2016年06月26日

友の病室

毎年、5月から6月にかけて、車で小一時間ほどかかる、特養病院へ出かけている。

そこには、共に高校時代、インターハイへ出場した戦友が療養しており、こうして会いに行くようになり、今年で6年目となる。

病室に入ると、静かに天井を見上げている姿がある。
枕元に置かれたラジオからは、とりとめのない音声が流れているだけで、白いカーテンのすきまからは、晴れわたった青空が見えたり、雲に覆われたりしている。

過去は重複文となるので省略するが、長年ムリなく続けられるのは、年に一度会いに行くことだけ。
それでも、彼の心中を思うあまり 「病床の姿を見られたくないんじゃないか」 「お見舞いに行くことは、本人に望まれていることなのか」 葛藤していた時期もあった。

その日、偶然に年老いた母親と病室でお会いすることができて、逆に戸惑いを軽くしてもらった。
高齢のモノ忘れは仕方ないが、昔からボクの顔と名前は憶えており 「ほら、Eくんが来てくれたよ」 とベットに横たわる、彼の耳元で喜びを伝えてくれた。

彼は生涯、病室の人生である。
会話ができないので、手を握りしめたり、体をさすることでしか、思いを伝えられないのが歯痒い。
その上、母親が彼の代筆をして、しんどそうな字を書き連ね、年賀状を毎年届けて下さる。

生身の気持ちを伝えに行かなければ、高校卒業後もつきあった友人として、あいつに申し訳なくてさ。
おたがいどんな姿になろうが、最後まで友人としてつきあうことが、気持ちの拠り所になると思った。
そう思ったら、それまでの葛藤が吹っ切れて、今の自分におちつけたんだ。

これが正しいのかはわからないが、ボクにはこれしかできない。
また、彼と会うことによって、生きる力強さをもらっているし、人生を考えさせられている。
そんな一語一句、美辞麗句していないことをここに誓う。

母親に一礼してから、彼にはタメ口で 「Y田、また来年会いに来るからな」 で、病室を後にした。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする