2015年11月13日

愛ある拳骨

野球賭博問題で、巨人軍の3選手が解約されたことは記憶に新しい。

こういう問題がおきると評論家は決まって 「未来の子どもたちの夢と希望を壊した」 など、美辞麗句を並べ立てるが、何をもって夢の成功と見なすのか、問い直す必要はあるんじゃないかな。

小学生に聞いた 「将来なりたい職業」 の上位に入る、医師や先生が公然わいせつ行為を犯しても、決して 「子どもたちの夢と希望を壊した」 とは言われないでしょ。

夢や希望を壊したうんぬんの前に 「あれは犯罪だ」 と、ハッキリ言うのが教育だと思う。
子どもに媚びた言い方をするより 「あんな大人になるな」 のほうが、よっぽどわかりやすい。

今の社会は、美意識過剰な言葉が通用する構図ではない。

コレ 5年ほど前につたない文章を書いた記憶があるが、さらに数年前 「なぜ、人を殺してはいけないのですか」 という本が話題となり、それをわざわざ説明する必要性はあるのかと記した。

そんな質問がまかり通れば、学校教育の崩壊だろうし、そもそも理屈じゃない。
「ダメなもんはダメだ」 でいいし、ご丁寧にも媚びた説明より、凛とした姿勢でいたほうがいいんだ。

スーパーでお菓子を万引きしたガキが 「何で盗んじゃいけないの」 と悪びれず食ってかかってきたら、そんな思考回路に理論的な説明を要するであろうか。

言葉の手間を惜しんではいけないが、こういう質問には真っ向から 「バカ野郎」 で突き返したほうが、教育になると思うし、そうじゃないと考え方が自立しないんじゃないかな。

もし、ボクが子どもの親なら 「愛のゲンコツ」 を食らわして、自分で 「なぜ」 を考えさせる方針をとる。
そもそも、曲げれない価値観を受け継いだのに、いつから 「常識を説明しなきゃならなくなった」 のか不思議でならないし、暴力と拳骨の違いは心得ているつもりだ。

世の中、サービス業の過剰なまでのおもてなしに慣らされ、多くのことはネットで答えが見つかるようになると、今度は説明がないものに対して、想像力をはりめぐらさなくなる。

つまり、手っ取り早く、答えだけを欲しがるようになったし 「子どもたちの夢や希望を壊した」 なんて、大人の答えじゃないと思うけどね。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする