2016年05月30日

Real Fight

6月のカレンダーをながめていたら、フッと昔の記憶が浮かんだ。

40年前の1976年6月26日。
世紀の一戦 「モハメッド・アリ / アントニオ・猪木」 の異種格闘技戦が行われたんだよな。

あの日、土曜の昼からの生中継で、当時小学6年生のボクら男子は午前の授業が終わると蜘蛛の子を散らすようにして、大急ぎで帰宅した記憶がある。

試合は 「世紀の凡戦」 と酷評されたが、極限に制約されたルールの中で戦った 「わかる人が見ればわかる結果」 として、今も語り継がれている 「リアルファイト」 (セメント/ガチンコ) である。

そもそも、プロボクサーとプロレスラーが同じリングで戦うのは、ルール的に無理もあるけど、その後の格闘界にあたえた影響は計り知れないものがあった。

それに契約上、アリサイドと猪木サイドでは、知名度からしても、交渉力も桁違いだったと思う。
ロマンは実現できたが、損なわれた猪木の負のイメージは、時間をかけて修復するしかなかった。

それでもプロレスファンはロマンを捨てることなく、リング上の 「ニューウェーブ戦線」 を追い求めたがいつしか時代も変わり、オクタゴンの中では何でも許せる 「残酷ショー」 に熱狂するようになった。

そのころだったかな‥  ボクはチンピラのケンカを見ているようで、次第に見る気が失せてしまった。
いきなり、他人から陰部を見せられて、思わず唾を吐きたくなるような、後味の悪い不快感を覚えた。

実際、命と金を引換えにリングへ上がった選手の中には、後にパンチドランカーになったり、日常生活に困難を極めたリ、壮絶な後遺症をあたえてしまったことは、あまり知らされていない。

柔術家の中井祐樹は、ジェラルド・ゴルドーを相手にヒールホールドで勝利したもの、サミング (親指で目を攻撃された) で右目を失明して、あれだって後の人生、だれがどう責任をとったのかわからない。 

格闘家の前田日明が、何かのインタビューで、こんなことを言っていた。
「トータルファイトである前に、ルールが整備されていない以上、リングに上がったから勇気があるとか、上がらなかったから勇気がないとか、そういう問題ではない」 と早くから警鐘を鳴らしていた。

その言葉通り、あれだけの格闘技中継は今ではほとんど見なくなり、土台を支えていた良質なファンはいつしか消えて、冷やかしにしか思えない観客があふれ、格闘技を見ていることを自慢したいだけの 「オラオラ観客」 も多くなり、将来の輝きとはまるで遠い世界になったような気もした。

そう考えると、新潟県三条市が生んだ 「ジャイアント馬場」 は、偉大なプロレスラー 兼 プロモーターであったことが、このあとの言葉から今さらながら、先見の明の先の先見があったことがわかる。

「皆さんが格闘技路線に走るので、全日本プロレスはプロレスを独占させてもらいます」 と‥
その言葉が、今の若い世代を中心とした 「プロレスブーム」 なんじゃないかな。

なぜ、U系戦士だった、船木誠勝 鈴木みのる 長井満也 高山善廣 成瀬昌由 らが、従来のプロレスリングに上がっているのか考えれば、信じたものがわからなくなり、途方に暮れたのかもしれない。

40年前、世紀の凡戦と酷評された 「アリ/猪木」 戦に、リアルファイトを読み解くヒントがあったんだ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Sports Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする