2016年01月31日

ロミオとジュリエット

連日、芸能ニュースで、ベッキー (31) と バンドマン (27) の不倫疑惑が騒がしい。

あの二人に不倫なんて言葉は似つかわないし、ガキの火遊びにしか見えないもん。
そうというのも、ベッキー本人の謝罪会見前日にやりとりした、ラインがさらなる火をつけたわけで、   その内容があまりにも子供っぽかったため、ファンや関係者の失笑を買ってしまった様子である。

そもそも、不倫に明るさはない。
人目を忍んでいるから、会話はとぎれとぎれとなり、むずかしい顔をしているものだ。
そこで会話が過ぎると、幼さとしか映らない。

神妙な面持ちで謝罪した裏側で、あんなセリフのやりとりを知れば、不倫にときめいてるとしか思えず、何でも 「ありがとう文春」 「センテンススプリング」 とは、ありゃ、なんじゃらほい。
そのラインは第三者に傍受されたらしいが、ああいうので秘密の会話はするもんじゃない。

そのうち盛り上がって、エッチな会話に走り、それが流失でもしたら、こんな恥ずかしいことはない。
昔の言われ方をすれば 「壁に耳あり、障子に目あり」 で、酔いと高揚した気分に後押しされてしまい、 冷静さを喪失したら、心の迷いが覚めたときに、既読された会話におたがい赤面もんであろう。

まあ、男と女は周囲に反対されたり、障害が多ければ多いほど燃え上がるらしいが、ボクに言わせれば 「あんたらは、ロミオとジュリエットか」 と突っ込みたくなるね。

一月も今日で終わりか‥   夜はリフレッシュしに出かけようかな。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月30日

IMAGE

29日 妻にスーパーで 「そうか、明日は5%オフの日か‥」 とおもむろにつぶやいたら、現金にも 「じゃあ、明日はこれとあれとあれこれ買ってきて」 と、普段割引になりにくい日用雑貨を頼まれた。

買い物は毎日のことだけど、主に家庭を守る主婦からすれば、スーパーの特売日は貴重なのである。
まず、数日間の献立を頭に描いているから、ムダなモノは一切買わない。
だから、主婦であり、目利きと他店との比較が上手く、家計を考えて計画的に買い物ができるんだ。

男は少し違う。
その日暮らしできりゃいいから、あんまり値段に固執せず、深くいちいち考えて買い物などしない。
大雑把は男の性分だからである。

飲食店に入っても、メニューの価格なんてまじまじ見ないし、だいたいこのぐらいだろうでザックリと判断しているので、あんまりこまかいことは言わない。
なぜなら、男にはイメージがあり、酒場においてはダンディズムがあるからだ。

たとえば、本当にお金に困っているのでもないのに、そば屋で毎回 「かけそば」 しか食べなかったら、カッコ悪いし、女性と食事をして追加オーダーされないか、内心ドキドキしている男なんてどうよ。

それがバーなら、エスコートした女性に 「もう一杯飲みなよ」 ぐらいスマートに勧められないようでは、恋愛も成就しにくいだろうし、そんなデートなら、やめておいたほうがいい。

このあたり、十円単位で割り勘にする話でも、浪費を助長する話でもなく、わずかなお金と引き換えに、男のイメージを損なってしまうこともあるからね。

その意味で、昔から 「武士は食わねど高楊枝」 なんて言葉があるほどだから、男と女ではこれほど、金銭感覚が違うと思える。

女は家庭を守るために倹約家であるべきだが、男がそれをやると 「ドケチなイメージ」 がつくんだ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月29日

Age 18

公職選挙法の改正により、今年から選挙権の年齢が18歳に引き下げられた。

それによる飲酒や喫煙など、選挙権同様に自己責任の原則も取り正されているが、そこはしっかりと    分けて考えるべきで、別にこうだからそうだで、前倒しさせることないでしょ。

むずかしいことを、こねくり回すつもりはない。

もし、店のカウンターに 「オコエ瑠偉くん」 (18) が座ったら、そりゃやりにくいし、居酒屋の隣の席に 「サニー・ブラウン・ハキームくん」 (18) が飲んでいたら、席を代えてもらうね。

そんで生意気にも 「お父さん、景気はどう?」 なんて声をかけられたら、玉砕覚悟で、フリッツ・フォン・エリック ばりの 「アイアンクロー」 を仕掛けたくなるだろう。

儀礼上、大人扱いするが、18歳から酒場に出入りしていたら、振る舞い方、会話の仕方など、社会人として学べるメリットもあるが、デメリットは、耳年増 目年増になり、純然さが失われるんじゃないか。

ボクは高校三年の三学期には、ボトル名 「マーちゃん」 で、学校帰りに東堀のスナックで飲んでおり、ずいぶん生意気なガキに映ったと思えるが、きちんとアルバイトをした収入で楽しんでいた。

その分、大人の遊びを早巻きで経験したせいか、二十歳で晴々しい気分で 「もう、そろそろ飽きた」 と一旦は見切りをつけて、見知らぬ土地でひとり暮らしすることに、さほど抵抗感はなかった。

こうして振り返ると 「青春の学園生活」 「恋愛小説風の忘れられぬ日々」 なんちゃらの経験があってよさそうだが、甘さよりも辛さがつきまとっていたから、合コンやサークルにも縁がないんだ。

その時代の同世代は、テニスラケットをもって、カフェバーでお茶して 「サザン」 や 「チューブ」 をカーステレオで流しながら、彼女と海岸線のドライブを満喫してるのに、わしゃ、ひとりジャズを聴いて、柔道で汗を流して、安酒を浴びて、プロレス新聞を広げていれば、奇特な人ではない限り、そりゃあさ、近寄ってくるはずもなかろう。

それにおいて、見えた世界や得た経験も特殊だったが、青春のタイトルコールに憧れはなかったから、思い出のキャンパスライフ、歌詞に描かれそうなラブロマンスもないんだ。

むしろ、早く遊びを終えたせいか、後に 「飲む・打つ・買う」 に、狂い咲くことはなかったけどね。

だから、今の若者は、マンガ喫茶やスマホいじり、アイドルやカラオケ、ラーメンやスイーツなど、年齢に合った遊びで仲間を増やし、それから飲酒という 「大人のたしなみ」 を経験しても遅くはないって。

つまり、今の年齢 (18歳) の遊びに素直であればいいんだ。

このあほなブログ、18歳が読んでいるとは思えないが、早い話そういうことである。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月28日

男の戒律

夕方のニュースで、児童虐待事件の報道を目にすることが多い。

発覚した事件の多くは、女の連れ子を内縁の男が、なつかないことを理由に虐待するケースである。

しかも、通常の理解を超えてることは、女が虐待を見て見ぬふりしており、男から別れを切り出されたくないから、保護責任者遺棄していることだ。

幼心で母親に助けを求めても、当の母親からも無言の虐待を受けてるのだから、どんな思いで暴力に耐え尽きたのだろうか。

男の奥行きは、惚れた女の連れ子にも愛情を手向けるはずで、事実婚になる女性への愛情でもある。
ボクの知人にも、相手の連れ子を引き取り、本当の家族同然に接して、信頼を得た男もいるからね。

どのようなことをしたかまではわからぬが、気持ちの交流は時間がかかり、そこを大事に育んだから、   名実ともに本当の父親になれるんであってさ。

こういう事件を見るたび、人は見かけによらず 「人面獣心」 な部分があるというか、本当の獣でも   ああまでは虐待しないわな。

これはもう、実体家族とか、だれから教わることではなく 「男の戒律」 みたいなもんだと思う。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月27日

コミュニティー

妻は月に一度、旧知の女友達と食事会をしている。

目的はおしゃべりだろうが、いい息抜きになっているらしく、もう十年以上も同じ顔ぶれであることから、性格的に共通するところがあるんだろうと感じている。

女性同士は一見仲が良さそうだが、意外にも裏を返すと一変、実は不仲という話をよく耳にする。

最近知ったことだが、ママ友のグループ構造には、ボスママの存在が君臨し、それを取り囲むいわゆる子分ママがいて、その下にいじめられママの三層ができているが、別枠、つきあいきれないグループに属さず、他意に動じることのない独立ママもいるんだとか。

妻の交友関係を見渡すと、どうやら 「独立ママ」 に近いタイプの集合体で、他人の悪感情に惑わされることなく、自分は自分、他人は他人のスタンスだから、仲良くできる人と仲良くしていればいいことで、おたがいを保つ 「コミュニティの秘訣」 となっているようだ。

女性は井戸端会議、今でいう給湯室会議が好きだが、最初は集団を形成しても、しばらくすると個人となり、男の場合とは逆のパターンなので、これまた一味違う女性の世界がある。

バランス上、個性が保たれた集合体が理想であるが、意外にも 「楽しい話」 だけをしているようだ。
それに、ビターな出来事もユーモラスに変換しながら、おたがいの心情を解放できるシンプルな関係。

男の相関図と違い、女には年齢や肩書の従属関係がなく、ひとりの時間の大切さをわかっているから、相手の時間の大切さもわかり、それぞれ会話を等分して、ストレスを発散していると思える。

その内容 「だんなのイビキがうるさくて寝れない」 とか 「今度の担当者は何もしてくれないの」 など、身近な出来事をたらい回しにしているだけで、別に答えなんて求めているんじゃなくてね。

そこに何となく気づいているボクとしては、天空から見下ろすような目をした妻から、あれこれと言われているうちは、まだ幸せなんだと思う。

そんなわけで 「ならば、もっと見下ろしてくれ 」 と、M男のように大きな声で叫びたくなるのである。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月26日

モンゴル力

25日 新聞の見出し 「初優勝」 が、いつもよりも大きく見えた今場所。

むしろ、琴奨菊の優勝よりも 「10年ぶりの日本人力士優勝」 のほうが、意味合いがありそうだ。

優勝の喜びはくみするが、これまで国技を支えてきたモンゴルを中心とした外国人勢に敬意を払うのは忘れてはいけないことである。

長きにわたり、相撲人気が低迷していた時代、理由を 「日本人の横綱が不在」 「日本人が弱すぎる」 と、何かにつけて、日本人が日本人を建前にしてきた。

もはや、国技の門戸を開いたのであれば、日本人力士が強くなるしか説得力がない。
しかし、その意識の差は明確なのに、大相撲ファンは日本人を 「判官贔屓」 にしていた。

終盤、白鵬や日馬富士は別人のような相撲内容で黒星を重ねたが、どこか目に生気がなく、今場所は情熱を失いかけているようにも感じられた。

そうあってほしくはないが、モンゴル勢からすれば、ここまで国技を守ってきたのに、こうまで騒がしく  手のひらを返されたようであれば、プライドが傷ついたんじゃないのか。

彼らのおかげで恩返し (勝つこと) できたのであり、日本人力士の優勝はそれまで鍛え上げてくれた、モンゴル勢との稽古の賜物でもあるから、最低限の敬意はもって取組を楽しむべきである。

まあ、本当に実力の差が縮まったのかどうかは、あと二場所は見ないとわからない。

それよりも、逸ノ城はどうしちゃったんだろうね‥  恋わずらいでもしたのかな。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Sports Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

無題雑記 26

さりげない休日こそ、休日である。

大相撲千秋楽、大関の琴奨菊が優勝を決めた一番を見てから、遅めのシャワーを浴びた。
おろしたてのハイネックセーターに袖をとおし、今冬はじめての雪用ブーツに履きかえる。

雪道の中、妻と本町へ買い物に出かけ、古町で書籍をながめてから、喫茶店で時を過ごす。

休日の裏技だが、購入品をコインロッカーに預けて、手ぶらで街中を楽しむことが気分転換となり、    こういう息抜きの時間を大事にするようにしている。

何もこんな大寒波の日に出なくてもと思われるだろうが、いやいや、こういう日だからいいんだ。

見渡すと臨時休業した小規模店もあり、街の灯りは分刻みでおちていき、主要なのはコンビニや牛丼店大手商業施設ぐらいとなる。

タダでさえ、日曜は人が少ないが、この足回りでは仕方あるまい。
だから、どこへ行っても空いているが、物静かな商業施設をのんびりとふらつくと気分はおちつく。

それになんとなく行くところは決まるもんで、なんとなく見覚えのある顔とすれ違い、街角で偶然出会った顔見知りと無駄話に興じたり、人が少ない場所に好奇心を抱くのは、われながらの性分であろうか。

それになぜか、ただ、歩きたくなることがある。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月24日

見守る心

夕方、自宅の電話に、東京でひとり暮らしの伯母の名前が表示された。

何かあったのかと一瞬ドキッとしたことを伝えると 「何かあったら電話できないわ」 と気丈に答える。

遠距離であるから、何かあってもすぐに飛んでいけない歯がゆさがある。
だが、その言葉を聞いて、おたがい別な人生を歩んでいる、そんなあたりまえを感じた。

おたがい気にはかけても、過剰な依存はしない関係。

限られてきた時間の中で、温かく見守りあうことを教えられているようであり、それがやすらぎの通話になっていれば、いいのではないだろうか。

それに物言わぬ父親の病床にいるとき、そこがやすらぎの場所であれば、自身の晩年を見つめる目も少しは養われるのではないかとも思う。

年齢上、今さらジタバタするぐらいなら、来るべき日に気持ちを整え、一番難しいとされる 「見守る心」 を課題に突きつけられているのかも知れないね。

明朝、カーテンを開けたら、景色は雪であろう。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月23日

職業習慣

22日 正午に起床し、1時半に外出。
私用3か所をめぐり、一旦帰宅したのが夕方5時。

動いたせいか、めずらしく小腹が空いたので、前日の豚汁の残りにご飯一膳入れて雑煮にして食べた。
めずらしいというのは、一日の食事は仕事が終わってからの、一食が基本だからである。

長年の体質がしみついており、仕事前に食事をすると気が抜けるというか、眠くなりがちとなる。
そのせいで、仕事が終わっての食事となり、ビールを水代わりに、たまにウイスキーで口を湿らす。
本当は仕事上がりに飲みに出かけたいが、時間的に朝日を見ることは、気分的に避けたいからね。

まあ、食が細いわけではないが、あとに仕事が控えているとき、食事を抜くことが多い。
食べるとしても、パン一個ぐらいで、それまでのコーヒーが食欲を抑えているようである。

そのくせ、身長以上の体重なんだから、如何に一食で栄養をためこんでいるかわかるだろうが、過去に軽度の逆流性胃腸炎になったことがあるので、就寝前に食べる量は注意をしている。

このパターン、若いころからの職業習慣でもあり、昼食は抜けるけど、社交やTPOには準ずれるから、何もかたくなというほどのことでもないが。

そんな休日の浅い時間帯なら、ゆっくり咀嚼すれば大したことはなく、代わりにアルコールは深い時間になるほど強くなるので、ペースをセーブしておけば、長い時間飲んでいられる。

それを知らずに一緒に飲む相手は、緩やかに飲んでいるのに具合が悪いのか、それともご機嫌ななめなのか、間違った心配をされることもあるが、時間的な異なりにしか過ぎないんだけどね。

なので宵の口は、まだランチ体質だから、店員が元気に 「 生一丁! 」 全員で 「 アイヨー! 」 と連呼する、ハッスル居酒屋で飲むのは少し苦手なんだ。

だから、日曜の夜に一緒に飲める存在は貴重なのである。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月22日

無題雑記 25

21日 暦の上で最も寒いとされる 「大寒」 だった。

冬の寒さが続いているせいか、一日が短く感じてしまう。
淡泊で終わる日もあるが、メリハリはつけるようにしている。

天候が荒れ模様だと、物通に影響が出てしまい、スーパーの生鮮食品が品薄で値段も上がるため、渋々購入するときも多くなるが、買い物は日常の気分転換に役立っている。

ボクの買い物は、テレビ番組 「はじめてのおつかい」 気分なので、どこかワクワクしている。

途中で寄り道をして時間が押したり、急な雨に降られて雨宿りをしたり、間違った商品を買って帰り、   妻に喝を入れられたり、そんな日常が好きである。

夕方、テレビの大相撲中継にしたら、取組前に 「フォー!」 と叫んで、自身に熱い気合いを入れる  「琴勇輝」 の気迫あふれる相撲に、今日のやる気を注入された気がした。

その姿、時代劇に出てくる悪代官役が似合いそうだが、相撲道を健気に突き進む 「相撲サムライ」 のような、勇ましい所作に好感が持てる。

兄弟子の大関 「琴奨菊」 も、今日の12連勝で全勝を守り、10年ぶりとなる待望の日本人力士の   優勝にまた一歩前進したが、勝負は下駄を履くまでわからない。

ボクは大相撲を国籍で見ていないので、周囲が騒ぐほどの気持ちはないが、このままの流れであればよほどのことが起きない限り、優勝するんだろうな。

サムライと言えば、時代劇 「遠山の金さん」 初代役の 「中村梅之助」 さんが、85歳で亡くなった。

役柄は、気前のいい遊び人風情で江戸の町民になりすまし、治安を犯す悪党連中を燻し出し、最後は伝家の宝刀 「桜吹雪」 の登場に、子ども心は歓喜した。

それで学校で叱られて、名セリフ 「これにて一件落着」 と叫んだら 「勝手に終わらすんじゃねえ」 とこれまた、先生に一発拳骨をスコーンと食らったこともある。

ワンパターンの時代劇ながら、勧善懲悪が痛快な下町名奉行 「金さん」 は、子どもたちにとっては 「理想のおじさん像」 であり、また多くの人たちを魅了したよね。

だれもが好きなことをやった人生最期 「これにて一件落着」 と叫んで、あの世に旅立ちたいな (笑)
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月21日

Jazz Talk Vol.68

今夜 (20日) のことは、記しておこう。

開店間もない時間、韓国人観光客のお二人がお越しになった。

二週間の日本滞在で、それまで東京の小さなジャズクラブをめぐり、母国では有名なジャズボーカリストである女性は、飛び入りでセッションに参加したり、韓国での実力を余すことなく発揮してきたご様子。

3枚目のアルバムを発売したとかで、手持ちの音源を少し聴かせてもらうと、清涼感あるフレージングで時に難易度の高いスキャットも飛ばし切り、そのオープンハートにプライドがあった。

プロモーション用のCDは、東京でベテランベーシスト 「鈴木良雄」 氏に差し上げたのが、最後の一枚だったらしく、音源そのものは入手できなかったが、耳に心地よさは残っているので、後に探してみる。

また、いいチャンスかと思い、こんな質問をしてみた。
選曲は歌詞で決めるのか、メロディーで決めるのか、たずねると、彼女はメロディー重視だという。

理由はいろいろあるが、洋楽を聴く感覚と同じで、メロディーに惹かれ、言葉の意味をかみしめるのが、優先順路となるようだが、それも歌への愛情と上手さあってのことなんだろうね。

それと韓国のジャズ事情やステージパフォーマンスなど、フランクに会話を交わせたのも、韓国男性が日本語に精通している方で、同時通訳で4時間近くも所々語れたことが大きかった。

それにエンターテインメントに触れている方々は、言葉が通じなくてもボディランゲージが上手いので、会話に神経は使うが、おたがいに言わんとしていることは、きちんと伝わるものである。

たまたま、お隣の席にこれまたジャズ好きな60代男性も自然と交わり、それこそ昨日のブログに記した 「本籍はジャズ」 のような会話ですごせて、最近にしてはめずらしい夜になった。

当店、セッションできる環境ではないから、予測不能なゲストだったけど、こんな真底冷えこんだ夜に、  これこそホットな 「 トークセッション 」 (ギグ) であった。

What a name ?
韓国人女性ジャズシンガー  RYU JOO HEE ! (リュ・ジュヒ)  I Get A Kick Out Of You

だれともうちとけられ、穏やかで親近感のある素敵な女性だった。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Jazz & Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月20日

Jazz Talk Vol.67

プロアマ問わず、ミュージシャンで自称 「ジャズミュージシャン」「ジャズシンガー」 を名のる人もいるがこの10年ほどの間、あえて呼び名にこだわりを持つ人は少なくなったようだ。

当然、良し悪しではなく、それだけ音楽性がバラエティーになってきた証だし、ひとつの枠にとどまらない表明でもあろう。

ボクが思うに、ジャズは本籍地みたいなもので、現住所がロックだろうが、移転先がポップスであろうがフィーリング的な部分では 「本籍はジャズ」 であると、自任を意味するものと言えよう。

このあたり 「ジャズバー」 も似たようなもので、会話がジャズに限定されているのではなく、社会的な コミュニケーションで、空間が成り立っているのと同じことである。

「ジャズミュージシャン」 の話に戻す。

昔はライヴ終了後、演奏者は会場の片隅に座って 「ウイスキー・オン・ザ・ロック」 を飲みながら、 クールダウンしている姿が、少し芸術的な絵になって見えたものだが、今は見なくなったという。

たまのツアーでホテルが近くにあるなら別だが、お酒よりも腹を空かせてしまうから、あとかたずけを   したら、どこか食事もとれそうな場所に移動したがる。

それに楽器を積んだ車で移動してたり、次の会場入りで翌朝が早かったりするから、打ち上げは淡泊で疲労感をお酒で洗い流す人も少なくなった。

いつの間にか、出演者も観客も健康志向になったのか、昔のジャズクラブみたいに、ウインク代わりの合言葉 「 Yeah ! 」 で、グラスを目の高さで乾杯を交わす、粋なコミュニケーションもなくなった。

ジャズミュージシャンなら、アメリカ仕込みじゃないけど、サラッとクールな人でいてほしい。
なぜなら、グリーティングセンスって、音 (アドリブ) に出るからわかるし、気どり方も冥利だからね。

ジャズミュージシャン 「かくあるべし」
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Jazz & Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月19日

後腐れなし

テレビのワイドショーで、一連のスマップの報道を見ない日はない。

メンバーは40歳前後で、結成して何十年たつのよ。
国民的な財産にまで成長したとは言え、グループとしての潮時は必ず来るからね。
また、それもないと、何もはじまらないんだ。

自分に当てはめればわかると思うが、仕事とはいえ、大の男同士が年中一緒にいられるわけあるまい。
仕事は好む好まざる関わらず、一緒にしなきゃいけないし、私生活まで一緒にいるのは考えられないが彼らは上手に距離感を測っていたようだけど、やっぱり公私ともに長すぎるんだと思う。

仕事上、私生活は何をやっているかわからないぐらいにしておかないと、おたがい息が詰まるからね。
そう考えれば、仕事をするときは一致団結して、私生活はおたがいの価値観を尊重しておくことが、    長い関係でいられる最低条件になるんじゃないかな。

それにプライベートが充実してないと、ボキャブラリーは広がらない。
若いときは一人前じゃないから、どこかの団体に所属してないと、世の中が見えてこない。

スマップだって、年齢的に一般社会であれば、ご多分に漏れずに中間管理職みたいなもんだし、自らの成長からすれば、このあたりが潮時かなと考えても不思議じゃない。

自覚が高まった分、いい意味で自我は出てくるし、それは自然なことであって、本来なら周りが騒ぐことでもないんだろうが、解散の理由が燃焼ではなくて、内幕がややこしすぎるから釈然としないんでさ。

この場合、長年女性マネージャーにシンパシーを寄せていたことで、通常の解散方法をとれなかった    筋も成り立つし、恩を仇で返す不条理はいけないが、これから何かがはじまり、または何かをしようと   するときほど、後腐れなしの別れは大事だからね。

それは、おたがいのルールが違うから、こじれるわけだけど、ここは一般社会と同じだよな。

最後はどっちに転んでもいいけど、自分の気持ちに問いかけた結果が正しい答えなんだろうね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月18日

Jazz Talk Vol.66

17日 2016 新潟ジャズストリート ウインター

夕方4時開演の 「 Cool Groove 」 を新潟日報メディアシップで聴いていた。

チック・コリア 「スペイン」 をオープニングに、パット・メセニー2曲 ミッシェル・カミロ ジョー・サンプル マーカス・ミラー のナンバーがそれぞれ1曲で、合計6曲のジャズフュージョン。

俄然注目したのは、3曲目 ミッシェル・カミロ 「ノット・イエット」
原曲は速いテンポの上、ラテン特有なリズムとビート感を出すのがむずかしいんだ。

それに自由に遊べるスペースを作りながら、ユニゾンで合わせるところも多く、リズムの決め所はバネの如くしなやかにノリ飛ばさないと、疾走感が出ない難易度の高い曲である。

そのナンバー、細かいパッセージまでは演奏を仕切れないが、逆に全員がムリに細かくなり過ぎずに、不自然なキメもなく、響きのバランスが良かった。

ステージにひとつの色合いをつけていく上で、とても重要なナンバーだったと思えたし、全6曲メリハリが効いていたから、最後まで楽しく聴いていた。

正直、偶然のユニットではあったけど、全曲とも原曲は知っていたし、バンド名 「 Cool Groove 」 というぐらいだから、この手の演奏を最も得意とする、新潟の有力グループには違いないだろう。

新潟ジャズストリートは、大きな意味でみんなジャズながら、観客や年代において、各会場の雰囲気が違うから、これがまたおもしろいんだ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Jazz & Music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月17日

実名記事

音楽や小説に触れたあと 「どうしてこの人はこんな作品を描けたのかな」 と思うことがある。

心のどこかに心象風景があって、何かがきっかけで指先が走ったのだろうか。
音楽や小説に限らず、陶芸や書道、絵画も似たようなもので、なぜこの筆と色彩を使ったのかとか。

小説であれば、作者の感性に惹かれて、次第にその素顔に興味を抱くようになる。
その人のフィルターを通して、別な感受性にひたれる楽しみもわかるようにもなる。

どこか作者を通して、いろんな人生を知ることができて、身内感覚になれる魅力もあるんだ。

昔からボクは、年上の人の体験談を聞くのが好きだった。
若者はイヤがるようだが、時空を飛び越えて昔話を聞けるんだから、本来はおもしろいはずなんだ。

だけど、同じ話に歯止めが利かなくなったり、展開があっちこっちへ飛んだりするから、言語感覚の高い若者であれば、聞くに堪えられなくなるんだろうな (笑)

一部のマニアに有名なジャズ評論家で 「後藤雅洋」 氏は、自身が88年に執筆したジャズの書籍の   くだりに、こんなユニークな一文が書き残されていた。

「 (評論に) いろんな意見も反論もあるだろうが (論戦は) いつでも受けて立つ覚悟がある 」
1940〜50年代生まれの人たちは、活字文化と持論も強い世代なので、割りと個性的な人が多い。

現代は匿名で罵詈雑言を振りまく風潮なのに、当時は実名記事が主流で、本を購入してくれた読者まで敵に回すこともいとわないし、本が売れるように調子のいいことを書くはずなのに、あの頃の書き手は      ガンコでおもしろい人が多いんだよな。

