、話を聞いてもらいたいのは、女性の専売特許であることは、わかっていないとね。

それに、女性は悩みを打ち明けても、そうそう男に答えなんて求めちゃいない。
だから、親身になりすぎたり、深刻になる必要もなく、吐き出させることが、男の役割だったする。
そう考えれば、女性の話を聞くことは楽なんだけど、耳にしたことは黙っておくことがルールなんだ。
ボクだって、心に引っかかることをしゃべって、スッキリさせたくなるときもあるからね。

60年代生まれは、男らしさを受け継がれた世代である。
ゆえに、女性の前では泣き言を吐けず、男らしさに苦しめられながら、その肝心な男らしさを知らずに、ただケンカに強いだけや、人と違う個性こそが男らしさみたいな、勘違いな風潮もあった。
だけど、それも今思えば、大人になるための正しい成長だったとも言えるよね。

つまり、最高の女は、男の弱みを知り、その弱みに触れず、上手に母性本能で包みこめるのである。
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2016年12月09日

カレンダー

連日、来年のカレンダーが届いている。

毎年、自宅用にどれを使うか迷うが、今回も某企業のM氏のはからいで、世界の風景写真カレンダーをリビングに飾ることにした。

他に、手狭な書斎は、新聞の付録についてきた、新潟おでかけカレンダー (どこにも出かけないが) とキッチンには、家庭用のゴミ収集カレンダーが、それぞれ一部ずつ。

以前は、オシャレなアート感覚を取り入れて、画家の 「ルネ・マグリット」 を中心につなぎ、和室には 「大相撲力士」 など、ポスター代わりにカレンダーを飾っていたが、今は実用性だけを重視している。
テーブルに置いてある、卓上カレンダーも、数字以外は記憶に残らないほどシンプルだ。

それでも、少しこだわりがあって、左詰めの日曜スタートじゃないと、なんとなくダメなの。
人が最初に目が向く位置は、一般的に左上視線だから、月曜より日曜の始まりのほうが気分が安らぎ、そんな視覚的な理由もあるかもしれない。

ボクが使う分では、カレンダーに別段メモをしないから、一年はキレイなもんだ。
だが、妻が使う分には、日付の余白に予定が書きこまれており、細々とした家の用事をこなしてるのがわかるので、カンタンに言えば、自宅用は妻が管理し、店用はボクが管理している。

でもさ、カレンダーをながめていると 「早くこの日が来ないかな」 と思う気持ちがいつしか習慣となり、気がつけば同時に、月年も過ぎて行くんだから、やんなっちゃうよね。 
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2016年12月08日

Non Fiction

7日 夕方から、雷のともなった、冷たい雨が降り続いた。

多くの会社では、冬の賞与が支給され、これから消費マインドが高まることを期待したい。

知り合いに、ボーナス月だけは 「女の子のお店で飲む」 という既婚者がいる。
硬く言えば年2回、それも同伴からスタートするらしいが、女性も見ず知らずの男性客とかんたんに同伴するとは思えないから、察するところ、過去に何回か通ったか、昔からの知り合い関係であろう。

彼いわく、早くに結婚したせいか、恋愛経験が少なく、形だけでも疑似恋愛したいようだ。
だけど、同伴相手の中には、昼はOLをしている子も多いはず。
同伴で恋人気分を味わいたくても、新潟はせまく、どこでだれの目があるかわからないから、自分が願うほどの疑似恋愛は叶わない。
それが、若い嫁入り前の女の子なら、なおさら公然デートできる場所も、食事ぐらいに限られてしまう。

こんな話を聞いたことがある。
今はどうかわからぬが、同伴出勤は店外デートになるので、基本的に同伴料がかかるはず。
もちろん、その後は同伴することが了解であるはずだが、食事を終えたら、その男性客は彼女のお店へ行くことなく、急な仕事が入ったことを理由に帰ること数回。
要するに、店を通した交際を破り、女の子をひとり占めしようとしていたら、そういう 「セコい間男」 は一番嫌われるし、案の定、そのうち店にも姿を見せなくなったというから、こりゃ、単なるスケベだろ。
男性客は女の子が在籍している店で、楽しく遊べる器量がなかったわけだ。

女の子のお店に行きたくなるのは、せめて恋人気分だけでも味わいたい、男の切なる願いもある。
だけど割り切らないと、高揚した気分に後押しされて、お店の子なのに耳元で 「アイ・ラブ・ユー」 とかささやいては、ひとり占めしようとして 「今晩、行けるんじゃねえか」 などの妄想がふくらみ、普段とは違う自分が出てしまうとかさ。
割り切りの鈍い男は 「サイテー男」 にされてしまうからね。

そこで、一言申したいのは、女の子はフィクションである !
女の子のお店で楽しみたいのなら、相手の女性に敬意をもつべきだし、ムダにひとり占めしないこと。
行きつくところ大事なのは、女の子と遊べる器量があることで、ガツガツした男って、カッコ悪いじゃん。

ボクは若いおねえちゃんのお店で、甘い夢を見て遮断機を上げる年齢ではないから、同年代の女性と 「ノンフィクションな会話」 で、笑ってられる関係のほうが、よっぽど楽しいけどね。
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