2016年11月27日

教育格差

貧困による、教育格差が社会問題になっているとか。

そんなこと、問題あつかいするなよ。
「置かれた場所で咲きなさい」 そんな本のタイトルにもあったように、それでいいじゃん。
そもそも、親が人と比べるから、子も知らず知らずのうちに、人と比べるようになるんだ。

教育なんて、家庭が一番、学校と社会で十分だ。
競争は否定しないが、親が人の家庭を気にしすぎるから、子どもの適性を見誤るんだと思う。
昔、隣がアップライトピアノを買ったから、体裁を合わせて買わなきゃと言い出す家庭と同じで、自分の家の教育方針がない。

それに自分の子を見れば、どこに適性があって、これは伸びる、これは少し難しい、ここには可能性を秘めているかもと、日ハムの大谷翔平にはなれないが、このやさしさがあれば 「こういう道もある」 と顔を突き合わせるのが、親子ってもんでさ。

中学3年の夏休みまで、進路指導に応じず、進学の考えはないことに、担任は頭を痛めていたらしい。
親から 「私立は高いから、行くなら県立だぞ」 と言われていたから、働くことを意識していた。
結果的に、スポーツの実績が評価されて高校へ進学したが、勉強よりも学校生活の方が、これからの大切なことを学べた3年間だった。

部活動を引退して、周囲は進学か就職かで悩んでるのに、アルバイトに精を出したお金で、スナックにボトルをキープをして、ガクランを裏返して、学校帰りにカラオケを歌っていたんだから、アホだよな。
友人は、そういう姿は知らなかっただろうし、好奇心のかたまりを先に済ませたから、内面は幼いけど、行動はおちついてきたと思える。

そんな、成人式のざわめきを尻目に 「飽きた」 と思い、単身で東京に行ったのは、若さゆえの決断の早さであるから、そのころキャンパスライフを満喫していたら、きっと違った人生を歩んだと思われるが、先日書いた 「上司」 と出会えたことの方が、はるかに影響を及ぼしたと思える。
だから、教育格差なんて、妙な風説にオタオタすることなく 「俺は俺、人は人」 でいいんだ。

近年の親は、家庭教育を棚に上げて、学校任せの部分が強すぎる。
ドラマの影響なのか、まだ知識や判断力のない、子どもを主役にしたがる傾向がある。
行く末、学力はあったに越したことないが、結局はお金の話ばかりで、内面のスケールが乏しいんだ。

バスの中で老人に座席を譲る感性の方が、よっぽど実りのある教育だと思うけどね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする