バーは、残像がよみがえる空間である。
何年過ぎようが、そこで時間が止まっている錯覚になるからだ。
一時停止ボタンがあるというか、前回お客さんが来た時からの、話の続きをはじめられる。
だから、久し振りに会っても、そんなに年月が経ったとは思えないんだ。
開店以来、直に人とのつながりも広がり、立場や年齢を超えた適度なつきあいも充実してきた。
また、自分なりのペースでお見えになるお客さんの中には、長い人にもなると8年越しの関係となる。
バーは、嗜好性と個性が顕著だから、決して 「万人ウケ」 する空間ではない。
気分的に凝る人もいるが、体験上の域にしかあらず、長く続かないのは、そんな理由もあるからだ。
日曜日、妻同伴で 「30代のご夫婦」 と一緒に中華料理を囲んだ。
同世代との居心地とは一味違い、世代を超えた新鮮な気分にひたれた。
人つきあいは、思い余った急場な関係ほど、実はわかっていないことも多く、極端にもろい面もある。
それより、あせらずに温めてきた関係ほど、礎めいた思いの丈ができているものだ。
また、9年目で振り返ってみると、それまでの足跡も残っている。
だが、ボクは過去を振り返るのは潔しとしないから、これからはどんな歩みになるのか、今と未来にしか目を向けてなく、お客さんを知って、自分のことも知らせて、ちょっと不真面目になれるぐらいが自然だ。
どんな関係もそうだが、自然な親しみができるまで、一定の距離と年月は必要とする。
今の時代なら、カンタンに人の輪に入ることができても、そこから先のことは別の話になる。
浅いつきあいでは、わからなかったことも、時間を共にしたら 「知られざる素顔」 に触れることもある。
昨秋あたりから、人とご飯を食べるような 「気軽な時間」 を、身の丈に合わせて作るようにしている。
夫婦のときもあれば、単独のときもあるし、その場こっきりの時間もある。
5年 6年‥ 次第に身近にいる人への愛着が積もれば、気持ちもかたどられていくものだ。
年齢は目安に過ぎないが、ウイスキーの熟成にも似ていて、人間関係にも 「飲みごろ」 はある。
早すぎてもいけないし、遅すぎてもいけないし、タイミングが合えば、私生活を豊かなものにしてくれる。
つれづれながら、そんなことを考えることが多くなった。