2015年12月17日

生の感情

人間関係とかけて 「ヌードショー」 と説く。
その心は 「脱ぎ方こそ、伝え方である」

昭和の青春を経験した男なら、ヌードショーの一つや二つ、見たことはあるだろう。
そのとき、どう感じたか。

どんなにきれいな踊り子さんでも、いきなりバックステージから、ジンジロ毛を揺らしながらバンと登場し 「ヘイ メーン カモーン」 なんて叫ばれたら、生理的な興味はおろか、欲求を満たすことも忘れて、  サッサと逃げ出すだろう。

男を興奮させる脱ぎ方を無視すると、芸術も色気もへったくれもなくなる。
脱ぎ方の上手な女性は、男のデリケートさがわかるから、隠すところは隠して欲求を満たせる。
見えそうで見えないし、見させようとして見させない。

最後の一枚は上手に隠して、そうカンタンには見せない、踊り子としてのプライドがあるんだ。

人間関係も同じだと思う。

露骨に局部 (本音) を見せられたら、それは相手もおどろいてしまう。
これも上手に隠すところは隠しながら、少し時間をかけて脱いだほうが、安心と色気を感じる。

脱ぎ方や脱がせ方は、人の優しさや礼儀みたいなものだ。
乱暴に脱いだり、脱がせたりせず 「生の感情」 には、一定のルールがある。

初めての夜、もしかしたら、人に見られたくない、裸の傷があるかもしれない。
エチケットとして、部屋の灯りはおとしておくとか、体と心にもフォーマルとカジュアルがある。

局部や本音、何でもかんでも開けっ広げにするんじゃなくて、一枚ずつ脱いで一枚ずつ脱がせることが長くいい気分にひたれる 「大人の関係」 という気がしなくはない。

そんな脱ぎ方、脱がせ方をわかっていれば、コミュニケーションに悩むことはないと思う。 
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする