金曜 日中1時20分、気温34℃、激しすぎる残暑だった。
ビルが密集している街中では、コンクリートや窓ガラスの照り返し、室外機の温風や車の排気量などで、計測する場所によっては、温度計の表示も変わるであろう。
万代で 「+1.0」 の老眼鏡を買った。
最近は文字がかすむようになり、読書をしていても、前ほどページが進まなくなった。
それに芥川賞を受賞した、女流作家の作品を読みたいので、このあたりでかけることに決めた。
最近は、電子書籍をスクロールする人を見かけるが、個人的にはできる限り、街の本屋に足を運んで、おちついた雰囲気の中、共感できる作家に出会いたいと思っている。
だけど、老眼鏡をかけることには、少し抵抗はあった。
「老けたなあ」 と思われるのは、なんとなくイヤだし、年齢相応な自然現象なのだが、まだどこかで 「歳はとりたくないな」 と往生際の悪い、もうひとりの自分がいる。
ならば、スタイリッシュにと、近い世代の男性芸能人を思い浮かべて、若返り気分でフレームを決めると形ばかりの空回りとなり、見た目が奇異に映るので、ここは冷静になりたいところだ。
しかし、鏡の前で試着する時、明らかに頭に浮かんだ有名人が、逮捕されて護送車で連行されたときの 「高知東生」 のフレームだった。
「こりゃ、いかん」 と打ち消すものの、人は無意識にだれかをモチーフに思い浮かべてしまう。
その自意識が暴走しすぎると、さらに 「ペ・ヨンジュン」 や 「哀川 翔」 の気分になり、思案した結果 「おまえは何者になりたいんじゃ」 と、そうカンタンには、カッコよくなれないことを学ぶ。
このあたり 「アロハシャツ」 を着て、南の島の男を主張する、色白なおやじの気持ちにも似ている。
もう一度、不細工な顔とフレームを照らし合わせ、手にしたのは、何の変哲もないブラウンの老眼鏡。
イメージが一人歩きをすると、完ぺきに勘違いをするので、妻がこれでいいと言ったら決まりである。
これからは、老眼鏡を手放せなくなるんだろうな‥