2015年09月20日

Old Neme

だれにでも、携帯電話に登録した名前の中に、連絡を取り合っていない、形骸化した名があると思う。

突然、そんな 「オ−ルドネーム」 が表示されると、何の用か構えてしまうだろう。
だけど、肉声はおたがいの気軽さが一致していることから、仰々しい前置きがいらないところがいい。

22歳のころ、新潟の夜で一緒に仕事をしたことのある、一部の面々から連絡が入った。
何でも、年下の彼を中心として、50歳前後になった、当時のメンバー数名とつながりあったという。
それで 「今度予定を合わせて、日曜の夜にでも会いませんか」 という内容だった。

当時、どこでなにをしていたかは割愛するが、バブル全盛期の力強さが満ち溢れていた時代である。
ゆえに若い力でなければ成立しない業態であり、知識よりも体力で突き抜けられる自信があった。
大げさ、ハッタリでもなく、時代が70年前なら、われわれは徴兵されて、戦地の前線部隊に派遣された青年兵みたいな、純粋で飢えた雰囲気が漂っていたと思われる。

振り返れば、あの年齢であれほどの経験ができたことは貴重だが、会社は若者の純粋で世間知らずの極みを巧みに誘導して、無責任に働かせるだけ働かせる、狡猾な企業も多かった時代である。
理想で夢を描き、実践で虚しさを覚えて、組織が崩壊する様は、現代のブラック企業でもあった。

大ブームの終幕を、若い力だけで好転できるはずもなかったが、不思議とわだかまりはないんだ。
そのときは、時の夢や希望があったわけで、追っかけたことは空想でなく、まぎれもない理想だった。
だから、一生懸命にやっていた相手とだけは、その後は掛け値なしに笑顔で会えるものである。

会っても、昔のことをとやかく言わず 「元気にやっているのか」 ぐらいでいいんだ。
それ以上は、当事者同士にしかわからない複雑な感情もあるんだろうし、別にボタンを決まりのいい    位置にかけなおそうとは思わないから、過去の出来事に構える必要もあるまい。

当時のつきあいが戻るまではいかないが、懐かしめることはかけがえのない歴史である。
そう考えれば、形骸化したかどうかなんて、最後までわからないのかも知れないね。
出欠の出し惜しみしないから 「日時が決まれば、オレは出席するよ」 で即答した。

まあ、この手の集いは話で終わることも多く、期待せずに待つのも余裕のように思える。
posted by GIG at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Bar & Human | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする