4日で51歳の誕生日をむかえた今、男はどこかで父親と同じ年齢を比べて生きているものだ。
親子30歳の年齢差で、当時の21歳の自分を振り返ってみる。
ボクの人生は父親にはなれなかったけど、男は父親の遺伝子はもっている。
振り返ることで、自分という自分が見える楽しさもあるが、そこにはお粗末極まりない自分がいる。
もしも、タイムマシンがあって、過去の自分にアドバイスするとしたら、どんなことを言うであろうか。
「4年後、バブルがはじけるから、この仕事はやめておけ」 とか 「こいつ下心があるから、つきあいはほどほどにしろ」 だの、なまじっか結末を知っているから、警告だらけになるんだろうな。
そんな、21歳の心の揺れ動きに、父親目線のボクは過干渉してしまうかもね。
そこで、昔の自分に手を差し出したら、今の人生がまったく違った方向になってしまう。
そうすると、妻と知り合うことはなかったし、奮起して小さなバーを経営することもなく、店のお客さんとも知り合いになれることはなかったであろう。
こう描けば 「すべて、これでよかったんだ」 と思える人生こそ幸せである。
現在、病床で余生を静かにすごしている、81歳の父親の年齢まで未来のタイムマシンに乗って行き、 今度は51歳になったボクは自分に対して、どんなことを言うんだろう。
ひとつの人生の行く手が見えているにしても、男は自分に説教してしまうものだ。
そんな誕生日だけは、父親の年齢を意識した 「自由な空想」 を楽しんでいる、51歳のボクがいる。