ボクもコレ、実名記事みたいなもんだけど、あくまでも 「ブログ」 のスタンスでアップしているわけで、 意見を集める場所ではないから、そういうところは一線を画している部分となる。

まあ、書き手も読み手も、時代によって変わるべくして変わるところがあるからね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月16日

オンリーワン

国民的アイドルグループ 「スマップ」 の解散に世間が揺れている。

2003年のミリオンセラー 「世界にひとつだけの花」 が流行ったころ。

若者たちは 「君は君でしかなく、君らしくあればいい」 ような内容に共感し 「ナンバーワンにならなくてもいい、君は特別なオンリーワン」 だったかな‥ ?  まあ、そんな歌詞に気持ちを高ぶらせていた。

歌詞は健全だけど、ボクが釈然としなかったことは、勉強でもスポーツでもあれ、競争したことがない   若者やニートまで、その考えに逃げこむ姿が怪しく思えた。

あの頃を境目に、会社における若手の育成や教育が難しくなり 「時間を守れ」 「期限まで報告」 程度のことですら 「だって」 「でも」 「逆に」 だとか、屁理屈が多くなってきた。

断わっておくが、成績や人格を指摘しているのではなく、あくまでも 「社会の掟」 レベルの話である。

あの歌詞には、やさしいメッセージが含まれていたはずだが、受け手によっては、それは 「らしきもの」 となり、ご都合主義な解釈にされていたと思える。

その背景には、恵まれすぎていたこともあり、家の中に引きこもってクリックすれば、多くのことを広く浅く手っ取り早くわかるようになったけど、それがかえってマイナスに作用したに他ならない。

昨日、たまたまアップした、映画 「コーラスライン」 でも、人から選ばれたり、時に選ばれなかったり、競争した結果が 「オンリーワン」 であり、最初から、オンリーワンなんて聞いたこともない。

もっと身近なことを取り上げれば、新潟市の万代を拠点にしたアイドルグループ 「NGT48」 だ。

彼女たちだって、コーラスラインのような厳しい、オーディションを合格してメンバーに入れた。
だけど、受からなかった女の子の人数を想像すれば、少なくても競争原理の中で生きているわけだ。

だが、不合格の女の子たちが、かんたんにオンリーワンへ逃げるのか、それとも敗因を考えてもう一度  チャレンジするのか、考え方の起点をどこに戻すのかも大切なことかと思う。

それで、失敗したとしても、そのときの経験を持って別の分野で活かせるんだし、その意味での努力であれば、決してムダな努力にはならないんじゃないかな。

あの頃 (2003年) ボクが釈然としなかった理由はここにある。  
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月15日

コーラスライン

来月の平日、新潟県民会館で、劇団四季によるミュージカル 「コーラスライン」 の公演がある。

ガラにもなく見たいが、2月は営業日数が少ない上、個人事業主にとって、余裕をぶっこけないからね。
二十歳のときに見た、映画 「コーラスライン」 が、あまりにも印象的だったんだ。
主演は 「マイケル・ダグラス」 で、ミュージカルのオーディションに応募してきた、思春期の若者たちの人生に愛と輝きをもたらせ、同時に人生の厳しさを教えてくれた映画だった。
人は選ばれたり、時に選ばれなかったり、そんな喜怒哀楽を経験しながら、やがて一人ひとりたくましく生きていくのだと思えた。

10年ほど前 「オンリーワン」 なんて言葉をよく耳にしたが、それはさまざまな人たちと競争した結果で得たオンリーワンであり、生まれつきのオンリーワンじゃないんだよな。
だから、順位をつけない運動会なんてのは、行き過ぎた過保護であり、そこに気づかないと過剰なほど自分だけの気持ちを大切にしすぎるから、人とコミュニケーションできるわけないじゃん。
そんなコーラスラインを見終わった後、青春の戸惑いが晴れた気分となり 「また明日から、がんばろう」 なんて、気分にさせられた名画だったなあ。

青春の飢えや渇きを、映画で解消していた時代もあったね。

posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Cinema Fan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月14日

無題雑記 24

13日 店に向かおうと玄関で靴を履いていたら、突然大きな雷鳴が響き渡った。

妻に 「ワシの頭に落雷するかも知れんぞ」 と軽口をつぶやくと 「落ちて来たらよけれるでしょ」 と  軽くあしらわれたが、わが家はこんなノリである。

昨日の記事に 「笑えなくても、笑っていた方がいい」 と記した。
本日、早い時間にお見えになったお客さんから、それに共感する言葉をいただき恐縮した。

バーは、社用族が多いこともあり、組織で采配をふるっている立場の方々もいらっしゃる。
その仕事は設定した期限で、如何に効率よく仕上げるかが、上席の腕の見せ所でもあろう。

職場に悩みを抱えている大半は、コミュニケーションの問題に行き着く。
本人たちは至って、真面目なのだろうが、普通に雑談がないんだ。

雑談がなければ笑わないし、笑わなければ顔は強張るし、強張った人には近寄りがたくなる。
近寄りがたければ、有益な情報は集まらないし、業績にロスがおきやすくなる。

そんな雑談もなく、黙々と我慢を強いられるだけの環境で仕事をしている人の顔には、乾いたのりが    へばりついているようで、雑談へのためらいがギクシャクした関係を生み出しているものだ。

これはミスリードだと思うし、雑談はムダのようにあつかわれるが、雑談の大切さを知る人のもとには、情報や信頼が集まり、それで業績が上がれば御の字で、笑顔のあるところには可能性がある。

自身、前職、しがないサラリーマンだけど、店のお客さんとの共感つながりもあるんだ。
まあ、ほとんど難しい話はしないが、引き出しのひとつがあっても不思議ではないでしょ。

これも雑談がもたらす展開で、本来、職場というのは出会いの場所でもあるんだから、もう少し気軽に   雑談を交わし、たまには 「一杯、行くか」 ぐらいの余裕があっていいと思うけどさ。

今晩、お客さんから 「仕事帰りに立ち寄れる店があってよかったよ」 と言われたとき、その言葉に   ボクも励まされているんだから、社会の学びはイーブンであり、話せる場も多彩であるべきだ。

その意味で 「笑えなくても、笑っていた方がいいんじゃないか」 と記したんだけどね。 
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月13日

無題雑記 23

12日 夕方5時の気象観測によると、新潟市の積雪6センチ、気温4℃とのこと。

今週、ようやく冬型の気圧配置となり、本来あるべき冬の気候で過ごせそうである。

人は寒さや暑さに限らず、だれでも仕事に行きたくないと思う日があるだろう。
自分のテンションが作り出す気分的なこともあるが、人が集う職場ではイヤなことも経験するから、    逆に正気を保てていられることもある。

むしろ、その気持ちが失われてしまうと、頭の回路をつなぎ間違えそうだから、物事 「いい日八分目」  ぐらいが、ちょうどいいのかも知れない。
年中、パーフェクトを求めていたら病んでしまうし、笑顔のない職場では気が詰まるからね。

そう考えれば 「自分は笑っているか」 自問自答することは、大切なことかと思う。
不思議だが、豪快に笑える人は裏表を感じさせないから、味方が増えたりするものだ。
だから、笑えなくても、なるべく笑っていた方が、福がまいこみやすくなるんじゃないかな。

今日も冷え込みそうなので、笑い同様にホットウイスキー用の熱いお湯も絶やさぬようにしなければ。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月12日

34時間ぶり

一瞬 「今日は何日の何時なんだろうか」 と思った目覚めだった。

さかのぼること10日。
万代はいつになく、若者で賑わっていたので、静かに読書をできる場所を探すのに右往左往した。
成人式に加え 「NGT48」 劇場オープン日もあるが、あっしにはかかわりあいのないことでござんす。

その日の夕方、妻は女友達の車に同乗して食事へ出かけた。
こういう日は、帰宅してから食事の支度をするのはおっくうだろうから、ボクはボクで夜食はスーパーのお弁当で済ませるようにしている。

それにしても、この三連休は気温が冷え込んだ。
代休前日の日曜営業が終わると、何だかたまっていた疲れが放出されたようで、しかも悪寒を感じた。
帰宅して、買っていたお弁当を口にする気力もなく、風邪薬を飲んで温かくして寝たのが朝の4時。

起きたのは、22時間後の深夜2時で、その間2回寝室で風邪薬と栄養剤、おかゆを胃に入れただけ。
録りためていた映画を一本見た後も、今が何日の何時でどんな天候なのかもはっきりさせぬまま、また寝ることに専念し、こうしてきちんと起きたのが、12日の午後2時。

この間、新聞やニュースもネットも見てないので、まるで世の中の動きがわからない。
幸い、月曜日は店の代休日、だれからも連絡はなかったし、インターホンが鳴ることもなかった。
唯一、台所から聞こえてくる生活音だけが、どこか安らげる雰囲気だったりした。

「34時間ぶり」 にカーテンを開けたら、うっすらと雪化粧をした街の景色があった。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする