2016年04月12日

自由主義

月曜の昼下がり、自宅のポスト前で、新聞が休刊日であることに気づいた。

大した記事も読んでないが、長年の習慣というやつで、指に紙の感覚がない日は違和感がある。

その日だけは、コンビニの夕刊を待つか、あるいはスポーツ新聞を購読することになる。
そもそも、ギャンブルやゴルフもしないので、見出しは社会面かスポーツ面ぐらいではあるが。

しかし、スポーツ紙特有のアダルト面があると、やや目の焦点が変わるときがある。
若い女のエロ写真は、ハナから 「小娘」 あつかいしているので、パッとすっ飛ばせるし、風俗店の体験レポートをまじまじと読むほどの好色さはない。

だが 「熟女」 になると、やや同世代の近しさであろうか、そこが目の置き場になることがある。
だからと言って、年甲斐もない性の妄想を抱くことはないし、若い女が怖いとかの問題でもない。
性の対象は、同世代ぐらいにしておかないと、男の切実な悩みひとつ理解できないと思うんだ。

エロ写真に刺激を受ける年齢でもないし 「スッポンパワー」 の広告に心が踊ることもない。
だけど 「へー、こういう世界もあるのか」 と、男が男であるための興味は尽きないものである。

要するに紙面の 「論説文」 を読んで 「官能文」 にも目を通すことで、心身のバランスや自分自身の 「生」 と 「性」 が、正々堂々と格闘しているのだと、解釈できないだろうか。

女性誌でも、発行部数が伸びる号は 「セックス特集」 らしいが、脳内年齢にもよるであろう。
また、性を解放していかないと 「リベラル」 (自由主義) の原則からはズレると思うし、そこはそこで 倫理観との戦いだったリするから、アダルト紙面を脳がどのような性処理をするかである。

ボクがおちついたのは、割りと早い段階で、週刊誌の 「袋とじページ」 を破かなくなったときかな。
旧知に、袋とじページを手刀で 「ヤー!」 と豪快に切り裂く男がいて、ちまたの噂では裂いたページを食べているんじゃないかと思わせるほど、切り裂き名人がいたよな。

あれは男の 「リトマス試験紙」 みたいにも思えるね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする