2016年08月31日

My Father 4

このたびは、親父の死去に際し、さまざまな励ましをいただき、心強い限りであった。

お客さんから 「店を休まずに営業したことを知り驚いたよ」 そんな声も聞かれたが、その前から心の整理はついていたので、割り切れてはいたし、少し気もまぎらわしていたかった。

それは、個人事業主の定めでもある。
会社勤めしてれば、忌引きや福利厚生など、自分の代役を立てられることが、組織の後ろ盾となる。

個人経営者は、自由が利きそうに思われがちだが、決められることは店の中のことだけであり、いつも 「今夜、お客さんが来るかも知れない」 そんな気持ちに支配されているのが現実である。
まあ、ムリなことはしないが、営業日や営業時間は、お客さんとの約束だし。

親父が東京を起点に、ライヴツアーをしているとき、親の死に目には会えなかったと聞いた。
予定をキャンセルできない、音楽業界にいたので、その自覚はあったのだろう。
旅巡業を生業にする人と同じで、仕事に穴をあけられない厳しさがある。

そう考えれば、会社組織にいれば、柔軟な対応で安心感は持てるだろうし、海外勤務とかでなければ、親の死に目に会えないなんてことは、そんなにはないであろう。

それに、親も子どもが社会で自立した時点でわかっているし、いくら大勢に囲まれて暮らしてたとしても、逝くときはひとりなんだから、孤独じゃない死なんてあるんだろうか。

家族で営む個人事業主は、親の死に目に会える代わりに程度問題、店は気丈に開けなきゃいけない。

見方にもよるが、死に目に会える今生の別れは、幸せな別れなんだと思える。
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2016年08月30日

My Father 3

「こんなことでもなきゃ、知らなかった温かさだったかもな‥」

親父の死去から一週間、何の変哲もない日々が戻った。
新聞のおくやみを、目にした人だけがわかればいいと思い、一行掲載で済ませた。
それ以外は、喪中の挨拶に代えさせてもらうつもりだった。

土曜日、開店7時に店の電話が鳴った。
この電話が冒頭の書き出し文となり、その昔に親父と一緒に演奏をしていたベテランやジャズクラブのオーナーを含む、地元のジャズを牽引している面々からであった。

時代の勢いはあるが、30年ほど前であれば、ハコバン (専属店契約) 以外に、音楽で生計を立てられる手練は存在していた。
また、手練だけに、それぞれの音楽に対する考えや条件、それなりの悩みやいろんな様相も起きたが、共通していることは、皆、ジャズを愛していたことである。

全国的にジャズのライヴハウスが、どこもヒートアップしていた、70〜80年代。
それ以降、下火になるのは世の習いだとしても、ジャズを好きな人たちの総意で、はじまったと思われるイベントが、今年で13年目をむかえた 「新潟ジャズストリート」

ボクは関与してないので、おこがましいことは言えないが、それぞれ好きなジャズのスタイルはあるもの今や新潟の象徴的なイベントにまで、成長したと思える。

イベントとして、2003年に発起しながら、親父は2000年には、もうスティックを置いていた。
ドラマーにとって、致命的な病を発症したため、どうもリズムが怪しくなり、観客の前で演奏することから次第に遠ざかりはじめたのは、プライドの高さもあったと思われる。

ある日、それまで使用していたドラムセットを 「思い残しても仕方あるまい」 と、記憶が正しければ、 若手のドラマーに譲ったんじゃないかな。
それを契機に、あまり過去を語ることがなくなり、ひとり暮らしの闘病生活に入った。

一時は、このまま引きこもる心配もあり 「たまには、ジャズでも聴きに行くか‥」 と連れ出そうとしたがやりたくてもやれないもどかしさが、逆にストレスになるようで、誘いに応じることはなかった。
こうして、最後一緒に聴きに行ったのは、東京青山のブルーノートで 「トミー・フラナガン・トリオ・ウィズ・ジョニー・グリフィン」 だった記憶がある。 (ドラムのルイス・ナッシュがやわらかったなあ)

本当は人一倍さびしがりやで、音楽仲間や有望な若手を連れて、古町で飲むのが好きだったようだ。
それが、杖をついて車椅子に乗るようになり、最後の印象は元気だった姿を残しておきたく、自分が  枯れていくのを、見られたくなかったんだろう。
そういう意地を張るのは、九州男児の血統を引いているのだろうか。

また、昔気質のバンドマンは 「飲む・打つ・買う」 で、特殊に生きるイメージもあった。
「飲む」 は否定しないが、話好きでヘソ曲がり、大してお金もないのに、人の面倒見だけはよかった。
関係者の話を聞くと、若手にニラミが利く、親分気質な存在でありながら、冗談や話がめっぽう好きで、演奏前後の楽屋談義では、ツボにはまればおもしろかったんじゃないかな。

そんな 「不良タイプ」 でありながら、子育ては尊敬される大人として、真っ当に生きていた。
もしかしたら、レギュラーグループをはじめ、サポートメンバーは、こんな親父のタイプに困惑しながらも共通言語のジャズで、熱い演奏を展開したのかも知れない。

昨晩、当時の流れや思い出を語れる男女の面々が、カウンターに4席あった。
ボクとの年齢差や対面に壁を作らず、昔話で供養していただいたことが、何とも儚い夜となった。
あえて、名は書き連ねないが、新潟のジャズファンなら、だれもが知る存在である。

深夜、89年 「新潟パルティア」 で録音された、カルテット編成のライヴ盤を久しく耳にした。
当時と比べて、耳は肥えたと思うので、親父のドラムを語彙にすれば、レガートが攻撃的で、スネアーが乱暴ぎみで、少しおさえてほしい印象はありながら、ブラシに持ちかえると 「えっ‥ 美しいじゃん」 と思わせられたり、好みの違いでしかないけど、好きな人とそうでない人に分かれかもね。

30年以上も、細々とジャズを聴いてれば、当たらず遠からず、感想に広がりを持てるようになる。
親父は 「よい子の見本」 のような、整合的な演奏はしないから、泥臭い感じだったし、晩年が健康であったなら、何とも 「枯れたドラム」 も聴いてみたかった。

これまでのブログ上、文脈のつなぎぐらいで、ほとんど 「親父の存在」 を記したことはなかった。
今日のことがなければ 「職業 ジャズドラマー」 で、こういうかかわりがあったことは、ふせていた。
それこそ、冒頭の書き出し文 「そんなことでもなければ‥」 である。

ボクはボクなりのジャズの愛し方で、「ゆるさを大切」 にした 「ジャズバー」 を続けていきたい。
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2016年08月29日

My Father 2

親父が死んでから、3日間は葬儀や役所の手続きなどで、公私に忙しなかった。

妻とは 「気が張っているうちに、やるべきことをやろう」 と、そんな二人三脚だった。

葬儀の風習は、通夜から葬式、出棺に火葬だが、密葬は儀式や参列を省き、近親者だけで見送る。
出棺前、棺に花を添えているとき、目にうっすらと涙こそかすんだが、喪主として役割を果たすまでは、泣くものかと気丈にしていたせいか、気持ちの表面張力は決壊寸前な状態だった。

お骨を胸に抱えて、帰宅した夕方。
伯母に電話で親父を看取ったことを伝えると 「本当によくやってくれて、ありがとうね」 と最後の一滴を垂らされた瞬間、15年間の介護が報われた気持ちになり、涙があふれて止まらなくなった。

一般的に長男と嫁は 「親の介護はやってあたりまえ」 の古い風潮がある。
近所への気がねや、周囲の心変わりに戸惑い、仕事と介護の両立をわかってもらえない。
また、経験にないことは、無関心な空目体質を見たり、その 「あたりまえ」 がどれほど大変なことか、経験をした人でなければ、なかなか理解されにくい。

長年、終わりがどこかわからない 「残された時間」 は、山の天気のように生活環境も変えた。
このあたり、親父が身をもって老年期の姿を教えてくれたようで、排泄の世話に着替え、食事の介助や体の動かし方、文句も言わずに痴呆を見守ることなど、いろんな経験をさせられたと解釈したい。

同時に何度も頭を下げて、介護施設に入所できてからは、自らも行っていた身体的な介護の必要はなくなったが、そのときの経験があったので、介護を見る目は養われていたと思うし、それからは精神的な介護 (面会) に絞れたことで、われわれ家族は助かった。

また、訪問介護以降、要介護 5 (全介護) に認定されても、あずけっぱなしにすることなく、定期的に面会へ出向いて、心と体の生活状況を確認し合うことで、入所施設でトラブルもなく、終末期の病院でも恵まれた医療環境で過ごせられた。

そんな、人生最期の居場所から、危篤の電話をくれたのは、その病院で偶然に看護師で担当していた、店の常連客だったことは奇縁であり、彼女らのエキスパートぶりには感謝している。

それでも、親父の死を実感したのは、数日後に新聞のおくやみで名前を目にしたときかな。
そして、安らかに永眠した親父の姿をきっかけに、家族のわだかまりも少しだけ、ほぐれた気がした。
そうだ‥  皆  「親父を愛していたんだ」  

老年期の親を持つ同世代、きたるべき日に備え、介護経験者として、惜しむことなく執筆。 
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2016年08月28日

My Father 1

親父が死んだ。

8月23日 朝9時43分 医師の立会いのもと、病院で息を引きとったことを確認した。

去年2月に入院するときは、病院の正面から一緒に車椅子で入ったのに、帰りは寝台車に乗せられた親父の遺体に付き添い、裏口からひっそりと出ることになった。
覚悟は決めていたものの、唐突な別れに実感を持てなかった。
いつもなら、まだ寝てる時間なので 「俺は今、夢を見ているのか‥」 と、乾いた感情に包まれた。

そのときだけは、励ましやいたわりの言葉は耳に入らない。
自然と入ってきたのは、夏の終わりを告げるように響き渡る、セミの鳴き声だけだった。
そして、父親世代の青春をプレイバックさせるような入所者の歌声が、どこからか聞こえてきているとき、霊柩車を待つカーテンにおおわれた病室では、穏やかに眠る父の顔を妻と一緒に見つめていた。

人の悲しみは、個人的なことだと思っている。
それでも、気力を保つため、店を休まずに開けていたので、そのときはだれにも知られていなかった。
客が途切れた夜半、たまたま流していた 「ビル・エヴァンス」 を聴いていたら、知らず知らずのうちに、父親との思い出に気持ちが傾いていた。

後日 (24日) 正午に安置所から出棺し、親父の遺言通り、近親者で静かに密葬 (家族葬) した。
こうして、段階的な介護で多くの愛情に支えられ、15年の闘病生活は 「享年82歳」 で幕を閉じた。
晩年は、家族の顔も忘れてしまったが、一瞬でも心の記憶を呼び起こせたらと思い、面会に通い続けたものの、その願いは叶わなかった。

午後3時、遺骨を胸に抱いて帰宅し、仮眠をとるため、あえて日光をとりこんだ寝室に軽く横たわった。
しばらく、そよ風にフワッと舞い上げられては、またしぼんでしまう、レースのカーテンを眺めていた。

時は流れて、28日 休日の昼下り。
あの日の心境を思い出し、自宅で澄んだ気持ちで執筆。

空が高く感じて見えた・・  夏が終わる。

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2016年08月24日

夜間飛行

今月、寝室のエアコンを省エネタイプに買い替えた。

旧式は東京在住時から、20年近くは使用しており、性能は別にしても、減価償却は終わっている。
冬場の寝室はオイルヒーターで空気を温めて寝るので、エアコンは夏場の猛暑対策でしか過ぎない。

今年は緩やかな暑さでよかったが、夏が苦手なボクとしては、秋の気配が待ち遠しい。
さすがにボサノバやブラジル音楽は飽きたので、そろそろピュアなジャズを聴きたくなってきた。

いきなり 「オータム・リーブス」 「セプテンバー・イン・ザ・レイン」 では、ムードが一変するので、最初は想像を緩やかに 「サマータイム」 「ステラ・バイ・スターライト」 あたりがいいかな‥

店のお客さんで、たまに国内線のパイロットがお見えになる。
夜のフライトでコックピットから海を見下ろすと、イカ釣り漁船の灯りに気持ちが癒されるという。

新潟市の夜景ではなく、海にポツンと浮かぶ灯りに、パイロットならではの心情を感じた。
もしかすると、イカ釣り漁船からも飛行機を見上げて、同じような思いを描いているかもしれないね。

夜空からの視点で 「アニタ・オディ」 の 「ステラ・バイ・スターライト」 を、夜間飛行しながら聴いたら、気分はサイコーだろうね。
 
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2016年08月23日

涙の感情

22日に閉幕した 「リオ五輪」 では、数々の女性アスリートの涙が印象的だった。

ひとえに感動、感激、悔しさ、悲しさ、虚しさなど、涙の理由は人それぞれであろう。
女性の涙には諸説あるが、いつ見ても感動の涙は素敵である。

社会で 「泣く女」 は弱いのであろうか‥
女性は 「悔し涙」 が多い気がする。
自分自身、会社勤めが長かったので、たいがいのことはわかっているつもりだ。

男の涙は、叱咤激励されたときだろう。
その傾向、親から大切に育てられすぎ、あまり叱られた経験がないとか、誤ったプライドをへし折られたときなど、今まで経験したことのない出来事に直面したときに多いと思える。

それも 「自分なりの基準はこうあるべき」 で育ったのではなく、極端に自分の気持ちだけを大切にした人ほど、涙腺がもろい気がした。

女の場合、サッと給湯室や更衣室に入り、周囲に知られないように、ひとりで泣いて戻ってくる。
大半は、うまくいかない自分に向けた悔し涙だから、それだけ前向きな証なのかもしれない。
若いとき 「うまくいくようになりたい」 と思う子ほど、人知れず悔し涙を流しているのかもね。

男の場合 「人前でメソメソするな」 そんな教えが強かった世代なので、不自然に涙を我慢する。
例えるなら、表面張力で辛うじて保たれてる水面に、最後の一滴を落とされるまで、涙をこらえるような云わば、やせ我慢である。

ボクは、泣くのを 「感情のリセット」 に役立つことを知ったのは、40代も後半になったころかな。
それに、泣き顔を見せられるのは妻の前だけで、もし 「男のくせに」 なんて言われたら、立つ瀬がなくなるから、男は包容力のある人間 (女性) の前でしか、涙を見せることはできないんだ。

涙の理由はともかく、泣ける相手をひとり作ることで、救われることはある。
だから、自分の感情を解放できるパートナーは、これからの人生において大切になってくるだろう。

だれだって 「子泣きじじい」 になりたくなるときはあるさ。
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2016年08月22日

五輪の効力

男子陸上400Mリレーは、日本史上最高の銀メダルを獲得した。

個人では、だれひとり決勝に進出できなかったのに、4人で結束をしたら銀メダルを獲るから、やっぱり日本は 「協調/NIPPON」 なんだよな。

日本時間、22日の朝に閉幕するリオ五輪。
4年後は東京開幕だから、競技に賭ける願いは俄然と追い風になり、期待が持てる。
日本の凄さは、国土と人口が、メダルの数と比例していないところにある。

他に多くのスポーツが開幕されているが 「夏の甲子園大会は今、何回戦?」 「プロ野球の順位は?」 など、この2週間ほどは、興味の対象が入れ替わった人もいるのではないか。

スポーツの素晴らしさを形容する際、夢や希望、勇気や団結など、耳触りのいい言葉が躍る。
前向きな言葉を交わすことで、おたがい友好関係になれることも利点だ。

人は感動的なシーンを見たり、共感したりすると、自然と行動が能動的になる。

とは言っても、大それたことではなくて、クローゼットから昔履いていたシューズを取り出してランニングをはじめたり、もう少し社交的な人間に変わらなくてはとか、何かに影響を受けたことは、小さな行動となって表れてくるものだ。

スポーツだけに限らないが、映画でも音楽でも、感受性が動かされた人の行動は変わるから、はたから見ていてわかるもので、例えば5分早く会社に行くようになるとか、受身一辺倒の人間関係を少し変えて積極的に相手に溶けこんでいくなど、小さな変化からはじまることが多い。

引きこもり体質の人が 「ポケモンGO」 がきっかけで外出するようになるより 「マンパワー」 に影響を受けて、自らの意思で外出するようになったほうが、はるかに健全であろう。

それは、たとえ、三日坊主でもいいんだ。
そういう風に揺れ動かされて、あんなようになりたい自分を一瞬でも感じたら、御の字だと思える。

最近、ヒザが硬くなってきたのを自覚しているので、この機会にスクワットをはじめようと思っている。
さしたるスキルもないので、三日坊主になりそうだが、自分には甘い点数をつけても、だれと比べるわけでもないんだから、いい加減 (良いかげん) でもいいんだ。

「一度はその気になった」 と思えることが良いんであって、それからはじまるんだからね。

 ↓  彼らの 「特攻精神」 を見習おうではないか!? (ハイタッチを交わすところもすごい)
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2016年08月21日

魔物の正体

五輪でメダルを獲るのと獲らないのでは、その後の人生さえも変わってしまう傾向がある。

スポーツの世界では 「会場には魔物がひそんでいる」 ようないわれ方をするが、この言葉の意味は  あんがい 「人生観」 を指しているような気もする。

メダルを獲得した選手は 「勝ち組」 として、これまでの生活にボーナスポイントがついてきて、時の人あつかいされるが、そこに至るまでの、想像を絶する過酷な練習の裏付けにはくみをする。

しかし、メダルを獲得すれば知名度は上がるどころか、引退後の行く末まで、コメンテーターはもとより、芸能人や実業家、果ては国会議員にまでなれるんだから、夢の勘違いを描く選手も出てくるだろう。

まあ、才覚があればの話だが、多くの展開は、実力よりも人気が先行するものだ。
それに、人を押し退けたり、強烈な自己主張ができないと、メダリストにはなりにくい。

また 「強さに全幅な信頼」 を置くようになるから、ひとえに温厚すぎたり、優しすぎる選手には、代表はつとまりにくいし、強靭な精神力が備わってないと、とても勝ち上がれる世界ではない。

だから、芸能人や国会議員にまでも、なれてしまうのかもしれないね。

今大会の注目競技で、メダルを獲得できなかった選手に、女子柔道2人、女子レスリングで1人いたが、顔と名前を覚えている人は少ないし、その存在すら忘れられているだろう。

それほど闘いの後には、勝者と敗者しかいないのだと、肝に銘じておくべきなんだろうな。

ただし、敗者だったからこそ、これからの人生設計や社会の縮図が見えることもあり、意外な展開の末巻き起こる出来事が 「魔物の正体」 なんじゃないかと思える。
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2016年08月20日

表面張力

緊張感の連続で、表面張力が破裂したんだろうな。

女子レスリング53キロ級で、銀メダルを獲得した吉田沙保里は、表彰台でも悔し涙が止まらなかった。
もし、準決勝で敗れてたら、その後に3位決定戦がひかえているので、早く切り換えなきゃいけないため逆にあそこまでの号泣は見られなかったであろう。

決勝戦は決着後、すぐに表彰式になるので、心情を整理できないまま、壇上に上がらなくてはならない。
そこが辛いところで、取材協定でインタビューにも、応じなきゃいけないところもしんどい。
頭の中が真っ白な状態のまま、やれもか整理をつけなきゃいけないんだからね。

ああいうときは、出し殻状態になっているから、そっとしておいてもらったほうがありがたい。
負けたときは、だれとも話したくないもので、言葉が出ないのは、あれはあれで仕方ないことだ。
それでも、気力を振り絞って対応しなきゃいけないことが、少し煩わしく、やや苦痛だったりね。

おそらく、負けた選手の多くは、脱力感を隠して、同じことを感じているだろう。

それだけ、表面張力が一杯に膨らんだ状態であって、試合に全力を投じている証である。
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2016年08月19日

時差万歳

18日 日中のオフィス街。

クールビズのサラリーマンが、バックを片手にタオルで額の汗を拭きながら、歩く姿を多く見かけた。
訪問先や現場によっては、クールビズを避ける場合もあるが、照り返しの強いビル群の雑踏の中でも、上着を着用している人を見かけると、営業職の鑑のように映ってしまう。

そんな日中だから、その日の気分に合わせたツマミをアテに、夕方の口開け一杯目のビールをキューと流しこみたくなる気持ちはわかるし、この瞬間のために外回りをがんばれると言っても過言ではない。

しかし、仕事帰り、まだ日の入りしない平日の時間帯で飲むのは、妙な罪悪感がよぎる。
それに、定刻で終業できる職種ならいいが、シフト制や急な連絡がともなう立場にもなると、早い時間に腰を据えて、飲んではいられない気分にもなろう。

だから、夕方限定の晩酌セットにありつけるのは、一般公務員や節約志向がほとんどで、それだけを サッと飲んで、サッと帰るパターンは聞く話だし、何よりも夏場のお客さんの滞留時間は早く短くなる。

また、8月は四年に一度の特別な五輪月だから、あまり寄り道はせずに自宅で晩酌する人が多くなり、個人消費が分散しない傾向にあると、経済ウォッチャーは景気を読んでいるようだ。

もう朝晩、寝不足になろうが 「にわかファン」 が、五輪中継に執着してるから、街中のプライムタイムも短いものである。

そんな今夜、女子レスリングの大エース 「吉田沙保里」 の登場だ。
深夜に決勝へ進出したのを知るが、ブログを投稿した後、早朝の決勝戦を見て寝つくことになるだろう。

ボクにとって、日本とブラジルの時差が、至福なプライムタイムとなるから、気分はタイムリーである。
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2016年08月18日

協調精神

「和をもって尊しとなす」  聖徳太子の言葉である。

連日、リオ五輪では、卓球に体操、シンクロにバトミントンなど、個人競技でありながら、団体戦 (ペア) でも、結果を出してることから、協調的スタイルは、日本人が最も得意とする 「和の精神」 であろう。

ゆえに 「両刃の剣」 で、一度ひびが入るとおいそれと関係を元に戻すのがむずかしくなり、その場合、双方の結びつきを修復できる、リーダーやメンターの存在が重要となってくる。

その役目を果たしたのが、卓球女子団体銅メダリスト 「福原 愛」 だろう。
彼女は友情を分かち合い、感情を声に出して、自分の在りかを示した。

石川や伊藤にとって 「この人を思い出すと涙が込み上げてきそうな存在」 のひとりだろうし、単独より3人が組み合わさったときのほうが、存分に力を発揮できたと思える。

それに 「昨日の敵は今日の友」 ぐらいになれないと、団体戦は結果を出せないものだ。
そうなると勝負は、テクニカルな面に加え、メンタル面が影響を及ぼすスポーツなのであろう。

「あのとき、助けてもらった」 「今度は、あの人のため、何か力になりたい」
そんな思いが交わりあい、お互いの間には、深い友情ができあがっていることもあるからね。

最近、解散宣言をした 「スマップ」 にしても、おいおいの変化は仕方あるまいが、女性マネージャーの存在を失ったことで、さらなる亀裂が生じていたことは、否めないようである。

だいたい仲違いとは、情緒的なことの方が大きい。
家庭で内輪もめばかり起こしていれば、その家庭は成り立たなくなるのと同じで、グループやメンバーは 「今、どういう状態なのか‥」 定期検診をしておく必要もあろう。

それにチームワークは天気と似ており、普段は少しぐずついた天気でも良しとしておかないと、息苦しくなるから、肝心なときは一致団結して晴天となり、これが猛吹雪ばかり続くようだと解散せざる得ない。
何だか面倒くさいことだけど、それができなきゃ、安易にチームなんて組むものではないと思う。

ひとえにチームワークと言っても、いろんな形があるけれど、それぞれの人生観が違う他人の集まりだ。
そこを意識しておかないと、すぐ 「だまされた」 って話になるから、最初の年齢では考えられなくても、途中の年齢でどう考えて行動をしたのか、大切なプロセスじゃないのかな。

みんなチームワークを話題にするが、じゃあ、悪くなったときどうするか‥  だれも答えられないんだ。 
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2016年08月17日

二礼二拍一礼

ようやく、鼻緒ズレに慣れたころだが、下駄を履くのも今日が最後であろう。

16日 午後6時に新潟護国神社の正面、鳥居で友人らと待ち合わせた。
妻とも気心の知れた4人で、石畳の参道を歩き 「万燈みたま祭り」 の祭典が行われる本殿へ。

毎年、14〜16日の3日間は、戦没者の慰霊祭が行われるが、最終日の夜は参拝者が少なく、静かな境内でおごそかな気持ちで 「二礼二拍一礼」 をできる。

わりあい古風な考え方をするボクだが、これまで神事に触れることは多くなかった。
こうして、触れる気持ちになってきたことは変化であろうし、気休めながら神聖な活力を浴びたようで、  神社の荘厳さは好きだ。

この日の境内、立派な神輿や元気な担ぎ手、派手な灯籠や縁日が出るでもなく、しめやかな雰囲気で盆踊り大会が開かれている程度で、去年と大きく変わってたのは、ポケモンGOで遊んでいる人たちが、鳥居の周辺から参道に、ざわざわとうごめいていたことかな。

生温い夜風に吹かれながら、少し夏疲れした体ではあるが、気分はおちつきとともにすこぶる。
信心深さはないが、神霊に手を合わせることは、自分に対するやさしさも意味することかも知れない。

その夜、楽しいお酒を飲めた。
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2016年08月16日

らいおんハート

スマップの解散宣言で、またもや 「世界に一つだけの花」 の購買運動が始まったとか。

今年1月のブログにも書いたけど、彼らの年齢をおもんばかれば、もう仕方あるまい。
花屋の店先には、いろんな花があるように 「オンリーワン」 を認めてもいいかと思うよ。

ビジネスの世界では、その逆で 「やめたい」 と言う人ほど、やめたためしはなかった。
下手すりゃ、いろんな形で会社を辞めることを描いたまま、定年退職なんて人もいたはず。

一般的に50代で辞表は出せないから、出すんなら40歳前後のタイミングしかないだろう。
だけど本当に辞める人ほど、人知れず辞めるもので、マスコミに宛てた内容に強い意志が表れていた。

過去、管理職だった経験からすれば、部下から2回 「辞めたい」 と言われたら、意思の固さと見なして解き放していた。

1回目は、だれにも経験があるように、世事にうとい部分や単に不満の場合もあり、一旦は説得するが部下も留保されたい気持ちも少しあるだろう。
それが、2回目の辞めたいになると、勇気をもって相談しにきたのを前提に、一人前になったと見なす。

不満は一旦解消できるが、本当にやりたいこと、やりがいを見つけたとき、今の会社で実現できないと感じたのであれば、転職の成功率は高いだろうが、不満退職になるとどうだろうね‥
そこは年齢と、それまでの経験に負うところが大きいはず。

それに、会社を辞めたいという気持ちになったことがない人に、会社の舵取り (マネージメント) なんてできないし、感性にとぼしい 「船頭の泥船」 に乗ろうなんて思わない。

スマップのメンバーは 「個々に独立できるだけの力」 がついたんだ。
いつまでも、子離れできない親みたいに、周りは追いかけてばかりいちゃいけないよな。

彼らは、ボタンの掛け違いを修復できないまま続けるぐらいなら、いっそのこと解散しようと判断した。
つまり、言うべきことはいい、やるべきことはやる、これから本音で生きるんだから、それでいいんだ。

ボクは 「らいおんハート」 の 「いつか、もし子どもが生まれたら、世界で二番目に好きだと話そう」  あの、いさぎよい部分 (歌詞) が好きだね。 
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2016年08月15日

人物宝庫

たまに街中の 「100円ショップ」 を眺めると、なかなか便利なグッズを見かける。

最近、いいなと思ったのが、自転車専用の携帯型の空気スプレー。
缶をタイヤのノズルに装着するだけで、空気圧が補充できる優れもので、これなら自転車用のポンプを置く場所をとられないし、何しろカンタンで満足のいく商品なら、店や値段はそんなに気にしない。

これからは必需品以外、あまりモノをもたない生活となる。
元々、車や電化製品、耐久消費財に執着しないから、その分、気楽な交際費に充てるタイプ。
モノより、人つきあいに重きを置くから、ムリのない交流範囲で気分を満たせる。

元東京都知事のように、あれもこれも私物を欲しがる傾向はない。
よく、モノを捨てられない人、モノに執着する人は、過去が影響しているといわれる。
過去は思い出に他ならないが、その記憶を語れれば、捨てられる潔さを持てると思う。

それこそ、半世紀を生きたおやじが、学生時代のラブレターや、別れた彼女の写真を保管していたら、気色悪いのと同じで、戻らぬ思い出に立ち止まることはないだろうし、捨てられないモノがあるとしたら、友人の形見分け、畏敬の念があるモノに限られるだろう。

モノに依存しない代わりに、人に記憶を持つようにしているから、ボクの頭の中は人物宝庫である。
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2016年08月14日

エピソード

リオ五輪で、日本柔道は復活したね。
それまでのルール問題もあったけど、選手団は胸を張れる成績には違いない。

柔道をしていたころの仲間と、意外な場所で偶然に再会したことがある。
時の強さ弱さは抜きにして、一度は同じ志の元で集まったのだから、おたがいに敬意は払えるもの。
だから、会話は弾むし、当時に戻りにこやかになれるが、本当のことを言うと、男同士ほど思いのほか、カラッとした関係は少ないんだ。

男の勝ち負けは執念深く、一度ブン投げられたり、負けた屈辱を味わうと、あまり胸襟を開かなくなる。
ボクはその逆で、自分が負けた試合ほど、本人に聞きたくなるタイプ。

「あの技、狙っていたの」 とか 「あれで、攻撃のリズムを崩したんだ」 など、真剣に競った者同士しかわからない会話で、白熱すると 「あれは、足払いと称したローキックだろ」 や 「順当に勝ち進んだら、3回戦であたるから、おまえが会場入りしないことを願っていた」 と生々しい本音を交わすときもある。

さらに 「奥襟を持たれたら、跳ね上げられることはわかっていた」 「送り襟締めは練習していたのか」 だの、おたがいの頭の中では畳が敷かれて、そのときの試合や稽古の場面を再現しあっては、最後は気持ちよく笑って終わり。

本当はこんな具合に健全な会話なんだけど、強い弱い勝った負けたの自意識がじゃまをする。
それに、スポーツをやっていたと豪語するわりに、いつまでも恨み節を唱えて、シャレを効かせられない男がいるけど、彼にはエピソードがないのかと思うと、少し残念でならない。

かと思えば、同級生の中には 「冬の畳は冷たいから、柔道部をやめた」 とか 「寝技で、男に目覚めそうになってやめた」 だの、本当かウソかわからない30年以上も前のことを、笑い話に作り替えられるユーモラスな男もいたり、語り部ひとつ、こんなにも差が出るものだ。

友人の話で大笑いしたのが、今も新潟のローカルテレビに出演する男と、個人戦で対戦したときのこと。
彼には寝技で負けたらしいが 「あいつ、寝技のときに、でっけえ屁をこきやがって、頭に来たぜ」 と、今となれば勝ち負けよりも楽しいのは、そのときのエピソードなんだ。

つまり、エピソードに少しのユーモアをのせて話せることが、スポーツマンの健全な思い出なんだ。
それこそ 「あいつにインキンをうつされた」 とか 「組んだ瞬間、汗の臭いで気か遠くなった‥」 だの、これこそスポーツ経験者として、大切な到達点でもある。

だれも、勝者の自慢話なんて聞きたくないわけで、大げさに言ってしまえば、金メダルは一つだけども、そのときのエピソードは参加賞みたいなもんだから、だれもが語れる術で、玉の汗を流しあえた関係の笑いこそ、スポーツマンの証なんだけどね。

同窓会シーズンの今、昔を屈託なく語り合えたら、きっと楽しいだろうね。
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2016年08月13日

お盆帰省

スーパーでカートを押していたら、谷村新司の 「サライ」 が、BGMで聞こえてきた。

毎夏、この曲を耳にすると、夏の終わりを感じて、募金をしなきゃいけない空気になるよね。
そんな売場では、切り花やお供え物が棚狭しに並び、主役がすいかから、巨峰や桃に代わっている。

駅のホームから、帰省客にマイクを向けると多くの人は、お墓参り、海水浴、飲みに行くことが、大人の三点セットになっている。

東京在住時、夏の終わりは新潟に里帰りしていたが、望郷の想いは格別だった。
先送りできない話もあれば、30代になると身の上話も多くなり、いつまでもレジャーの一点張りだけでは過ごせなくなる。

夜も更けたころ、蚊取り線香を炊いた部屋で、小さなコップにビールを注ぎながら、家族で今後のことを話し合うようになるから、夏休みの気分も20代までで、東京へは後ろ髪をひかれる思いで帰ったね。

ボクはそういう経験は終わっている。
子どものような笑顔で里帰りするが、家族の現実を受け入れながら、残りの時間を意識して帰るんだ。

今日13日 「盆ぐらい、家にいろよ‥」  どこの家庭からも、そんな声が聞こえてきそうである。
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2016年08月12日

妻の退院

10日 妻が退院し、術後の体調は良好で、久し振りに自宅で団らんをした。

前々から、時々不整脈が起きることがあり、薬を処方して症状を抑えていたが、夫婦で話し合った結果 「体力のあるうちに、早く直しておこう」 と、局所をカテーテルで処置した。

そんな一週間ほど、独身生活を余儀なくされたが、日中は自宅と病院の往復、日程によって早朝より、夕方からは開店準備を始め、週末の夜は 「Mちゃん」 に、お店を手伝ってもらっていた。

別宅の母は朝早くに起きて、妻に少しでも栄養をつけてもらおうと、タッパに消化のいいおかずを詰めて病院に来たり 「おばあちゃん」 になると、感情の伝え方が、わかりやすくなるものだ。

その環境、次第に自分が 「男やもめ」 になっていくのがわかってくる。
妻の入院は初めてではないが、一緒に暮らしていることで、自然と生活のルールができてくる。
例えば、おたがいのケータイは見ないとか、相手のバックは開けないなど、夫婦間のルールだ。

それに、棚の引き出しや家具や台所のモロモロ、むやみに開けたりしないから、どこになにがあるのかわからないし、夫婦といえども礼儀ありだから、おたがいの持ち物には触れないのが暗黙なルール。
元をたどれば、夫婦は他人だから、ひとり暮らしの心積もりも大事だが、いづれ全公開も必要になる。

男の生活は最低限、寝れる場所と水回りがあれば、そんなに不自由はしない。
趣味があるなら別だが、それほど間取りにこだわらないし、小さな書斎があれば満足だ。
気がつけば、モノをもたなくなるし、モノを捨てることにためらいも薄くなるだろう。

しかし、妻がいないと、部屋の香りが変わってくるのがわかる。
いると、空気が澄んで、清潔な香りがするが、いないと、空気がよどみ、変なにおいが漂ってくる。
それも、日増しに強烈になってくる。

発生源は、台所や洗面台の水回り、食事をとる定位置付近に、生ごみ周辺。
汚しているつもりはないんだけど、女性と比べると作業が大雑把で、所々不器用なんだろうな。

生活習慣もあろうが、脱げば脱ぎっぱなし、出せば出しっぱなし、元の位置に戻すことを言われても、 その通りにはできず、掃除もテキトー、洗濯物もドラムに放りっぱなし、食器も水につけてるだけ。

ほとんど自炊はしないから、弁当の空箱やビールの空き缶を無造作に置いては、机にはロックグラス、寝室には本が読み散らかっているなど、次第に部屋が劣化してくる。

決定的な発生源は 「男の寝室」 にある。
それも、枕にあるようで、そこから部屋の空気が獣臭と化して蔓延している。

慌てて、部屋の空気を入れ替えたり、ファブリーズをまいたりするが、時間に追われた生活をしてると、枕カバーのシミもそのまま、汗にまみれた寝具も変えないから、加齢臭とともに柔道部の部室のような、においがたちこむようになる。

約一週間ぶりに帰ってきた、妻が言うには 「自宅なのに、扉を開ける瞬間が怖い」 とか。
「失礼だな、君は‥」 ゴミは捨てた、部屋の換気もしたし、メモ書きは全て対応しましたよ (笑)

ボク自身、お店の掃除は毎日しっかりしている方だと思うが、家のことはほとんど妻任せなんだ。
女性がひとり暮らしに長けている理由は、自分のことは自分でやる習慣が身についているからだろう。

その点、男は 「その日暮らし」 の意識が強く、家庭で買い物や簡単な家事手伝いに参加しておけば、極楽トンボでいられるが、その代わり家族を命がけで守る使命感もあるんだ。

また、部屋中 「いい香り」 に包まれ出してきた。
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2016年08月11日

武士の情け

連夜、熱戦が繰り広げられている、リオ五輪の柔道も残すところ、あと2階級となった。

発祥は日本だから、各国から実績的にマークされるし、判官びいきもされやすい。
また、外国人選手はポイントを奪うと偽装技を駆使して、判定で逃げようとする傾向がある。
その点、日本人選手は一本にこだわる柔道をつらぬき、積極果敢に攻める姿勢は世界に誇れる。

男子71キロ級、オール一本勝ちで金メダルを手にした 「大野将平」 には好感を持った。
彼は常に、畳を降りるまで冷静で、勝ち名乗りを受けても、その場ではムダにはしゃがない。
男子66キロ級、銅メダル 「海老沼 匠」 にも通じる、凛とした姿勢がいい。

勝利者インタビューで、その心境をこう答えていた。
「まだ、目の前に相手がいますので‥ (敗者に失礼にあたる)」
メンタル面も含めて、強い選手は相手を見ている (相手から目を離さない) んだ。

それに、負けて足元に倒れている相手を、勝ったからと上から見下ろすような真似はしない。
外国人の中には、自分だけの勝利と錯覚して、礼すらまともにせず、審判から注意された選手もいた。

一時に歓喜するのは、人間の発露だから理解できる。
しかし、冷静さを必要とする場面で、タチの悪いパフォーマンスに興じる姿は幼稚に思えるし、あれこそレッドカードもんだよな。

それは、社会や親が多少でも 「こうあるべし」 と言い切らず、常に 「自分の気持ちだけを大切に」  育てたから、あたりまえの形式を無視するようになり、そのくせ、プライドだけは一人前になるんだ。

それをだよ、インタビューでは歯の浮くようなセリフを用意していたり、短い流行語を取り上げる以前に、 大野将平が見せた 「柔道のあるべき姿」 を取り上げるべきで、若干24歳の硬派なコメントと胆力ある態度のほうが、武道の精神 「情け」 も知らなきゃいけない、日本人にガツンと響く名言だった。

ボク、この人のファンになっちゃいました。
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2016年08月10日

R. Chandler

連夜、仕事を終えて自宅に帰ると、時差がいい具合にオリンピックの生中継をやっている。

たとえ、競技のルールは知らなくても、見ているだけでも引き込まれてしまう。
それは、スポーツマンシップに裏打ちされた、国の威信と個人のプライドをかけた戦いだからだ。

こんなことを言った、フランスの詩人がいたよね。
「もし、私が神だったら、青春を人生の終わりにおいただろう」
それほど、若さは儚くも、うらやましいものなんだ。

柔道であれば、ボクがやっていた競技だから、体感的に理解とひらめきを覚えるが、肉体は戻せない。
また、戻そうとも思わないし、完全燃焼したことに未練はない。
だけど、スポーツを通じて、成長するための競争ができたことは、貴重な経験だったと思っている。

男の世界、どんなに強かろうと礼儀や常識を知らないと、人として欠陥がありそうで信用されない。
なぜなら、柔道はその気になれば、相手を素手で倒すための技術 (投げる・極める・締める) だから、人間教育をされてないと、社会に何の貢献も価値ももたらせない、迷惑人間以外の何者でもなくなる。

これはスポーツ全般に言えるが、本当は成熟してない者にスポーツを教えるのは責任があることだし、ひいては指導者の問題に行き着くから、教えることは使い方を誤らせてはいけないんだ。
野蛮人を育成するためのものじゃないからね。

アメリカのハードボイルド小説で有名な 「レイモンド・チャンドラー」 の言葉にもある。
「強くなくては、生きていけない。 優しくなくては、生きている価値はない」 (Raymond Chandler)
日本人ウケしそうな、夢や希望、絆になんちゃらの前に、それがわからないと意味がおぼつかない。

それは、一流選手に必要な資質で技術の習得以上に、人柄を示す方が人から厚意を持たれるよね。
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2016年08月07日

気力なし

花火は、ひとりで見ても、味気ないものだ。

妻の見舞いへ行った帰り道、ひとり分の弁当を手提げ袋に入れて、花火大会中の萬代橋を歩く。

夜空の大輪を横目にした後、打ち上げ音を背中に感じながら、夜の8時10分に帰宅。

もう、今日はどこにも出かける気力はない‥
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