2016年08月06日

乗り遅れ

5日午後、一時間にバスが2便しか来ない小さな停留所のベンチで、10分ほど居眠りをしてしまい、   気がついたときには、乗るはずだったバスを寝過ごしていた。

そのとき、周りの乗客はだれもいなくなっているし、ボクはひとりでバス停に取り残されていた。
次のバスが来るまで、30分ほどの待ち時間だが、次の目的地までは、4つ先のバス停にあたる。
このままバスを待つか、タクシーで行くか、迷いながら 「健康のため、歩こう」 と理由をとってつけた。

時刻は、2時30分の炎天下。
周囲には、畑や川に鳥屋野潟が広がり、太陽をさえぎる建物のない自動車道路を、しばらく直射日光を浴びながら、歩くこと20分ほど。

ようやく、日影がさす住宅地に差しかかり、高い位置の屋外型看板を方向軸に目指して歩いて、老体に鞭を打つことあと10分。
炎天下のもと、自動販売機の冷たいサイダーを、セミの鳴き声を耳にしながら、ゴクゴク飲み干した。

睡眠時間が短いと少しの仮眠が、深くなってしまうときがある。
乗り物を寝過ごしたのは、東京在住時の中央線以来であろうか。
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2016年08月05日

無題雑記 51

4日 昼下がりに部屋の窓から、ぼんやりと青空を眺めながら、セミの声を聞いていた。

すると近くの体育館から、万代太鼓の音色が西風に逆らうようにして、軽快な笛の音と爽快な太鼓   (樽砧/たるきぬた) の合奏が重ねて響いてきた。

今年、最初に耳にした6月頃と比べたら、格段に上手くなっている。
笛が樽の迫力に負けていないし、和楽器が調和されて、音そのものに活力がみなぎっている。

この頃になると、音の出だしもいいし、響きの中で自然と音が合うようになるので、明日5日の本番は、新潟まつりの大民謡流しらしい、躍動感を響かせてくれるだろう。

ボクは仕事だから、万代太鼓も民謡流しも楽しめないが、夕方のざわめき感が好きだ。
そして、民謡流し終了後、数時間前まで踊り子だった人たちが、少しさわやかな表情をして、止まり木に腰をかけているだろうか。

また、オリンピック中継など、例年にない楽しみも広がるが、個人的に10日間ほど、忙しない私生活が続くため、新潟花火を観覧したり、誘いにも応えられない日もありそうだ。

だから、休息は半月ほど過ぎた頃で、ホッと気がついたら、夏の残り香を感じているかもね。
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2016年08月04日

あきるさ

先週、仕事帰りの夜道で、若い女の子が運転するミニバンが、とても車とは思えない低速で直線道路を走行していると、後方から実車中のタクシーがあおりぎみに、その車を追い越そうとしていた。

女の子の手元が明るかったことから、スマホのながら運転らしく、今流行のポケモンGOであろうか。
ある女性芸能人が、ポケモンブームの社会現象に 「そのうち、あきるでしょ」 とコメントしたのを聞いたとき、どこか気分が氷解した。

憶えているだろうか‥
20年ほど前 「たまごっち」 なんていう、携帯型のペットブームが大流行したことを。

ボクはしたことはないが、あの現象にいらだちを感じたのは、節操がなかったことだよね。
会議の最中、電子ひよこにエサを与えていた出席者を見たとき、むかっ腹がたったもんな。

だけど、そのブームが過ぎると、もうだれもやってないわけで、そのときだったかな‥
「ああやって、ブームに乗り、ブームが去る、その繰り返しなのか」 と思ったのは。

そんな流行は軽薄で、一気に浸透したことは一気に終わり、ブームが去ったとき、それをやっていること自体流行遅れとなり、数年後のレトロブームでもう一度、懐かしくて戻ってくる程度であろう。

いわば、昭和のツッパリブームと同じで、そんなガラでもタマでもないのに、ムリに不良 (ヤンキー) ぶっても、日常のトラブルリスクも高いし、まあすぐにあきて、次の流行に進むようになるものだ。

だから、そのうちポケモンGOをやりながら、ダラダラと歩いたり、座りこんだり、集まってきたりする姿を 「カッコわりいや」 と感じたとき、やめごろと言うか、何かに目覚めたときだろう。

つまり 「そのうち、あきるだろ」 そんな視座も持つべきなんだろうね。

あきることは前進、いや、次に行くために必要な、人間の才能かもしれない。 
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2016年08月03日

一匹狼

リオ五輪は、5日の開幕に向けて、柔道日本代表選手が、続々と現地入りしている。

前回、ロンドン五輪では、男子は全階級で金メダル0の辛酸を味わった。
今回、最有力候補として、男子60キロ級 「高藤」  66キロ級 「海老沼」  73キロ級 「大野」 らの活躍次第では、その後にはずみがつくと思われる。

そんな、代表選手の選考試合を今まで見た限り、全体的に上々な仕上がり具合に思えた。
本当に自分の調子 (調整) がいいと、好調レベルをマックスで発揮したくなるから、一刻も早く試合をしたくなるものだ。

しかも、数日前から興奮状態になってくるから、寝しなにシュミレーションをしたり、急に何かひらめいて飛び起きたり、穏やかな気持ちで眠ることは困難になってくる。
特に個人競技ほど、一人に向けられる重責と怖さが伴い、アドレナリンが眠りについてくれないんだ。
そこで、因縁のライバルなんて存在がいようもんなら、鼻息はおさまらないだろう。

きれいごと抜きに言えば、柔道とはこういうものである。
だから、合同稽古が終わると選手は一列に正座をして、黙想をしながら呼吸を整えて、気をおちつかせながら、その日の稽古を振り返る。
それに、柔道の帯は、肝をおちつかせる意味もあるんだ。

朝の会場インタビューで 「昨夜は、よく眠れましたか」 と耳にしたことがあるだろう。
高みに上り詰める選手ほど、修羅場を乗り越えているだけあり 「眠れました」 と返事するはずだ。
それは、肝っ玉が据わっているからである。

つまり、一匹狼でいられる選手でなければ、五輪の代表になれるわけあるまいし、ましてメダルなど‥
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2016年08月02日

小よく大を制す

元横綱 「千代の富士」 こと、九重親方が、61歳の若さで死去した。

その偉業たるもの、優勝回数31回、前人未到の53連勝を樹立し、小兵な風貌から 「ウルフ」 とも 「小さな大横綱」 とも呼ばれ、絶大な人気を誇り、91年の引退会見では 「体力の限界、気力も失い、ここで引退を表明する」 と、その引き際は潔かった。

横綱に昇進したのは、82年6月の名古屋場所。
そのころ、ボクは高校2年で、柔道部と町道場の二つに所属しており、相撲は眺めている程度だった。

しかし、高校3年の春季大会では団体戦おろか、個人戦もベスト8止まりで、この日の県大会を最後に公式戦は引退となるが、持て余した体力がありながら、モチベーションがないから、気が抜けてしまう。

だから、部活動にも参加することもなくなり、夏休みに若さを発散させようとするが、やることといえば  アルバイトに明け暮れるか、ひとりでバイクに乗って気晴らしをするか、ロクな遊びを覚えるかくらいで、腰を据えて勉強をするなんて気もなかった。

そんなとき、渡りに船とはこのことである。
わが校、全国大会の出場実績のある相撲部だけは、秋季まで参加できる大会があるにはあるのだが、思春期に人前でまわしをしめて相撲をとるなど、カッコ悪い風潮が強まり、団体戦の人数が揃わない。
それもそのはずで、時代は 「ホットドック」 「ポパイ」 「メンズボーイ」 の時代になりつつある頃だ。 

そうすると、相撲部から柔道部に格好の指名が入り、気がつけば団体優勝を成し遂げ、新潟県代表でインターハイ出場を果たし、かけもち選手 (外人部隊) として、違った形で青春にピリオドを打てた。

ボクの当時の体重は65キロほどで、インターハイの出場者の中でも、最も軽量選手として、地元新聞に参考記事でも取り上げられ、記憶が正しければ、最重量選手は石川県代表の稲葉で220キロだったと思うが、彼は大学相撲に進んだが、心臓に負担がかかり、稽古中に急死したとの報道を目にした。
そのときの大会では、怪童 「久島啓太」 後の、幕内力士 「久島海」 (故人) も高校生横綱として、大旋風を巻き起こしていた、そんな熱い 「82年の夏」 だった。

全国大会の本番では、ぶちかましひとつとっても、体重ごと頭から突っ込んでくるから、怖いのなんの、全国レベルの違いを実戦で見せつけられて、はじめての全敗と予選敗退であった。

それでも、柔道部のボクがここまで勝ち上がれたのには、3つほど理由がある。
1つ目は、相撲は一発勝負だから、必ずしも強いものが勝つとは言い切れない。
相手は、柔道技の奇襲に慣れていなかったことに加えて、ボクのデータを知らなかったこと。
だけど、全国レベルともなると、奇襲は通用しないことは肌身に感じたものだ。

2つ目は、単に対戦相手が弱かったこと。
そして、3つ目こそ、千代の富士の取り組みを見よう見まねで、工夫を凝らしたこと。
つまり、軽量選手には軽量なりの相撲があり 「どうやったら、自分より体のデカいやつを倒せるか」   千代の富士の取り組みには、軽量なりの夢があった。

そんな、まなざしをおいては、相撲に精進した学生は多く存在した。
こうして、千代の富士の全盛期をリアルタイムに見たのだが、ボクのように相撲大会への実戦における付け焼刃で、普通のファン心理と一線を画して、土俵の取組を見ていた‥  合掌。  

当時のボクの得意技 「右四つからの下手投げ」 「左四つからの上手出し投げ」 自己申告 (。-_-。)
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2016年08月01日

無題雑記 50

31日 思わず 「やっちまった」 と、寝室の時計を見て、こうつぶやいたのは午後3時半。

寝しなに冷房を入れたら、涼に誘い込まれるほど眠れ、起床時間をオーバーした。
予定では正午に起きてから、自転車で行動するつもりだったので、何か自分にシラケてしまった。

寝ている間、母から妻にカラオケの誘いがあったが、今夜は食事の予定があるため機会を繰り越した。
何でも、母は 「桂銀淑」 や 「川中美幸」 を熱唱するらしく、昔はカラオケなんて歌わなかったのに、まあ、変われば変わるもんだ。

それに、近所に同年代の友達もいるようで、一緒に買い物やウォーキング、お茶を飲みに出かけたり、離れて暮らしていても安心である。
それも、楽しいことだけでなく、干渉しすぎることもなく、つかず離れずにとどめているから健全だ。

夜7時、妻とメディアシップの中華料理店で箸を交えた。
以前、この場所はミナミプラザホテルで、中華料理の他、日本料理やサウナにマッサージルームなど、取り壊される前までは、ほどよく使わせてもらった。

新潟は劇的な変化のシンボルとして、今のメディアシップがある。
街の特性はともかく、周辺環境は大きく変わり、近隣住民の顔も都度変わるから、時間軸で考えれば、何の後ろ盾もない当店ですら、9年目で長い部類になるんだから、時の経つのは早いものだ。

食後は夜風に吹かれて散歩を楽しみ、萬代橋の真ん中から街並みを見渡すと、昔 「キャバレー香港」 「田中ホテル」 「キリンビアホール」 などが、目の前にあった痕跡は微塵も感じられないね。

周辺環境は永遠化できないけど、新潟市民として 「萬代橋」 だけは、不変であってほしいものだ。
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