2016年05月30日

Real Fight

6月のカレンダーをながめていたら、フッと昔の記憶が浮かんだ。

40年前の1976年6月26日。
世紀の一戦 「モハメッド・アリ / アントニオ・猪木」 の異種格闘技戦が行われたんだよな。

あの日、土曜の昼からの生中継で、当時小学6年生のボクら男子は午前の授業が終わると蜘蛛の子を散らすようにして、大急ぎで帰宅した記憶がある。

試合は 「世紀の凡戦」 と酷評されたが、極限に制約されたルールの中で戦った 「わかる人が見ればわかる結果」 として、今も語り継がれている 「リアルファイト」 (セメント/ガチンコ) である。

そもそも、プロボクサーとプロレスラーが同じリングで戦うのは、ルール的に無理もあるけど、その後の格闘界にあたえた影響は計り知れないものがあった。

それに契約上、アリサイドと猪木サイドでは、知名度からしても、交渉力も桁違いだったと思う。
ロマンは実現できたが、損なわれた猪木の負のイメージは、時間をかけて修復するしかなかった。

それでもプロレスファンはロマンを捨てることなく、リング上の 「ニューウェーブ戦線」 を追い求めたがいつしか時代も変わり、オクタゴンの中では何でも許せる 「残酷ショー」 に熱狂するようになった。

そのころだったかな‥  ボクはチンピラのケンカを見ているようで、次第に見る気が失せてしまった。
いきなり、他人から陰部を見せられて、思わず唾を吐きたくなるような、後味の悪い不快感を覚えた。

実際、命と金を引換えにリングへ上がった選手の中には、後にパンチドランカーになったり、日常生活に困難を極めたリ、壮絶な後遺症をあたえてしまったことは、あまり知らされていない。

柔術家の中井祐樹は、ジェラルド・ゴルドーを相手にヒールホールドで勝利したもの、サミング (親指で目を攻撃された) で右目を失明して、あれだって後の人生、だれがどう責任をとったのかわからない。 

格闘家の前田日明が、何かのインタビューで、こんなことを言っていた。
「トータルファイトである前に、ルールが整備されていない以上、リングに上がったから勇気があるとか、上がらなかったから勇気がないとか、そういう問題ではない」 と早くから警鐘を鳴らしていた。

その言葉通り、あれだけの格闘技中継は今ではほとんど見なくなり、土台を支えていた良質なファンはいつしか消えて、冷やかしにしか思えない観客があふれ、格闘技を見ていることを自慢したいだけの 「オラオラ観客」 も多くなり、将来の輝きとはまるで遠い世界になったような気もした。

そう考えると、新潟県三条市が生んだ 「ジャイアント馬場」 は、偉大なプロレスラー 兼 プロモーターであったことが、このあとの言葉から今さらながら、先見の明の先の先見があったことがわかる。

「皆さんが格闘技路線に走るので、全日本プロレスはプロレスを独占させてもらいます」 と‥
その言葉が、今の若い世代を中心とした 「プロレスブーム」 なんじゃないかな。

なぜ、U系戦士だった、船木誠勝 鈴木みのる 長井満也 高山善廣 成瀬昌由 らが、従来のプロレスリングに上がっているのか考えれば、信じたものがわからなくなり、途方に暮れたのかもしれない。

40年前、世紀の凡戦と酷評された 「アリ/猪木」 戦に、リアルファイトを読み解くヒントがあったんだ。
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2016年05月29日

所感全文

「71年前、雲ひとつない明るい朝‥」 からはじまった、オバマ大統領の17分にも及んだスピーチ。

それぞれ意見はあろうが、前向きな論調が多くを占めて、歴史的に一定の成果を挙げたと思える。

長年、日本とアメリカに横たわる認識の溝が被爆者と被災地、ひいては日本人の心をかきむしったが、両国は相手国の立場や視点に立ったからこそ、広島訪問が実現したのだと信じたい。

その上、政治的な思惑を勘ぐりだしたら、もうキリがないだろうし、まともな話し合いすらできない隣国もありながら、初めて追悼した現職大統領 「バラク・オバマ」 は、世界のリーダー史に名を刻むだろう。

印象的だったスピーチの中に 「いつか証言者の声は聞けなくなるが、1945年8月6日の記憶は風化させてはならない」 とし、締めくくりには 「広島と長崎は核戦争の夜明けではなく、道義的な目覚めのはじまりである」 と力強く述べた。

謝罪こそされなかったが、被災地で追悼をし、被爆者と向きあい、核廃絶への決意を述べたのだから、戦後71年にして、日本も寛容を示した 「歴史的な瞬間」 だと感じた。

この世から、核兵器がなくなることは、まず考えられない。
人類の歴史を見れば 「理想」 と 「現実」 が一致するほど、そんな甘いもんじゃない。

それでも 「空想ではない理想」 に向けて、全世界が歩み寄れたら、素敵だと思わないか。

この日、広島から全世界に向けて、核廃絶のメッセージを発信できたんだから。
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2016年05月28日

広島訪問

27日 この日の買い物を済ませて一旦自宅へ戻ると、テレビでアメリカのオバマ大統領が広島入りし、平和記念公園に訪問する様子が生中継されていた。

慰霊碑に献花後、現職大統領が原爆の被災地で初のスピーチに、日本中が静寂した瞬間だった。

ボクの父親は長崎県出身で、当時は小学5年生だった。
幸いに被災地から外れていたものの、そのときの衝撃は後の 「トラウマ」 になっていた。

長崎に投下された、8月9日になると 「あのときの記憶がよみがえるから」 とつぶやき、その日だけは 「断食」 をしていたことを思い出す。
それほど、あの時代の人々は、悲しみや憎しみを胸にしまいながら、気丈に生きてきたんだ。

そういうことを知らずに、あんまり 「絆」 や 「夢」 だの 「元気をあたえたい」 など、辟易するほど、安っぽい言葉をペラペラ並べるもんじゃないと思う。

原爆投下の最初の候補地は 「新潟市」 だったことは、あまり知られていない。
新潟県民が気がめいってやりきれないと嫌っている、あの 「鉛色の雲」 に助けられたんだ。
母親は新潟出身だから、もし予定通りに投下されていたら、ボクは生を授かってなかっただろう。

先ほど手にした、今日28日の朝刊。
目が疲れてきたので、オバマ大統領のスピーチ全文は、昼下がりの目覚めのコーヒーを飲みながら、じっくり読んでみたい。
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2016年05月26日

昭和一桁

帰路、雨がポツポツと降ってきた夜道で 「今生の別れになりたくないな」 と思わせられた。 

浅い時間に来店した高齢は87歳、4人全員80代の男女に対する思いの丈となる。

長老である87歳は、ボクの中学時代のクラスメートの女子の父親であることが後に分かった。
また、定年退職後、妻と同じ職場を共にしてた時代もあり、人のつながりは 「どこのだれと、どのようなつながりをしているか」 わからないものである。

開店以来、わずかな縁をきっかけに、いつまでも気を遣っていただける、この世代の 「義」 すなわち、義侠心みたいなものを感じてしまう。

「あと何年も生きられないから、会えるのはこれが最後だと思ってくれ」
「もう飲めないから、オレの分も飲んでくれ」
まるで、自分の親父に言われているようで、思うところが押し寄せてくる。

そんな皆さんは、新潟のしも町で暮らしていた方々で、あの時代の昭和一桁生まれの人は、自営業で家族を養ってきた人も多いから、個人商いの大変さをわかっている。

だから、少し憎まれ口を吐きながらも、応援にも似た 「粋」 を感じさせてくれる。
正直、深いつきあいではないが、これも何かの縁だと、晩年の枯れた人情が心を打つ。
しかも、当時のしも町の 「あの人、この人」 が、矢継ぎ早に出るんだから、その記憶は尊い。

戦時中の厳しさと貧しさを経験しながら、高度成長期では汗水を垂らして働きつめて、晩年の破天荒な部分もあるが、自分の体力もわかっていながら、こうして会いに来てくれるんだ。

同じ話ばかり繰り返されるけど、横やりを入れずにつきあわせてもらうことも、自身51歳にして若輩者の仁義だと思っているし、何よりも気骨を感じてしまう。

長老は何度か老体にメスを入れながら、たしなむ程度の酒とたばこを楽しんでいる。
水割りを作るボクの指先も思わず、普段の分量より薄く注ぐことで、無意識に気遣ってしまうものだ。

そうそう、何でも、同じクラスだった娘さんに、ボクのことを話したら 「憶えていない」 と言われたらしく 「俺って、よっぽど中学時代、嫌われていたんだなあ」 と大笑いした。

確かにあの子‥  勉強もすごくできたし、向いている方向からして、土台が違っていた。
そんな娘さんの今は、新潟で高校教師をしており、目指すべき道が違いすぎていたわけよ。

まあ、長老は職場が一緒だった、妻に会いに来ることが目的で、ボクなんて付録なんだけどね  (笑)

思い出は個人的なものだけど、世の中 「義」 を廃らせちゃいけないことを教えられた。
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2016年05月25日

登場人物

長年、万代に住んでいると、赤の他人とは言い切れない、顔見知りも少なくない。

しゃべったことはないけど、おたがいの存在はわかっている。
そのうち会釈を交わすようになり、かんたんな挨拶ひとつ、何かのきっかけで気軽に話せるようになる。
その時点で、少なくても相手の警戒心は解けているわけで、これが本来のプロセスかと思える。

街中で 「いつもはいる時間なのに、最近あの人は見かけないな」 とか。
買物するにも 「最近、あの店員さんはいないけど、どうしたのかな」 など。
情にも似たような気持ちが、日常生活を豊かなものにしてくれる。

日常に現れる 「登場人物」 は、だれでも複数は思い浮かぶだろう。
そこは時間が積み重なってたり、何度もすれ違った空間だから、言葉を交わさなくても、意識や体温は伝わっているものだ。

つまり、日常は顔見知りの中で生活をしているから、社会的なことを考えれば、少しはきちんとしている必要があるし、個性の違いを認識しながら、人つきあいは切っても切り離せないものがある。
だったら、ヘタに構えず、堂々と生活をしていた方が、気持ちがいいに決まっているからね。

こうして文章にするとむずかしそうだが、実は 「だれもが思っていること」 にしかすぎない。
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2016年05月24日

無題雑記 41

だんだん、蒸し暑くなってきたなあ‥

年6回、大相撲中継の熱気が引けた、月曜の夕方だけは、テレビをつけていても寂しい。
その後、仕事を控えてる生活だから、特別に感じる風情である。

日曜のNHKニュースで、37回目の優勝をした横綱の白鵬が 「横綱は負けたら (勝てなくなったら) 引退」 と口にしていた。
自分 (横綱) を救うのは、勝つこと以外には、道がないことをだれよりも知っている。

その地位を汚さないためには、品格や相撲道もあるが、理想と現実は 「空手形」 みたいなもんだ。
好角家でなくても、ただ勝てばいいってもんじゃないことはわかってるが、改めて横綱の孤独を知って、やや乱暴な一番の背景には、そんな気持ちがあったのかと、それまでのことが少し氷解した。

夕方のニュースは、見ているというより、何かをしながら聞いているほうが近い。

それにしても、耳をおおいたくなるような、不快なニュースが多い。
沖縄で米国海兵隊員が日本人女性を殺害した事件後、リポーターが加害者の母親に取材をしたときのコメントが 「早く息子が出て来てほしい (出所してほしい) 」 ときたもんだ。
前から感じていたが、アメリカ人は自分の感傷にしか忠実になれない、ずいぶん勝手な国民のようだ。

東京小金井市では、アイドルを執拗にマークして、殺傷した加害者の言い分もそれと似たようなもので、命の教育をしてこなかった 「ツケ」 が回って来たと思う。
ボクが加害者の親ならば 「こいつを死刑にしてくれ」 ぐらいのことは平気で言うだろうし、人を殺めた十字架を一生背負わせるのが、親としての役目になるが、絶対に見捨てはしない。

新聞の折り込み広告の中に、切手の高価買取の見出しを目にした。
小学生の頃、一時期 「切手収集」 に凝って、日本切手はもとから、海外の切手も集めていた。
とは言え、高価な切手など一枚もなく、安い切手を専用のアルバムに並べて見ていると、鍵っ子だった寂しさを少しまぎらわせたようでね。

そのときの影響なのか、絵画は西洋画も日本画も見るが 「ダ・ヴィンチ」 や 「ルーブル」 などの、 権威ある絵画や美術館ではなく、名もなき画家が描いた、小さなフレーム絵画が好きだ。
巨匠なら 「ルネ・マグリット派」 だから、ボクは少々変わっているのかも知れない。

今晩、浅い時間にひとりで見えたお客さんが 「最近、母親がボケて来てさあ‥」 とつぶやく。
痴呆は限られた時間の中で進行していくが、細やかな観察力があることは、愛情の表れであろう。
ボクは答えなど持っていないが、痴呆を見つめる目はやさしくあるべきだし、何よりも自分自身の老後を見つめる目になるから、そこから目を背けてはいけないとは思っている。

さて、カウンターに座りながら、寝息を立てはじめたお客さんもいた。
まあ、いつものことだから、意に介してないが、これも深夜の光景であり、カウンターを隔てて、おたがいつきあいたいと思ったときにつきあう。

毎度寝られて、今宵最初で最後の一杯じゃ商売も上がったりだが、他のお客に迷惑をかけない限り、 店の裁量はボクの許容範囲にある。

グラスを磨きながら 「何かあったのかな‥」 と同情をよそに、無防備に寝る姿を見る限り、店 (俺) を信用している証であるから、そこは大らかになって、長い時間寝かせておいたが、そういうところが、人から見て 「マスターはお人好しだよな」 と思われているようだ (笑)

24日は、買い物が多い日なので、自転車の空気をパンパンにしておかねばならない。
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2016年05月23日

気軽な時間

バーは、残像がよみがえる空間である。

何年過ぎようが、そこで時間が止まっている錯覚になるからだ。

一時停止ボタンがあるというか、前回お客さんが来た時からの、話の続きをはじめられる。
だから、久し振りに会っても、そんなに年月が経ったとは思えないんだ。

開店以来、直に人とのつながりも広がり、立場や年齢を超えた適度なつきあいも充実してきた。
また、自分なりのペースでお見えになるお客さんの中には、長い人にもなると8年越しの関係となる。

バーは、嗜好性と個性が顕著だから、決して 「万人ウケ」 する空間ではない。
気分的に凝る人もいるが、体験上の域にしかあらず、長く続かないのは、そんな理由もあるからだ。

日曜日、妻同伴で 「30代のご夫婦」 と一緒に中華料理を囲んだ。
同世代との居心地とは一味違い、世代を超えた新鮮な気分にひたれた。

人つきあいは、思い余った急場な関係ほど、実はわかっていないことも多く、極端にもろい面もある。
それより、あせらずに温めてきた関係ほど、礎めいた思いの丈ができているものだ。

また、9年目で振り返ってみると、それまでの足跡も残っている。
だが、ボクは過去を振り返るのは潔しとしないから、これからはどんな歩みになるのか、今と未来にしか目を向けてなく、お客さんを知って、自分のことも知らせて、ちょっと不真面目になれるぐらいが自然だ。

どんな関係もそうだが、自然な親しみができるまで、一定の距離と年月は必要とする。
今の時代なら、カンタンに人の輪に入ることができても、そこから先のことは別の話になる。
浅いつきあいでは、わからなかったことも、時間を共にしたら 「知られざる素顔」 に触れることもある。

昨秋あたりから、人とご飯を食べるような 「気軽な時間」 を、身の丈に合わせて作るようにしている。
夫婦のときもあれば、単独のときもあるし、その場こっきりの時間もある。

5年 6年‥  次第に身近にいる人への愛着が積もれば、気持ちもかたどられていくものだ。
年齢は目安に過ぎないが、ウイスキーの熟成にも似ていて、人間関係にも 「飲みごろ」 はある。
早すぎてもいけないし、遅すぎてもいけないし、タイミングが合えば、私生活を豊かなものにしてくれる。

つれづれながら、そんなことを考えることが多くなった。
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2016年05月22日

揺り戻し

5月の GW (最大10連休) は、世間に悪い形で影響を与えた。

GWは予想以上に出費がかさみ、給料日までは慎ましい状態のようだ。

長い休みの後には、必ず揺り戻しが来るので、負の部分も大きかったりする。
それだけ、連休は長い分、ダラダラと締まりのなさが、尾を引くものだ。

その代わり、この週末はようやく 「もう潔く、飲みに出かけようぜ」
そんな、雰囲気が後を押したのか、良い意味で揺り戻しがあった。

来月は一年の暦で、唯一祝祭日のない6月。
こういう月は、折り目よく仕事をこなし、切りよくリフレッシュをするに限る。
夏場にダラダラ仕事をすると、疲労感が蓄積するのと同じだから、過ごし方にも工夫がいる。

長期休暇に慣れてない、勤勉な日本人の気質からすれば、6月は極めて日本的な月かもね。
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2016年05月20日

Jazz Talk Vol.73

浅い時間、久し振りに 「マッコイ・タイナー」 を流していた。

バーでは、バラード系がしっくりくるが、ボリュームを間違わなければ、小刻みなフレーズを一心不乱に上昇下降させる、高速ジャズも魅力がある。
環境的には、会話のじゃまにならない、ボリュームにはしている。

ハコの大きさからすれば、たいそうなオーディオセットは必要としない。
よきに越したことはないが、オーディオに凝る人は、自宅がオーディオルームになってるから、わざわざ聴きに出かける人は、今や稀有 (けう) に等しくなった。

当初から 「気軽なジャズ」 をコンセプトにしている。

こう書くと誤読されそうだが、ジャズは好きだけど 「たかが」 の部分も大きく、バランスを欠いてまで、音楽に情熱を捧げるつもりはない。

「されど」 を語れば、ジャズを聴けばイマジネーションは広がるし、気分に合わせたリラクゼーションにもなるから、自分だけの至福の時間を保てるようになる。

つまり 「たかが」 と 「されど」 のバランスが大切なんだ。

昔から 「音楽バカ」 という言葉があるけど、特殊な思いこみで物事をはめて考えると、障壁ばかり  立ちふさがるから、音楽以外の 「ボキャブラリー」 は絶対に必要だと思える。



ジョビンのボサノバの名曲 「ウェーブ」 も、マッコイ、ロン・カーター、トニー・ウイリアムス、3人の手にかかれば、もはや 「熱風」 になってしまうね。

このあと、同じメンバーでのライブ盤 「カウンター・ポイント」 (78) の2曲目で、最初の扉が開いた。
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2016年05月19日

ガラケー3割

今や、スマートフォンの普及率は 「7割」 と聞く。

ということは、ガラケーのボクは少数派の 「3割」 か‥   ああ、上等だ。

ある日、ケータイを自宅に置き忘れたが、さしあたり不自由しないし、大して使用もしていない。
登録者のデーター紛失は困るが、人から見られて困るメールや画像もない。

用件はショートメールで充分だし、文字数が超えるようなら、本人に電話をかけたほうが早い。
だから、連絡先の多くは電話番号だけでコトが足りている。

たまに、電話が集中するような日がある。
発信者はボクの仕事をおもんばかって、夕方から宵の口の電話が多く、メールは夜更けに多い。
コールバックは、他愛のないもので 「元気か」 程度で、肉声が末永きつきあいの秘訣となる。

このところ、芸能人同士のトラブルでも、原因は SNS での 「言葉足らず」 や 「余計な一言」 から勃発しているから、本来は教養がないと交流しちゃいけないんだろうね。

ひどいのになると、ラインで言い争いをしてるんだから、閉鎖型同士の戯言に決まっているじゃん。
それに直接、話し合いができないのは、極端に不器用でそれゆえ、臆病と思われても仕方あるまい。

最近では、既読無視 (?) されて、プライドを傷をつけられたとかで、仲違いも多いんだとか。
それで、へそを曲げるのも器量が小さいけど、かんたんな連絡や礼儀に応じないのも、あれはあれで 人間的な配慮なく、わがままな状態を放任しているようで、一般常識としてはどうなのよ‥

つながりは便利になったが、言語レベルが違いすぎると、些細なことを曲解するから、危なっかしい。

数か月前も、どこかの市議が、私的に仲良くなった10代の女の子とラインが白熱してしまい、揚げ句の果てには、脅迫めいた言葉がつづられ、相手から脅迫罪で訴えられるマヌケな報道もあった。
あれだって、ラインを通じて女の子と議論するなんて、その感覚は理解できないもん。

相談なら、見識的な専門家につなぐのが役目なのに 「H」 な妄想でも秘めちゃったのかな。
カッコ悪いったら、ありゃしないし、ラインは使い方によっては、おもちゃだからね。
SNSで人間関係を壊したくなければ、コミュニケーションは会話重視であるべきだろう。

やっぱり、進化についていくことは、詰まるところ 「インテリジェンス」 なんだろうな。

ボクはガラケーで交流できるから、これ以上は何も求めないし、自分の時間もとれて充分である。
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2016年05月18日

献立思案

寝覚めのアイスコーヒーを飲もうと冷蔵庫を開けたら、わが家の食材はすっかり空っぽになっていた。

火曜日は近くのスーパーが特売日なので、夕方には新しい食材で冷蔵庫が詰まることになる。

最近、あらためて気づいたのだが、買い物をしているときの主婦は 「思案顔」 であること。
カートを押したり、カゴを用いたりして、手元のメモ用紙に準じて、商品を選んでいく。

きっと頭の中では、豚肉+人参+玉ねぎ+ジャガイモ= 「カレー」 のような方程式が 「日替献立」 になっていて、瞬時に組み合わさっているんだと思う。

思わず見てると、口元でブツブツと独り言をつぶやいていたり、迷っているのか口を半開きにしながら、眼光だけは鋭く、棚の食材に熱視線をおくっているので、怖くて近寄れないからね。

鶏のささみ、ブロッコリー、キュウリに海藻など‥  「おいおい、ダイエット料理かい!」 とかさ。
主婦にとって、スーパーはファンシーとは縁遠く、ノーメイク (思案顔) の真剣勝負な場所である。

それに引き換え、男の買い物は 「出来合い商品」 ばかりで、コレとコレを合わせて、味付けはコレで  という具合に、あまり段取り的には考えていないんだ。

カゴに商品をバッサ、バッサって感じで、袋をやぶればすぐに食べれるような大雑把なモノばかり。
それに、男は体が大きい分、フロアーをまごまご歩いていると、周囲からじゃまあつかいされるから、スーパーでの男はアウェイというか、やっぱり主婦の聖域なんだよな。

ここでは、若くてかわいい女の子も、主婦のパワーに圧倒され、こっぱみじんに小娘あつかいされる。
ボクもスーパーでは、できるだけ目立たないように買い物をしているし、レジもやさしそうな人の列に   並ぶようにして、半分おびえながら、主婦の聖域をかいくぐっている日々である。

今日の献立は何かな‥  もしかして材料を買い忘れたとかで、自転車で買ってきてと言われるかな‥
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2016年05月17日

千円の価値

「ケチ」 と 「セコい」 は、同義語なのかな。

舛添東京都知事が、政治資金の私的支出をめぐり、目下 「槍玉」 にあげられている。

個人的に能力の高い人と思うし、リーダーは有事の判断を間違わないことが責務だと思うから、週末の別荘うんぬん大目に見ても、ここまで公私の資金区別をつけてなければ、もはや言い訳できない。

内部リークされたと思えるが、欲深いと面の皮が厚くなるばかりか、鈍感を通り越すもので、人の志しは環境で変わることを知らしめた。

だから、人を選ぶのは難しく 「選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり」 (太宰治) ともいうよね。

25歳のころ、43歳の上司とめぐりあった。
ある日、酒場で上司に 「仕事をする上で、人を見抜く基準は、何かありますか」 と質問した。

すると 「人から千円を借りて、その千円をしっかりと返す男は信用できる」 と答えた。
さらに 「千円すら返さない男に、大金を預けたら、そいつは裏で何するかわからん」 と続いた。

衝撃的だったのは、人は 「身近な部分」 だけを見ていること。
仕事のスキル、マナー、アピールなど、形式的な部分ではなく、本質的な 「信用の部分」 だった。

その後、サラリーマン人生では、教訓的な出来事も起きたが、多くは本質に欠陥があったと言えた。
つまり、品行は直せても、品性は直らないから、小さなことができない男に、何も期待するなということ。

特別なことがない限り、普通はお金の貸し借りはしないからわからないけど、それがお金じゃなくても、品性で判断すれば見抜けないこともなく、自分なりに人を見る目の基準は定まるものだ。

最初に話を戻せば 「能力と信用は違う」 と思うし、信用を失えば早かれ遅かれ、失脚するであろう。

「せこい」 (ケチ) は、今年の流行語大賞にノミネートされるんじゃないか。
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2016年05月16日

Consumption Mind

15日 新潟鉄工所が鳴らす、夕方5時のサイレンを聞いたのが、下町にある大要劇場の前。

横目でチラッと色っぽいポスターを見てから、青信号を確認して古町の番地を自転車でさかのぼる。
古町9番町の入口で、イベント終了の雑踏とあいまって、左に迂回して萬代橋へ帰宅進路を変えた。
まあ、休日の 「一コマ」 でしかないが、サイクリングをしながら、明日の用事も済ませておいた。

あとは、自由時間。
日曜のわが家は 「台所休み」 にしているので、夕食は買いに行くか、外食へ出かけるか、それとも別々に済ませるかだが、最近は 「散歩と外食をセット」 にして、宵の口のピクニックにしている。

萬代橋から左右の岸壁を見渡すと、今さらながら 「新潟はきれいに整備されたな」 と感じる。
東京から新潟へ帰って来た時は、柳都大橋もかかってなければ、やすらぎ堤の拡張整備も途中だった。

新潟に変化の兆しが見えたのは02年ほどで、政令指定都市になった08年は平成の大不況で経済が大打撃を受けた一方、マンション建設やインフラ整備は進み、中央政策に滑車がかかり今がある。

生活は便利になったが、時代の価値観は変化し、経済の閉塞感からは依然抜け出せていない。

日々、生活必需品を買いだし、余暇を飲食店で過ごしていると、何となく 「今」 が見える。
そして、自分が営む 「ショットバー」 は、もう一歩踏みこんだ 「本音」 が知れる環境にある。

だから、本音は会議室にないのを知る公職、または報道関連にたずさわる人の思考はデスクにはなく、街中の現場に自身の 「集音マイク」 を持って、過ごしている姿も見うけられる。

あの、BRT (バス連結システム) が、あんなに受け入れられなかったのは 「御殿」 から 「街場」 に出ないから、きっとわからないんだろうな。

それとこんなに 「消費マインドの低い、政令指定都市」 って、他にあるのかな‥

街中は整備されていく反面、マインドは 「ハリボテ」 のような気がするけどね。
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2016年05月14日

Good News ?

年々、中高年の男は、髪に悩まされることになる。

抜け毛とともに、育毛剤に目が向くようになるが、効果のほどはわからない。
だいたい 「当社比」 ってのが、怪しいんだ。

よく言われる 「やらないよりも、やったほうがまし」 である。
それで 「今やめたら、もったいない」 と前置きされ、次に言われることは 「合う合わないは、個人差もある」 が待ち受けている。

さらに、ささやかれることは 「もっといい薬がある‥ これだ!」 (新製品) を紹介され 「今なら、この価格で」 または 「あなただけに耳よりの情報」 が、殺し文句となる。
そこで、ためらっていると 「チャンスを逃すことになる」 と 「今!」 を強調される。

人間の欲望は、こういう 「心理スパイラル」 がおきるようにできているんだ。
さんざん苦悩したあげく 「なくなっちまった」 なんていう人もいた。
そういうボクも、指の腹で頭皮をマッサージしているんだから、気になっている証拠ではあるがね‥

ある日の夕方のニュースで、画期的な育毛効果がマウスで実証され、その実験結果が発表された。
それを人間に代用すると、自分の後頭部や側面部の皮膚細胞を、前頭部や頭頂部に移植することで、頭皮全体がバランスよく発毛するらしい。

この話、もう何年も前から、美容室の店主から耳にしていたのだが、まだ実用化にふみきれないのが 現状ながら、ついに10年先を目処に解禁されるんだとか。

10年先か‥  待てよ、オレ‥  61歳かよ、  もういいや!
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2016年05月13日

無題雑記 40

12日 12時30分 起床。

窓を半開にしたら、まだ肌寒かったが、白んだ青空の下、昨日までの湿気が空気を浄化していた。
そのためか、遠くの山あいの景色までくっきりと見えて、早めの外出が気持ちよく感じられた。

夜の仕事で生きていると、なおさら、やさしい太陽光にリラックスできる。
本格的な森林浴とまで行かないが、近くの川辺や公園などで、身をさらしていると気分もほぐれる。

ボクのデトックス効果は、ひとりの時間を大切にすること。
ストレス解消には、人と会ったり、気軽な会話をすること。

限定的だが、人と会うのは刺激的だし、何よりも視野が広がる。
その人の視点を借りて、異業種を学ぶことができるんだから、働く活力にもなる。

だけど、異業種交流会のようなグループには興味がなく、あくまでもフリーランスなつきあい。
普段から、だれに対しても色眼鏡をかけずに見ていれば、つきあう相手を間違えることはない。

バーは、個人力がわかる場所だから、会社では花形部署でなくても、社会では花形個人となれる。
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2016年05月12日

五月病

五月病には、気をつけろ。

4月で新しい環境に変わり、5月になると慣れた分、人の粗 (欠点) も見えるころ。
いうなれば、人の欠点を知ったということは、自分の欠点も知られているということだ。
こういう状態は、少し憂鬱になるが、ストレスは自分の成長に欠かせないものでもある。

ずいぶん前のことだ。
サラリーマン時代、女性の部下が職場の人間関係に悩んでいた様子だった。

5月のGW明けの日中、その子を打ち合わせと称してカフェに呼び出し、好きなパフェを食べさせた。
最初はやや緊張した面持ちだったが、食べ終わるころになると、大概はスッキリとした顔をとり戻す。

そこでは、彼女が何に悩んでいるのか聞かなかったし、相談を切り出されることもなかった。
その空間こそ用意はしたが、それをどう使うかは彼女の意思ひとつだから、これでいいんだ。

下手な質問するぐらいなら、黙って話を聞かせてもらい、変な兄貴風を吹かせるぐらいなら、甘いものを食べさせて気分転換させたほうがいい。

後になって、本人に聞いた話では、そのとき悩みを整理 (説明) できない状態だったから、甘いもので気をまぎらわせられてよかったんだとか。
まあ 「お酒」 が 「パフェ」 に変わっただけのことだがね。

メッセージさえ伝われば、あんがいケロッとしてくれるんだ。
女の会話に、男が割りこむとシラケるのと同じで、女同士の確執には首は突っ込まない。
配慮すべきは、女性が複数の職場では 「えこひいき」 にもとられるから、平等は意識したけど。

それに深刻ぶるより、単純に接した方が後腐れはないし、また、小さなことは自分たちで解決するようになるから、マネジメントは 「時々の性格」 でやり方を変えないと、逆効果になるからね。
つまり、人間関係、何でもしゃしゃり出るよりも、よきにはからえでいいんだ。

それが男なら、現場で怒鳴り声をはりあげていた時代もあったけど、ボクはいつまでも過ぎ去ったことを根に持つタイプじゃないから、次の日にはケロッとしているほうだ。

荒々しい男の現場であれば、怒った怒られたの感情をいつまでも引きずれないのは、ロスを生むからで組織なら前提の前提になるからね。

最近は、女の方が性格的にカラッとしてるし、男の方が被害者意識が強くて、執念深かったりすることを以前、女性客のMちゃんに話したら 「男って、プライドの生きモンじゃん」 だって (笑)

あー、スカッとした、五月晴れを見上げたい‥  五月病注意報である。
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2016年05月11日

五月雨

開店と同時に、振りだした雨。

五月雨 (さみだれ) である。

「今夜はダメだな‥」 そんなことが頭をよぎった。
大筋の勘は当たったが、それほどひどくはなかった。

雨足と客足の関係はあるが、商売は地味だから、高望みはしない。
むしろ、しっとりとした音楽に、声をひそめた会話に清涼感がある。

それに、お天道様に一喜一憂しても、ムダに疲れるだけだ。
それなら、前向きな気持ちで、来店を待っていた方がいい。

なぜなら、バーは 「待つこと」 も仕事だから。

11日も一日中、予報は雨である。
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2016年05月10日

64 (前編)

9日 午後1時50分上映 「64/ロクヨン」 (前編) を見てきた。

思わず 「男泣き」 しそうな、ヒューマンドラマがここにあった。

天皇陛下が死去した 「昭和64年1月7日」 は、日本国民が喪に伏して黙とうを捧げた。
しかし、その訃報の影に隠れた報道となったのが、少女誘拐殺人事件、別名 「ロクヨン事件」 である。

結果、犯人に身代金を奪われ、少女の救出にも失敗し、事件から14年が経過しても、犯人の手がかりすらつかめず、未解決のまま時効が1年後に控えていた。

そのとき、当時の県警捜査班が初動ミスをおこしていたことが、14年後に明らかになった。
自宅班が犯人につながる重要な手がかりを録音できず、追尾班も犯人を目前で取り逃がしたばかりか一部の捜査官ぐるみで捜査ミスを隠ぺいしたことで、かかわった人たちの人生までも狂わした。

時効が1年に迫ったある日、新たな 「ロクヨン模倣事件」 がおきてしまう。
その真相をめぐって、反目し合っている警察の内部組織、報道の使命を押し込んでくる記者クラブ、  人の相関図は当時と変わったが、被害者家族も含めて、全ての人物が事件に絡みあってくる。

その事件のペースメーカーになるのが 「佐藤浩市」 演じる、元ロクヨン事件の捜査班、現在は警察 公報室公報官 「三上」 である。
紆余曲折、今の部署に配置転換されて、家族の問題を胸に秘めたまま、公私の心情が葛藤する物語。

ボクのあらすじでは到底つたないが、これまでの単純な刑事ドラマ (映画) とは違い、ある程度は 「40〜50代の気持ちを代弁している」 ように感じた前編であった。

40〜50代になると、組織においては周囲との軋轢を避けて、空気を読んで人と歩調を合わせることに長けてくるのが常である。

男の世界にあって、自分に保険をかけず、しかも退路を断ち、正しいと思ったら迷わず主張をする姿に憧れながらも、なかなかそれができない 「自分という観客」 に、涙する映画だと思えた。

また、細かいディテールになるが、佐藤浩市の妻役 「夏川結衣」 紅一点の部下役 「榮倉奈々」 が、孤独な彼の心の拠り所になり、その言葉の端々から、良き戦友であることが、ひしひしと伝わってきた。

前編の感想、今の日本人に必要なのは、派閥で大威張りすることでなく、佐藤浩市が演じた、名づけて 「三上力」 (みかみりょく) である。

後編の封切りとなる、6月にひとつ楽しみが増えたというものだ。
 
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2016年05月09日

無題雑記 39

8日 夜の7時すぎ、自宅のPCから、8日付けのブログを書いていた。

すると小さく開けていた窓から夜風に乗って、澄んだ笛の音色や太鼓のばちさばきが響いてきた。

毎年、万代地域の風物詩であるが、新潟まつりに向けた合同稽古であろう。
少しギスギスした世の中、この音色まで騒音扱いされがちだが、これがなかったら味気なさを感じる。

夜8時過ぎの夜道から、周囲のマンション群を見渡すと、多くの窓辺が温もりに灯っていた。
明日はGW明けの月曜日だから、意識は仕事に飛んでいるのであろうか。

夜の街は、お世辞にも活気があるとは言えない。
ボクは古町の飲食店で、のんびりと手酌をしていた。

後方に知る顔があったので 「ヨォ!」 と声をかけたら、ビールを持って隣に移動してきた。
酒場の流儀 (挨拶) でしかないが、日曜の夜はきっと本人も少し人恋しかったのであろう。

拒む理由はないので、そのまま他愛のない雑談で時は流れていくのだが、ボクはあいにくギャンブルや超常現象といった話題に興味はなく、微妙に話題を変えても察せられず、その話に舞い戻ってしまう。

こうなるとこちらも疲れてしまい、ひとりで飲みたい欲求が増してくるから、他意のない彼のご機嫌だけは損ねることがないように、店主に丸く勘定を済ませてから、次のお店に移動することにした。

向かった店のシステムが不定休だと、行った先で閉まっていることもあるため、そのテンションは見事にダウンしてしまい、今日は連休最終日の夜である。

このまま街中を徘徊しても、マッサージの甘い誘惑しかされないし、偶然に時間を持て余している知人と都合よく出会えるとも思えないので、今宵はおとなしく帰るとするか‥

「ただいま」 日付が変わらぬ帰宅がめずらしかったのか 「どうしたの」 妻のリアクションがあった。
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2016年05月08日

人間交差点

早いなあ‥  今日8日から、大相撲五月場所がはじまった。

ついこの間、三月場所が終わったばかりだというのにさ。
大相撲6場所を一年のペースメーカーにしているが、近年は感覚的に時の流れを早く感じてしまう。
だから、一日一日を大切にしていきたい気持ちとなる。

年齢を重ねれば重ねるほど、自然な日常生活で知り合いの数は増えていく。
フェイスブックやツイッターなど、SNSでつながりを求めるまでもなく、あてのないゼロから人間関係を 築けるまでには時間はかかるが、対面での出会いにこそ深みがある。

幸い、バーテンダー冥利に尽きるが、普段なら接点がない人と面識を交わせたり、ありがたい存在に 巡り合えることもあるが、バー空間は 「プライベート」 だから、その存在を公にはできない。
画像や特定される人物を公開しないのは、そのためであり、意外なところでつながっていたりもする。

博識のある人、一芸に秀でた人、会話が楽しい人など、リアリズムは 「人間交差点」 のようだ。
困ったときに相談できる人、社会の情報通、地域の事情通など、各分野のプロフェッショナルが集い、 今どきの文化人に微笑まされる、そんな夜もある。

バーでは、自然な時間の流れで、手探りな会話がきっかけとなり、有意義な関係に発展することもある。
そのためには 「単独行動」 に打って出ないと、何もはじまらないからね。
そういう空間に身を置けるだけでも 「男の隠れ家」 としては充分である。

知り合いを増やす考え方もいいが、実際は全く機能していない 「ペーパーフレンド」 も多いはずだから次第に整理ができなくなり、会っても気軽に声をかけられない関係になるであろう。
まれに、出会いをビジネスの販路にする人もいるが、そのために接点を利用するのは不謹慎だよな。

顔の広さを安心感に宿すのは、せいぜい40歳ぐらいまでで、中高年の出会いとつきあいは、純粋に 「人となり」 としか、引き合わなくなるから、世間でいう 「断捨離」 がはじまるんだ。

だから、年々知り合いは増えるものの 「友好」 としか機能しないのが現実となる。
また、年齢や性別を超えて、機能している知人の中から、後の友人へ発展するケースになりえると思う。

お店ベースで言えば、自身の年齢 「50歳」 前後を中心軸に、下は20代後半、上は60代後半まで、バーの年齢層としては、やや幅広くなってきたせいで、見える世界も広がってきた今日この頃。

お店は9年目だけど、人間関係の進化論 (プロセス) は、つぶさに感じている。

8日休日、ちょうどいい頃合いだ‥ 小さな冒険をするつもりで今宵 「ひとり飲み」 に出かけようかな。 
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