2015年11月01日

国民の休日

新聞屋からもらった、来年のカレンダーをめくっていたら、8月11日に 新しい休日 (山の日) があることに気がついた。

そういえば、祝祭日のない月に限り、徐々に国民の休日を増やす動きがあったっけ。
ということは、祝祭日のない月は6月だけになり、それも2年後にはここも何か制定されるのであろう。
祝日、祭日、どっちでもいいけど、国民はだれも祝っちゃいないし。

3連休を含めて1年に何回、大型連休があるんだろう。
喜ばしいことなんだろうが、働きたいと思っている人もいるんじゃないかなあ。
日本経済を活性化させたいのなら、大いに働いて、大いに遊んで、消費を循環させることだろう。

むやみに休日を増やしても、見てごらんよ、街中は締まりのない空気が蔓延しているだけだ。
手のかかる子どもがいる家庭や、介護を必要とする家庭は別だが、そうじゃない限り、連休は部屋で    何をして過ごしているのかと思ってしまう。

休日が増えても外出することなく、1日中部屋に閉じこもってPCいじくりまわしたり、ついでに自分の  局部もいじくりまわし…  あっー 失礼、でも、そんなもんだと思うよ。

人と会わなくても、どこかに出かけなくても、暮らしに困らない世の中になったけど、これって孤独力とかじゃなくて、創造性が欠落した暗さのほうに向いているんじゃないかな。

休日を増やしても、消費なんてしないよ。
人は忙しいから消費するんであって、時間に恵まれてしまい過ぎると人は消費しないからね。

「景気を良くしたい、だけど休みも欲しい」 では、人の欲求は尽きないし、その実態は矛盾している。
大手企業や親方日の丸は好景気とは聞くが、社会全体の縮図はまだら模様に見えてしまう。

その理由、大不況を経験した傷口が癒えてないし、あれで消費マインドを折られてしまったからだろう。
だから 「ゆとり休日」 とかいっても、余裕資金が動かないんだから、発想的に 「ゆとり教育」 のあの愚策と変わらない。

それに仕事をしていることが、なによりもストレス発散になっている人もいる。
そういう人は、仕事の中にロマンを見つけたのだろうし、景気に貢献している。

だらだら仕事している人は、私生活もだらだらすごしているだろうし、きびきび仕事をしている人は、   私生活もきびきび遊んでいるもんで、将来のオプションは貯金ですなんてのは、まず孤立するからね。

定年退職すれば、いやというほど時間ができるんだから、それまでは大いに働いて、大いに遊んで、    消費を循環させる、これしかない!
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary & Social | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする