2015年11月29日

おでんの具

あらかじめ、その日は夕飯の支度ができないとわかっている前日は 「おでん」 を仕込むときがある。

それが金曜日であり、土曜日の食卓の鍋には、おでんの具がところせましに詰まっていた。

一般的に人気の具は、今が旬の 「大根」 であろうが、ボクは絶対に 「たまご」 だな。
他にも好きな具を五品選べば 「ちくわ」 「こんぶ」 「こんにゃく」 「ソーセージ」 「餅入りきんちゃく」。
酒通が好む具は少なく、要するに 「おこちゃま向き」 なんだ。

一通り平らげたら、いよいよ味をしみこませた 「たまご」 の登場である。
白みはからしをつけて崩し、黄みは残りの出し汁に溶かしながらすすると、これがまたいける。
ご飯のおかずにはならないため、ビールで口を湿らす程度で、他に献立はいらない。

寿司ネタにもつうじるが、一通りに味わってから、最終的な 「おでんダネ」 になると思う。
それに飲む酒にもよるが 「まずはビール、あとからウイスキー」 のボクからすれば、さほど相性に   こだわることもあるまい。

まあ、冬の夜ならではの楽しみだが、おでんは冬情緒のはじまりのようでいいな。
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2015年11月27日

いい風呂の日

日付は変わったが、26日は、語呂合わせで 「1126」 = 「いい風呂の日」 だったという。

そのため、公共浴場組合に加盟する銭湯では、ちょっとした特典があるとかないとか。

新潟の下町にあった 「星乃湯」 の壁には、こんな詩のポスターが貼られていたことを覚えている。
「銭湯すたれば 人情もすたれる」  (以下、原文は省略)

銭湯で子ども心に見たのは、社会の縮図だったような気がする。
体を洗うときは泡が飛び散らないようにし、洗髪のときもシャワーのしぶきが人にあたらないようにする。
洗面器のお湯を流すときは、静かに排水溝に捨てるなど、裸で公共マナーを学べた場所でもある。

湯舟のお湯が熱くて、水道の蛇口をひねるにしても、あたりをうかがったり、お湯に入る出るの状況を   見計らったりしながら、銭湯の世界で地域社会に触れていた。
大切なことは、番台で小銭を払って、下駄箱に靴を預けた後に広がる、公共的視野である。

川端康成の名文 「トンネルをぬけたら 雪国だった」 でおなじみの小説 「雪国」 を思い出した。
書き出しの興味に惹かれ、トンネルの先にある世界を味わい、抒情を実感させられる。
小説の場合、そんな書き出しの一文に 「全体の物語」 を負うところが大きい。

「銭湯すたれば 人情すたる」 の 詩の最終文。
「われは われルーツを求めて 銭湯へ」  (詩人 田村隆一)
銭湯の世界は自分の感性で味わえばいいし、子どもがいれば情操教育につながる世界である。

そんな、子どもから大人になるときに抱いた、原点 (ルーツ) が、この詩には描かれていると思う。

今度の休日は 「湯快券」 と 「200円」 をポケットに入れて、自転車で銭湯に行くであろう。
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2015年11月26日

人畜無害

25日 初冬一番の冷え込みとなった新潟。

雨降る夕方、スーパーまで傘をさして歩いてたら、20代半ば位の女性から、ふいに道をたずねられた。

「あの、伊勢丹はこっちですか」 と指さす方向は新潟駅なので 「逆ですよ、そこの手前の角を左に  入ってから、まっすぐ進んで、2本目の信号を渡った右です」 と教えた。

すると、霧雨でピントの合わない微笑みでお辞儀をされた。
ただ、それだけのことだけど、何か得をした気分になれた。

今の情報化社会なら、スマホで検索すればわかるだろうし、あたりには気のよさそうな人もいる。
ここは万代、若者の流行発進街なのに、何でこんなおやじに道をたずねたのか不思議でならない。

一瞬 「アンケートに答えてください」 や 「あなたは神を信じますか」 やら、言われるのかと構えたが、伊勢丹の場所を知らないことは、新潟市の住民ではないのであろうか。

それに、若者が万代で道に迷うなんて、少し気恥ずかしさもあるだろうし、それも伊勢丹だからね。
なんちゃらの物産展、バーゲンセール、夕方のタイムセール、それとも正面入り口で待ち合わせか。

もしかして、市外から面接を受けに来て、道に迷いあわてて、だれかまわず道をたずねたとか。
去る姿も少し小走りに見えたし、推理としてはイイ線だと思うが。

普通、人に道をたずねるときは、無意識に人のよさそうな 「えびす顔」 を探すだろうし、ロマンスに  発展しそうな同世代の男に目を向けると思うが、ボクはどちらもかすりもしないただのおっさんだ。

そうか 「人畜無害」 だと思われたんだろうな‥   複雑だが、選ばれた喜びは感じている。
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2015年11月25日

深夜の理由

日付が 「24日」 に変わった深夜1時。

7時間にもおよぶ、休日の 「はしご酒」 も終わり、マクドナルドの前でタクシーを降りた。
妻に朝食のハンバーガーでも買って帰ろうとしたが、目の前で突然看板の灯りが消えた。

「あれ、24時間営業だったのでは」 と思ったが、後に知ったことは、全日深夜1時までになったとか。
一時的か、季節的なのか、永劫的なのか、深夜の客足が減少したのか、それとも人手不足なのか。
深夜営業はリスクもあるから、これから減る一方になるかもな。

そういいながら、ボクはバーのマスター兼バーテンダー。
夜に生きる仕事なので、街の灯りが薄暗いと夜長が寂しく感じてしまう。

昨年まで、全日深夜3時まで営業をしていたが、今年からは、平日だけ深夜2時までの営業に変えた。

理由は3つほどあり、立ち仕事も50代に入り、少し体の負担を軽くしたことが1つ目。
それに家族とのだんらん時間を、少しばかり増やしたくなったのが2つ目。
3つ目には、深夜の扉を開けるお客さんが少なくなったことがあげられる。

実はこの3つ目に、長年 「深夜3時」 まで、営業していた理由がある。

「深夜に扉を開ける人」 を想像してみてほしい。

どこかの飲食店や接客業の方、たまに泥酔客と思われそうだが、昔ほど寄り道をする人は少なくなり、タチの悪い酒乱をのさばらせるほどお人よしではない。

「眠れない理由のある」 お客さんもいるんだ。

独り身の寂しさを置きに来たり、悩みをまぎらわせに来たり、時には喜びを分かち合いに来てくれたり、人それぞれの内面は千差万別である。

「介護の現実」 に、直面している中高年もいた。

介護を必要とする親が寝静まり、定刻のおむつ交換や体交を終えて、ようやく限られた時間を持てて、自分を取り戻すことができる。

肉親の変わりゆく心と体を見守れるのは家族だし、真面目な人ほど独りで抱えてしまう傾向がある。

実際、家族間の小さなこじれから亀裂が生じ、そのうち思っても見なかった身内の冷たさに直面したり、さまざまな状況が作り出されていくので、そうなる前の話し合いは不可欠となる。

そんな中高年の止まり木になれればと思い、深夜営業を続けてきたが、もうその必要もなくなってきた。
形骸化した家族も見てきたが、最期はその家族に合った、肩の抜き方に気がついたのであろう。

ここまで書いて何を隠そう、ボク自身がそういう経験をして今があるから、その気持ちはよくわかるんだ。

それに1時間短縮しても、その分お客さんが早めに見えるようになり、今でも良好な関係は続いている。
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2015年11月23日

無題雑記 19

一年の締めくくりとなる、大相撲九州場所。
優勝争いにからんだ、三力士がすべて敗れた千秋楽は辛うじて 「日馬富士」 の優勝で幕を閉じた。

毎年、九州場所の千秋楽だけは三連休の中日となり、そのあと店開けを控えているので、のんびりした気分ではいられない。
そんな結びの一番が終わり、弓取り式を横目に、やぐら太鼓を耳にすると年の暮れを感じさせられる。

今年最後の三連休。
例年に比べ、暖かい初冬であるが、忘年会シーズンの前は控えめな夜が続くものだ。

ボク自身、日曜営業は少し気が抜けているが、体裁よく言えばリラックスしている。
開店準備が整い、口開けするまでは、新聞を読みながら、熱いコーヒーをすすっていることが多い。

昨晩、小説家を志望するお客さんから、原稿用紙200枚にもおよぶ、自作の短編小説をプレゼントしていただき、ぜひ、時間の許すときに集中したいため、第一章の途中に折り目をつけた。

今朝の新聞で 「世界野球プレミア12」 の優勝国が韓国であることを知った。
たまに思うことだが、日本は自国の結果にしか、興味がないのかも知れないと。

つまり、野球そのものじゃなくて、日本チームが好きなんだろうな。
サッカーも特定のチームや選手のファンになるけど、競技そのものに関心があるかどうかは疑問だ。

先月行われた 「ワールドラグビー」 も、日本が予選を突破できなかった時点で競技への熱が冷めて、残されたのは、そのときのヒーローに眼差しをおくる一時的な熱狂ぶりだったりする。

そんな、ラグビーの決勝戦はテレビ観戦したけど、やはり頂上対決を見ると、それまで以上の迫力に    圧倒されたり、違った魅力を発見できたり、無意識に強者の世界を理解できるようになる。
スポーツ文化の拡充でいえば、見方はまだ浅いのかも知れないな。

最近、暗いニュースが多すぎる。

人間の生き死にをどう考えているのか、洗脳的な信心深さが狂気となる世界情勢になってきた。
ネットでしかつながらない、人間関係に興じていると、すべて自分基準の発想しかできなくなるから、   のめりこみすぎるのはあぶないと思う。

SNSは相手が嫌になれば電源を切ればいいし、着信拒否すればかんたんに断ち切ることができる。
それもオンオフで逃げることができて、都合のいいときだけは、また何食わぬ顔で参加できる卑怯な    一面があるため、いつまでも人の機微に触れることなく、対人関係の解決方法も身につかないんだ。 

やはり、原点は寺小屋教育における 「読み・書き・そろばん」 (義務教育) への回帰である。

脈どころのない乱文は毎度のことだが、タイトルを決められないから 「無題雑記」 とする。
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2015年11月20日

Are You Free Tonight ?

テレビで 「お見合い大作戦」 たる、バラエティー番組をやっていた。

この手の番組は、なりふりかまわぬ男女の色恋を見て、楽しむだけの俗物かと思っていたが、       今はずいぶんと思いなおせるところもある。

その昔 「花の中三トリオ」 のひとりだった、桜田淳子を覚えているだろうか。

それぞれの人生、山口百恵は三浦友和、森昌子は森進一と、ビッグカップルが誕生したのだが、      桜田淳子だけは少し取り残された印象があり、後に一般的にはなじみのない宗教結婚をした。

しかし、世間は祝福するどころか、洗脳結婚のような報道を繰り返して冷たかった。
誤解をおそれずに言えば、宗教の是非はともかく、純粋に 「幸せになりたい」 気持ちを与しなかった。

だが、彼女は周囲の反感を買おうが、世間を敵に回そうが、一般男性との結婚は純粋だった。
もしも、夫が寝たきりの病になったら、最後まで面倒を見てくれる、そんな女性に思えるんだ。

つまり、純粋であることは、献身でもあるから、愛情も一途だろう。

遊び盛りの遊び心とは違い、お見合いは純粋な気持ちが集うので 「私はどっちでもいいわ」 のような 「すかした女」 は、男が一番嫌うタイプだからね。

話を戻せば、呼び名を変えた 「婚活」 も同じことだ。
女性がアクティブになったとはいえ、煮え切らない態度を続けてスマしてれば、合コンパーティーなどの趣向はどうあれ 「うっとおしい女」 にされてしまう。

露骨なアピールはいらないが、積極的に出会いを求めていくことは、あたりまえの行動であるから、    大切なのは自分の気持ちに素直であることが、奥ゆかしさなのかもと番組を見ながら思ったね。

傘に隠れなきゃいけない関係なら、それこそ 「誘いながら待つ、待ちながら誘う」 そんな 「変化球」 はありだが、お見合いでは 「直球」 ありきである。 
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2015年11月19日

猫だまし

大相撲九州場所10日目

横綱の白鵬が関脇の栃煌山を相手に、まさかの 「猫だまし」 との見出しが大きく踊っていた。
館内からは罵声が浴びせられ、横綱審議委員会からも 「前代未聞」 だと苦言を呈されていた。

あの一番、テレビで見たけど、個人的には稀有な奇襲技を見せてもらい、思わず顔がほころんだ。
賛否両論あるが、ファンの立場で擁護すれば 「それもあり」 ながら 「なんだかな」 もある。

日本人の美学には、本音と建前が両立している。
日本の建前社会で本音を明かすと、世間から袋叩きに合いやすく、本音こそ取扱注意な側面がある。

猫だましの賛否は、正式な奇襲技ながら、格下相手に使う一手ではないことをとがめられている。
規定には反してないのだが、横綱として姑息なことはしない、ある種の自己ルールなんだと思う。
つまり 「これはやらない約束だろ」 と、暗黙の了解を言い争っている節がある。

その白鵬 「穏やかな表情の中に、おちょくりを含んでいる」 との記事だが、そんなことはない。
年齢的に見て、いつまでも受けて立つ相撲で君臨できるわけもなく、奇襲を使いだしたことが何よりの   証拠であり、記者は変わる心理を見抜けないのかな。

新聞の論説では 「白鵬の残念な行為で、真剣な取り組みに水を差され、大相撲の魅力が失われた」 とのペン先だが、うわべを体裁よくつくろった正論のほうが 「ペン先の猫だまし」 に思える。

さーてと‥  大相撲ダイジェスト11日目がはじまるまで、ひとっ風呂、浸かってくるとするか。

それより、ボクの興味は 嘉風 琴勇輝 松鳳山 決して格上にひるむことのない 「熱血相撲」 だ。
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2015年11月18日

Take It Easy

3年半前、見知らぬ土地の新潟へ転勤を命じられた、30代の女性客が急なる辞令で新潟を後にした。

故郷が新潟でない以上 「二度と会わないんだろうな」 と、どこか寂しさをおいていかれてしまうのが、バーという仕事 (人間商売) の少し切ないところ。

お別れのカクテルなんて、しゃれた真似できないが 「バイバーイ」 が最上級のあいさつだったりする。
カウンター越しでしかないが、なんだろうね‥  うまく言葉にできない不思議な後味って。

人の生活習慣は、短い時間でいくらでも変わるが、親和感が消えるまでは少し時間を要する。

土曜日の深夜、最後にお見えになった女性客である。
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2015年11月17日

枯葉ロード

晩秋から初冬にかけて、枯葉が舞い散る道を歩くのは、どこか風情があっていい。

日曜の夜、南万代まで 「白子」 を食べに 「テクテク」 と歩いて出かけた。

ボクは魚介類の中でも、貝類や魚卵系が好きだが、白子はタラの精巣である。
ポン酢であえて、口の中でクリーミーにとろける感覚と、鼻を抜ける柑橘の香りでお酒もすすむ。

若いころは、鉄板でほどよく焼いて、のり巻きにしてもらい、柑橘汁で食したものだ。
白子の調理は、生の素材を活かすもよし、焼き 揚げ 蒸しても美味しい。

白飯とは合わぬものの、食べ合わせによっては、この時季の酒の肴の有力候補には違いないだろう。
休日は時間を気にする必要はないが、舌も満足したこともあり、また枯葉ロードを歩きたくなってきた。

二軒目は 「テクテク」 とはいかぬが 「フラフラ」 と気分よく 「夜風の呑兵衛」 になっていた。

昔みたいに 「ボロボロ」 で帰宅することはなくなったけどね。
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2015年11月16日

時代おくれ

川島英五 「時代おくれ」

今さら言うなかれだが、こんなに人の心にしみいる歌詞はめずらしいと感じた。
それも遅ればせながら、最近知ったばかりなんだ。

この歌、1986年といえば、バブル期に突入したといわれた好景気の元年。
昼夜、無造作にお金と欲望と興奮が飛び交い、日本人の清貧が失われた時代だ。

家庭料理の小さな居酒屋。
お酒は分量を決めて、出された料理をたしなみながら、小さな幸せを実感している。
8トラックのカラオケマイクが回ってきたら、はにかんで一曲だけ、場の空気に合わせる。

好きな歌詞をなぞれば 「目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことはムリをせず」
「不器用だけどしらけず 純粋だけど野暮じゃない」
「ねたまぬように あせらぬように 飾った世界に流されず」
妻子を愛し、友を慕い、孤独に耐え、自分のことは後回しにする、職人気質のぼくとつな男。

表面上のやさしさやうんちくを売りにせず、知性と教養をもちながら、理不尽なことには引かない。
本当に強いものは、見せかけの粗野でなく、人にこびたりせず、孤独な色気をただよわせているもの。
晩年に入る、おやじの人生観を歌いあげているが 「あんな男になりたい」 と感じさせられる歌詞だ。

今の時代、こんな歌詞はダサいだろうが、ボクは流行という迎合ほど、ダサい真似はないと思っている。
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2015年11月15日

肩こりと入浴剤

同い年の友人が 「肩が上がりにくくなった」 とつぶやいていた。

「五十肩」 というやつであろうか。
ボクにそんな症状はないが 「肩こり」 には、なりやすくなってきた。

十杯ほどのショートカクテルをシェーカーで振った翌日は、肩に重石がのしかかっているようである。
たとえて、手の平サイズの面でこりが張りついてる感じだが、その中心部を二本の指で点押しすると、   いい具合に 「エロチックな痛み」 が全身をかけめぐる。
自分で押しても気持ちがいいんだから、プロから手技してもらったら、どんなにいいことか。

肩こりには、適度なストレッチと入浴が効果的だと聞く。
これからの時季、わが家は冬限定で温泉の素 (入浴剤) を入れるようになり、昨夜は 「登別」 今夜は 「草津」 と、日本の温泉めぐりをせまい浴槽で楽しむ。
家風呂ではカラスの行水だが、魔法の粉末を入れると疲労のかたまりがほぐされて思わず長湯となる。

三年ほど前から、冷え性になったと思われ、靴下をはいていても足だけが冷たい。
足を温めると全身の血行がよくなるようだが、新陳代謝がおちる年齢なので、冬にかけては風呂で体を温めながら、肩のこりをもみほぐし、翌日に疲れを残さないようにはしたい。

こうして、入浴は疲労回復の防衛策となり、温泉の素は生気がみなぎる魔法の粉末となのである。
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2015年11月14日

キャンディーズ

このところ、ピンクレディー とともに社会現象にもなった 「キャンディーズ」 が再燃しているだとか。

同世代なら、一度は 「3人の中でだれがいい」 と言い合ったことはあるだろう。
それぐらい、ビッグアイドルが充実していた時代だったけど、ボクは冷めていたなあ。

アイドルに恋して、絶叫して泣き叫んだりする姿って、カッコ悪いと思っていたもん。
まして、アイドルのポスターや雑誌の切り抜きを部屋に貼ったことないし、下敷きにはさんでいた写真は 「アントニオ猪木」 だったし、どこか頭の中は混沌としていた。

しかも 「イチゴのフリルのついたパンチラにはごまかされんぞ」 とか、根はウブだったり。
そのくせ、雑誌 「プレイボーイ」 を手に、上質な刺激を求めていた、ませたガキであった。

昔、エメロンシャンプーのCMで、前を歩く髪のきれいな女性の後ろ姿をカメラが追いかけていき、    突然の声かけで振り向かせる、ワンシーンが人気を呼んだ。

それは後に 「バックシャン」 (後ろ姿の美しさ) と呼ばれ、ちょっとしたナンパ現象にもなった。
街中で、後ろ姿の映える女の子を見かけると、その子を一度追い越してから、後ろを振り返るふりして、勝手に審査員になるマヌケっぷり。

いつの時代、男の子の心境は 「かわいい子見たさ」 の素朴な欲求は尽きないんだろうな。

キャンディーズに特定すれば、みんなでワイワイとトランプをして遊びたくなるイメージを抱かされたね。
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2015年11月13日

愛ある拳骨

野球賭博問題で、巨人軍の3選手が解約されたことは記憶に新しい。

こういう問題がおきると評論家は決まって 「未来の子どもたちの夢と希望を壊した」 など、美辞麗句を並べ立てるが、何をもって夢の成功と見なすのか、問い直す必要はあるんじゃないかな。

小学生に聞いた 「将来なりたい職業」 の上位に入る、医師や先生が公然わいせつ行為を犯しても、決して 「子どもたちの夢と希望を壊した」 とは言われないでしょ。

夢や希望を壊したうんぬんの前に 「あれは犯罪だ」 と、ハッキリ言うのが教育だと思う。
子どもに媚びた言い方をするより 「あんな大人になるな」 のほうが、よっぽどわかりやすい。

今の社会は、美意識過剰な言葉が通用する構図ではない。

コレ 5年ほど前につたない文章を書いた記憶があるが、さらに数年前 「なぜ、人を殺してはいけないのですか」 という本が話題となり、それをわざわざ説明する必要性はあるのかと記した。

そんな質問がまかり通れば、学校教育の崩壊だろうし、そもそも理屈じゃない。
「ダメなもんはダメだ」 でいいし、ご丁寧にも媚びた説明より、凛とした姿勢でいたほうがいいんだ。

スーパーでお菓子を万引きしたガキが 「何で盗んじゃいけないの」 と悪びれず食ってかかってきたら、そんな思考回路に理論的な説明を要するであろうか。

言葉の手間を惜しんではいけないが、こういう質問には真っ向から 「バカ野郎」 で突き返したほうが、教育になると思うし、そうじゃないと考え方が自立しないんじゃないかな。

もし、ボクが子どもの親なら 「愛のゲンコツ」 を食らわして、自分で 「なぜ」 を考えさせる方針をとる。
そもそも、曲げれない価値観を受け継いだのに、いつから 「常識を説明しなきゃならなくなった」 のか不思議でならないし、暴力と拳骨の違いは心得ているつもりだ。

世の中、サービス業の過剰なまでのおもてなしに慣らされ、多くのことはネットで答えが見つかるようになると、今度は説明がないものに対して、想像力をはりめぐらさなくなる。

つまり、手っ取り早く、答えだけを欲しがるようになったし 「子どもたちの夢や希望を壊した」 なんて、大人の答えじゃないと思うけどね。
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2015年11月12日

ウインザーノット

新潟古町八番町の大竹座ビルはついに取り壊しになるのか…   少し感慨深いなあ。

30年ほど前の 「バブル景気」 がはじまったとされた 「1986年」
多くの若者はDCブランドに身を包みだし、深夜までディスコで踊り、後にはじまるプールバーブームで、朝まで過ごす青春時代をおくっていた人は少なくはないだろう。

当時、21歳だったけど、バブルの恩恵は受けていない。
誤解されているようだが、景気の恩恵を受けたのは、今の50代後半からに多い。
また 「新人類」 とか形容されたが、直接的な恩恵はほとんどないんだ。

バブルというお祭りは見たんだけど、何がなんだかわからぬまま、気がつけば神輿の担ぎ手にされて、そのうち神輿がひっくり返ってしまい、大けがはしなかったけど、路頭に迷ってしまった印象かな。

その代わり、現在50歳前後の女性は、割合いい経験をしたと思える。
OLの初任給であれ、上司や年上の男性から食事に誘われて、結構なアフターファイブだったであろう。

それまで何となくつるんで遊んでいた女の子たちは、金回りの悪い同世代を相手にすることもなくなり、もっと遊びを知っている年上の彼氏が現れて、ボクらの前から遠ざかった苦味を覚えている。

そのころ、ジャージ姿で原付バイクにまたがり、柾谷小路で信号待ちをしていたときのこと。
何やら、隣に停車したスポーツカーから、フリーズの軽快な曲が大音量で流れてきた。

フッと助手席を見ると、数年前 「養老乃瀧」 で、焼鳥の盛合せを一緒につまんだことのある女の子が黒のサングラスをかけて、運転席の彼氏とともにボクに手を振っていた姿があった。
シーサイドにでもドライブへ出かけるのか、青信号で排気ガスをぶっかけられた気分になった。

「おんどりゃあ」 と思っても、そのときは法定制限速度30キロのホンダカレン…   ダメだ こりゃ!

こうして、ボクらの前から消えていった同世代の女の子たちは、七五三のおべべみたいなDCブランドに着られた、年上の 「変態チンポコ野郎」 たちと、バブリーなデートをしていたのじゃ。

ボクも少し 「これじゃいかんな」 と、鏡の前でネクタイを結ぶ練習をするようになった。
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2015年11月11日

無題雑記 18

暦の上では 「立冬」 は過ぎた。

10日 バスの車窓から、紅葉をながめていると、徐々に冬枯れる街並みに風情を感じた。

思わず行先を忘れて、このまま美術館にでも行きたい気分になった。

日中 妻と 「町歩き」 することがある。
バスの乗り継ぎ場所が中途半端に不便となり 「気分転換に歩こうか」 と、街中をぶらつくパターンだ。

おたがい、目のやり場は違い、妻はショーウインドのディスプレイやシャレたカフェをながめているが、  ボクは道すがらの個性的なモノに興味を示し、思わず道草をしてしまう 「子ども性」 が残っている。

今日、市役所の帰りでも、妻は白山神社の前にある洋食屋さんのオムライスに興味をひかれる一方、ボクは白山公園の 「おさるさん」 を見ようと、横断歩道でガキのようにダダをこねてしまう。

一事が万事、興味のやり場が違うので一緒に歩いていても、フッと話しかけるとそこにいなかったなんてことはよくあることで、それがもとで痴話ケンカになるため、足首にヒモでも結んでおくか考えたり (笑)

そんな具合に何十年も連れ添った夫婦でも、つくずく男と女は違う生きものであると感じてしまう。

だけど、ひとりの時間を充実させてもらっているので、ふたりの時間の大切さもわからねばならない。
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2015年11月10日

灰色の空

降水確率70%だった月曜日。

朝、カーテンを半開にしたら、また今日も新潟らしい 「灰色の空」 が視界一面をおおっていた。

週間予報によると、木曜日ごろまで、ぐずついた天候が続くらしい。

春雨のように、少しネオンが煙って見える湿った空気感もいいが、秋雨はネオンがスッキリと見えて、   空気がきりっと締まった様子も好きだ。

しかも、生ぬるい雨とは違い、冷たい雨がボクの肌には心地よく感じる。

これから冬本番だが、街中に紅葉が下りてきた今、わずかでも秋の季節感を大切にしたいね。
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2015年11月08日

コミュニケート

新潟市東区で70代の女性が特殊詐欺にあい、その被害額は三千万。

指定された別々の住所に複数回、宅配便で現金を送金後、家族に相談して事件が発覚したとか。

劇場型詐欺らしいが、巧みな電話指示に動いているのだから、極めて心神喪失状態だったと考えにくくいつも思うのは、現実に払ってしまう人がいること。

一連の事件について考えると、被害にあっているタイプは 「孤立」 している人じゃないのかな。
また、なまじっか身持ちがいいと、お金目当てに人が近寄ると過信しているから、お天道様の下へ出て、人と接しなくなり、自己防衛に考えがおよびすぎて、気軽なコミュニケーションができなくなるのでは。

街中で、こんな経験したことない ?

ポツンと独りでいるとき、だれかからやさしく声をかけられたりすると、少しうれしく感じたり。
暇を持て余しているとき、異性からタイミングよく入ったメールに、どこか気分をなごまされたり。
その感覚は大切なんだけど、少し冷静にならないと 「危ない橋」 を渡りそうになることもある。

ケータイのない時代、こんなことなかった ?

何日か部屋を空けて帰宅したら、だれからも留守番電話が入ってなかった、言い知れないさびしさ。
暗がりに赤い光だけが、ポツンと浮かびあがっているから、よけいにさびしさを感じてしまったこと。
「気にかけてくれる人はいないのか」 「おいおい、何かあったら、部屋で野垂れ死にかい」 とかさ。

そんな小さな孤独感を味わってきて、孤立化しないための社会性や社交性を自然と身につけたと思う。

昨年、実の母親と東京の伯母のもとへ 「息子」 と語る、不審な電話が入ったという。
その際、ボクと電話確認したから、トラブルに巻き込まれることはなかったが、被害にあった人たちは、不測の事態に親族や友人に相談できる信頼関係はあったのだろうか。

ほとんどのケースは、突然のことに取り乱し、独りで解決しようとしたあげくに、後の祭りになるのは、  孤立型の典型的な行動パターンであり、ボク自身の出来事としてふりかかるおそれもあるからね。

信用上、コミュニケートできる相手を身近に作っておくことが、高齢化社会の予防かと思える。

ネットやラインは幼児性がひそみ、言葉に危険性もはらんだ、少しバーチャルな道具である。
だから、大切なことほど、直接電話をしてコンセンサスをとるか、日常生活で気軽に会って話をできる   相手がいれば、何者かわからない人間に大金を出すような被害者を、未然に防げるんじゃないのかな。

そういう、自分を守ってくれる人間関係を作らなかったから、突拍子のない電話に反応するんだ。
孤立は精神的な不安感をもたらすから、普段から生身のコミュニケーションをしておくべきであろう。

つまるところ、人が人を判断するモノサシは、結局は自分だけなんだよな。
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2015年11月07日

D カーネギー

朝刊の広告に、デール・カーネギー著書 マンガで読み解く啓発本 「人を動かす」 が好評なんだとか。

D・カーネギーといえば、人間関係の基本を解き明かした、自己啓発本のバイブルとされている。
ひいては、昔から 「営業職」 のモチベーションアップに、広く活用されている書籍でもある。

しかし、活字アレルギーの人からすると、数十ページもめくれば 「むずかしい」 の一言で表紙を閉じてしまいたくなるだろう。

原文は少し難しいと思えるが、マンガで解説した 「人を動かす」 も、人に伝える手段としては、きっと 現代風にアレンジされて、読みやすいものに仕立てられていると思われる。
これからは、文章をマンガで伝える手法は、多用されるだろうね。

D・カーネギーには、こんな思い出がある。

20歳、初めての地でコンサルティングセールスをしていたが、どうも仕事の要領をつかめなかった。
その仕事ぶりを先輩の営業マン (32歳) が見かねて 「人を動かす」 をすすめられた。

すると、その様子を見ていた支店長 (43歳) が 「そんな本はまだ早いよ」 と会話に入ってきて、  仕事帰りに本屋へ連れていかれた。
「この本を読んでおけ」 と手渡されたのは 「デール・カーネギー」 の 「人を動かす」 ではなく    「カー・マイヤー」 の 「自己を動かす力」 という、自身の心を鍛える啓発本だった。

支店長いわく 「人を動かすよりも、まずはおのれを知れ」 と言われ、自分の身の丈に合った内容を   歩む手助けをしてもらった。
あのとき、自分の読解力のなさ加減にあきれたが、最初に手もとにおいたハードカバー本である。

自己啓発本は 「自分が立てた目標以外は効果ない」 と思っているから、読んだのはこれぐらい。
本で読んだ知識は薄っぺらいが、実践すべきこととして、自分を奮い立たせるのであれば、マンガで    あろうと論文であれ、やさしく学べていいはずだろう。

だってさ、仕組みは目から入ってきて、頭で解析するんだから、啓発本もマンガも同じことだからね。
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2015年11月06日

セルフジャッジ

連日 旭化成の 「くい打ちデータ偽装問題」 が、大きく報道されている。

さかのぼれば、某設計事務所の耐震偽装事件のときもそうだが 「わからなきゃいい」 が土台にある。

ボクはゴルフをしないので、詳細には語れないが、スコアの基本は 「セルフジャッジ」 だという。
自らがルールを守って、フェアプレイすることが求められる、責任のスポーツだと聞いている。

たとえば、ドライバーショットが大きくスライスして、ボールが茂みの中に迷いこんだとする。
本人、落下地点まで足を運び、だれも見ていない場所から、ホールをめがけて次のショットを打ち出す。

このとき、ボールを打ちやすいところに出そうと故意に触れても、ミスショットをしても、打数として申告 するかは、本人のフェアプレイ精神にゆだねられるんだとか。

人が見ているとか、だれかの指示だからではなく、あくまでも裁量は本人次第である。
このあたり、ゴルフをしている人であれば、わかっていることだと思う。

どんな組織でも、責任者の報酬は高いし、それなりに社会的な地位もあたえられている。
趣味でゴルフを続けられるだけの報酬もあるし、特別な会合や自由な時間もあたえられているのだが、見えないところでは、利益を出すために偽装をほのめかす、裏の顔を持つ経営者もまぎれている。

これじゃ、何のために朝早くからラウンドに出かけているのか、ゴルフにインテリジェンスを感じない。
正統派のアマチュアゴルファーには申し訳ないが、スコアを平気でごまかそうとする連中はいるんだ。

サラリーマンであれば 「密室の指示」 (ブラックボックス) に直面することがある。

そのとき 「セルフジャッジ」 をどうするかであろう。
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2015年11月05日

無題雑記 17

買い出しから、はじまる1日が多く、それがいい気分転換になっている。

ボクの仕事に出張も移動もないから、生活圏の光景を楽しむことが日課となる。
そんな生活を8年近くもしていれば、地元において、ずいぶんと顔なじみも多くなった。

今さら、人に構える年齢でもないし、素顔のままで暮らせる街である。
人間は不思議とその街の人々や文化、雰囲気などに慣れてしまうもの。

ただし、何事も自分から行動をおこさなければ、何も得られないことが条件となるが、大方の出来事に   おいては、順応性が働くものだ。

そうは言いつつ、都合のいい出来事などおこるはずもなく、気づかないうちに街は静かに変わっていき、人は平等に年齢を重ねていく。

ああ、そうか、1か月後、オレ、51歳になるのかあ…   時間よ止まれ!
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