2016年08月14日

エピソード

リオ五輪で、日本柔道は復活したね。
それまでのルール問題もあったけど、選手団は胸を張れる成績には違いない。

柔道をしていたころの仲間と、意外な場所で偶然に再会したことがある。
時の強さ弱さは抜きにして、一度は同じ志の元で集まったのだから、おたがいに敬意は払えるもの。
だから、会話は弾むし、当時に戻りにこやかになれるが、本当のことを言うと、男同士ほど思いのほか、カラッとした関係は少ないんだ。

男の勝ち負けは執念深く、一度ブン投げられたり、負けた屈辱を味わうと、あまり胸襟を開かなくなる。
ボクはその逆で、自分が負けた試合ほど、本人に聞きたくなるタイプ。

「あの技、狙っていたの」 とか 「あれで、攻撃のリズムを崩したんだ」 など、真剣に競った者同士しかわからない会話で、白熱すると 「あれは、足払いと称したローキックだろ」 や 「順当に勝ち進んだら、3回戦であたるから、おまえが会場入りしないことを願っていた」 と生々しい本音を交わすときもある。

さらに 「奥襟を持たれたら、跳ね上げられることはわかっていた」 「送り襟締めは練習していたのか」 だの、おたがいの頭の中では畳が敷かれて、そのときの試合や稽古の場面を再現しあっては、最後は気持ちよく笑って終わり。

本当はこんな具合に健全な会話なんだけど、強い弱い勝った負けたの自意識がじゃまをする。
それに、スポーツをやっていたと豪語するわりに、いつまでも恨み節を唱えて、シャレを効かせられない男がいるけど、彼にはエピソードがないのかと思うと、少し残念でならない。

かと思えば、同級生の中には 「冬の畳は冷たいから、柔道部をやめた」 とか 「寝技で、男に目覚めそうになってやめた」 だの、本当かウソかわからない30年以上も前のことを、笑い話に作り替えられるユーモラスな男もいたり、語り部ひとつ、こんなにも差が出るものだ。

友人の話で大笑いしたのが、今も新潟のローカルテレビに出演する男と、個人戦で対戦したときのこと。
彼には寝技で負けたらしいが 「あいつ、寝技のときに、でっけえ屁をこきやがって、頭に来たぜ」 と、今となれば勝ち負けよりも楽しいのは、そのときのエピソードなんだ。

つまり、エピソードに少しのユーモアをのせて話せることが、スポーツマンの健全な思い出なんだ。
それこそ 「あいつにインキンをうつされた」 とか 「組んだ瞬間、汗の臭いで気か遠くなった‥」 だの、これこそスポーツ経験者として、大切な到達点でもある。

だれも、勝者の自慢話なんて聞きたくないわけで、大げさに言ってしまえば、金メダルは一つだけども、そのときのエピソードは参加賞みたいなもんだから、だれもが語れる術で、玉の汗を流しあえた関係の笑いこそ、スポーツマンの証なんだけどね。

同窓会シーズンの今、昔を屈託なく語り合えたら、きっと楽しいだろうね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Sports Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする