2016年07月18日

清 貧

先週は公私に忙しない日が続いたせいか、7日ぶりの休日にホッとしている。

若い頃のように自分のことだけを考えて、遊びで忙しかったことが今では懐かしい。

数日前、バスの車窓から、高校時代の同級生を見かけた。
当時、彼は夏の甲子園のアイドル、早実の荒木大輔投手を思わせる風体で、野球部だったこともあり、秘かに女の子に人気があった。

卒業後、地元新潟の食品会社に就職し、主に配送業務を任されていた。
そのため、たまに街中で出会しては言葉を交わしたが、ほとほと顔見知りの関係でしかない。
そのあと、3回ほど見かけたが、おたがい車の運転中だったり、交わるに適さぬタイミングだったり。
あれから、30年以上経つが、今も同じ社名の小型保冷車に乗り、食品を配送をしている姿があった。

ボクが感心するのは、当時は職業を選べた時代なのに、高卒で30年以上も同じ会社に勤務し、本人の希望はどうあれ、今も配送業務を主にしている継続性である。
そこには、仕事を継続できる 「平凡こそが幸せ」 であるという価値観を感じるからだ。

あくまでも一般的なレールなら、結婚して家庭を持ち、毎朝定時に出勤して、夕方宵の口に帰宅する。
子どもが生まれると身の丈でマイホームを持ち、いづれ子が巣立つころになると 「晩年の生き方」 を考えるようになり、そのときの家庭状況においては、いろんな選択肢が見えてくるだろう。

彼の人生の歩みは一切わからない。
だが、その姿からは経済的な幸せより、家族がいつも肩を寄せ合っている、仲のいい光景が浮かぶ。
1日の出来事が食卓で交わされ、おかずを取り分けあったり、会話と笑顔が交差するような家庭だ。
何も金銭的な愛情だけでなく、どこか牧歌的で、世でいう 「貧富の差」 なんかに惑わされず、人として根源的な満足感を得ているような気がする。

やれ、勝ち組だ、ほれ、負け組だ、あそこのダンナの肩書や年収を噂し、高級車で子どもは私立とか、眉をひそめたくなるような、イヤらしい話には一切関わろうとしない、気持ちに 「清貧さ」 があるんだ。
つまり、わが家にはわが家の生き方があると、凛とした家族の姿勢が幸せの基準になっていると思う。

彼のことを想像でこう書いたら、心外に思われるだろうが、ボクは少なくてもそう感じた。
いろんな仕事で自分の可能性を試すのも人生だが、仕事を一貫する姿勢は現実的なロマンでもあり、それは人それぞれ良し悪しの問題ではない。

ボクの愛車は、メイド・イン・イトーヨーカドー製の自転車だが、たとえその脇を知人が運転する高級車が颯爽とすり抜けても、何とも思わないね。

人と比べない生き方も大切である。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする